鈴木敏文氏にとって、最後になる株主総会。意外な人物が、株主として挙手し、指名を受けた。「豊洲でセブンーイレブンを経営している山本です」。と発言した山本憲司氏。74年に開店したセブンーイレブンの国内1号店のオーナーである。筆者も昔読んだセブンイレブン成功本で度々登場していた人物です。カリスマの退任は寂しい限りですが、顧客から『本当にご苦労様でした。この場を借りて感謝したい。』と言われ経営者冥利に尽きると思います。鈴木敏文氏個人は、流通革命を起した偉大な仕事をやり遂げサバサバしているでしょう。しかし、経営は別、今後ハゲタカファンドに喰い荒らされ、普通の会社に転落し、日本の経営者が上場の意味を考える機会になりそうです。
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日本にコンビニを持ち込み、定着させた「カリスマ経営者」、鈴木敏文氏がセブン&アイホールディングス会長兼最高経営責任者(CEO)から退いた。5月26日、東京都千代田区の本社会議室で開かれた同社の株主総会。83歳の鈴木氏は、ほぼ二回り年下の58歳、井阪隆一氏に同社の舵取り役を譲った。井坂氏はセブンーイレブン・ジャパン社長兼最高執行責任者(COO)から、セブン&アイホールディングス社長に昇格した。1時間52分にわたる株主総会の模様をつぶさに報告する。【経済プレミア編集部】
午前10時、鈴木氏の側近である村田紀敏セブン&アイホールディングス社長兼COOが議長として開会を宣言。事業報告のビデオが上映され、その後、三つの議案説明があった。
第2号議案が役員の人事案だ。鈴木氏と村田氏の2人が退任し、代わりに1人が取締役になる。村田氏は次のように説明した。
◇村田社長が人事案の経緯の概要を説明
「当社は3月、役員の指名手続きの客観性や透明性を確保することなどを目的に、指名・報酬委員会を設置した。同委員会は複数回開催され、人事案の原案について検討したが、結論が出ず、取締役会の審議に委ねることになった」
この原案とは、鈴木氏や村田氏が主導した議案のことだ。井阪氏がセブンーイレブン社長を退任する内容である。そして、村田氏は説明を続けた。
「4月7日の取締役会では、賛成が過半数に達せず、原案は承認されなかった。15日の指名・報酬委員会で、こうした状況を踏まえて新体制を組成することになり、新体制案を全員一致で決定した。同19日の取締役会で、全員賛成でその案を承認した」
井阪氏の退任案が取締役会で否決され、その後の協議で、逆に鈴木氏、村田氏が退任することになった。人事案の経過を、村田氏は相当省略した形で説明し、株主との質疑に入った。
◇無記名投票の中身を問う株主質問
最初に質問に立った株主は、4月7日の取締役会で井阪氏の退任案を否決した際、無記名投票だったことを取り上げ、「どの取締役がどういう理由で賛成したのか、反対したのかを明らかにしてほしい」と、質問を投げかけた。
これに対しては村田氏が答弁した。
「取締役はそれぞれの意見に基づき投票した。この方法は弁護士からも違法でないと確認した。その結果として井阪さんの退任案は否決された。今後は『ノーサイド』。全員一体となって経営に当たる。どの取締役が賛成か反対かはわかりません。それを問うことは必要としておりません」
村田氏は井阪氏退任案を提案した側であり、賛成投票をしたはずだ。しかし、この日はそうした過去を振り切るように、強く「ノーサイド」と答弁すると、会場からは「そうだ」の声と、拍手があがった。
別の株主が質問に立った。「(鈴木氏の)居場所までなくなるのは寂しいことだ。功労者の追い出し方としては許せない」。途中から涙声になった。
鈴木氏にとって、最後になる株主総会。意外な人物が、株主として挙手し、指名を受けた。「株主番号○○番、豊洲でセブンーイレブンを経営している山本です」。山本憲司氏。74年に開店したセブンーイレブンの国内1号店のオーナーである。
引退する鈴木氏は、名誉顧問に就任する。ただ、本社内に執務室があると、鈴木氏の影響力が残る。このため、社長になる井阪氏らの意向で、本社内に鈴木氏の顧問としての執務室は置かないことになった。その点を突いた質問だった。
◇すべて水に流すかのように
これに対しても村田氏が答弁した。「鈴木会長と井阪氏らとの間で検討をした。最終的に、会長も『自分が本社にいるとやりづらいこともあるだろう』ということで、近くにオフィスを開設して、いつでも役員や社長が相談できるようにしようということになった」
隣に座った鈴木氏は、静かにこの答弁を聞いている。淡々とした表情だ。前代未聞の人事抗争など、すべて水に流したような形で、株主質問が進んでいった。
鈴木氏にとって、最後になる株主総会。意外な人物が、株主として挙手し、指名を受けた。「株主番号○○番、豊洲でセブンーイレブンを経営している山本です」。山本憲司氏。74年に開店したセブンーイレブンの国内1号店のオーナーである。
「鈴木さんの退任は驚きと同時に寂しい思いだ。43年前からともにやってきた。本当にご苦労様でした。この場を借りて感謝したい」
◇若き日、鈴木氏と熱く語りあった1号店オーナーが「エール」
これを受け、鈴木氏がマイクを握った。
「1号店のオーナーさんは24歳の若さで進んでセブンーイレブンに参加していただいた。こちらのオーナーさんに参加してもらわなかったら、今のセブンーイレブンの形がどうだったかと考えている」
鈴木氏は当時41歳。1号店を出す際、周囲は直営店で出店すべきだと主張していた。鈴木氏はそれを押し切って、フランチャイズ方式で山本氏の1号店を出した。それが成功し、今では全国で1万8000店を超す店舗網になった。そして、次のように続けた。
「私自身、会社に(名誉)顧問として残らせていただく。長い間お世話になりました」
会場から万雷の拍手が鳴り響いた。
そして、新体制の人事案も含め、三つの議案がすべて賛成多数で可決され、鈴木氏が最後に退任のあいさつに立った。
◇「オムニチャネル」に"未練"も
「私が入社した63年の売上高は40億円、店舗は5店舗だった。今日、グループの売上高は10兆円を超す規模になった。多大な支援をいただいたおかげだ。そして、これからは『オムニチャネル』だ。どれだけ(新体制が)力を入れてくれるか。もちろん『力を入れてくれる』と宣言している。それがきちっとできれば、この先も、小売業として日本でNO1として成長していく」
オムニチャネルはネットと店舗の両方を活用し、顧客に商品を届ける仕組みだ。セブン&アイに君臨した鈴木敏文氏は、こうして満場の拍手を受け、井阪氏と握手をして総会の場から姿を消していったのである。