成功に必要なのは、実は才能ではなく勤勉である。「人間の優劣は、その人がどれだけ精一杯努力したかで決まる」。自助論からですが、下手でも努力できるのは才能なのです。筆者には下記のようなアラフォーの会社員で12年も勤務して、役職にも就いて手取り14万円なんて奴隷のようで考えられません。堅気の仕事なら労働基準監督署に提訴すべきでしょう。ここ迄極端では無くても、日本における給与所得者の平均年収は367万円でこの数字は、多少の上下変動はあるものの、過去20年、ほぼ一貫して低下し続けているようです。労働者が実際に使えるお金の額はどんどん減少しているのです。367万円では結婚して、奥さんが専業主婦、子供が1人~2人の家庭では親の財産でもない限り、都心では無理です。しかし、それは何も対策を打たない人の話で、生きられるだけで幸せを感じれば、後は前に進むだけなのです。収入が少なく、結婚できない若者が中小企業に勤めていれば社長に窮状を直訴すればいいし、会社の収益改善の為、新規事業をやってもらえれば全力で働き、仕事を持っている素敵な女性を紹介してもらえば結婚すればいいのです。要は上をみれば限がなく、現状を認め、サバイバル力を発揮し、臨機応変にその場その場を精一杯対応することです。
以下抜粋コピー
自身の安月給を嘆き、「日本は終わっている」と主張したネットの書き込みに対して、ホリエモンが「お前が終わっているんだよ」と辛辣に批判したことがちょっとした話題となった。このやりとりは、今の日本社会が抱える問題を浮き彫りにしており、非常に興味深い。その理由は、日本社会が貧しくなったことで、ホリエモンの意見も、投稿主の意見も両方が正しい物になってしまうからである。
●安月給は「自己責任」か
ホリエモンが批判したのは、ある掲示板サイトに立てられた「手取り15万円以下の人」というトピックでの書き込み。投稿主によると、自身はアラフォーの会社員で、都内のメーカーに12年勤務してきたが、手取りは14万円しかないという。本人は掲示板上で「役職も付いていますが、この給料です... 何も贅沢(ぜいたく)出来ない生活 日本終わってますよね?」と書き込んだ。
この書き込みには多くの共感が寄せられ、Twitterでも話題となったが、ホリエモンは自身のTwitterでこの発言を取り上げ、「日本がおわってんじゃなくて、『お前」が終わってんだよ」と一喝。この発言がネット上で一気に拡散した。
ホリエモンの発言に対しては、賛否両論となっているが、非常に興味深いのは、今の日本社会においては、ホリエモンの発言も投稿主の発言も、基準を変えてしまうとどちらも正しくなってしまうという点である。
ホリエモンの意見は説明するまでもなく、典型的な自己責任論ということになるだろう。役職も付いているということなので投稿主は正社員と考えられる。12年勤務して手取りが14万円という情報が正しければ、かなりの低賃金といってよい。
特定職の処遇が著しく悪い場合には、そこで働く労働者は他の仕事に転職してしまうので、ある程度、賃金を上げないとビジネスとして成立しなくなる。もし賃上げできない場合は、労働時間や負荷などの面で条件を緩和する必要があり、その場合には、賃金が安くてもラクな方を選択するという労働者が集まってくるだろう。従って、誰かが犠牲者となって過酷な労働をしなければ社会が回らないという話は基本的に成立しない。
●「同じレベル」の労働者も他国なら豊かな生活
だがこの話が成立するためには、社会全体が豊かで、一定以上の賃金水準が維持されていることが絶対条件となる。平均的な賃金水準があまりにも低く、社会が貧しい場合には、不本意ながらも著しく労働条件の悪い仕事に就かざるを得ない人が増えてくる。
では現在の日本における賃金水準については、どう評価すればよいのだろうか。
日本における給与所得者の平均年収は367万円だが(国税庁調べ)、この数字は、多少の上下変動はあるものの、過去20年、ほぼ一貫して低下が続いている。アベノミクス以降、賃金の絶対値は少し上がったが、それ以上に物価上昇が進んでいるので、労働者が実際に使えるお金の額は少なくなっているだろう。
鎖国している時代ならともかく、現代社会はグローバル化が進んでおり、一物一価の原則が成立しやすい。例えばスマホはどの国で購入してもほぼ同じ価格なので、平均賃金が安い国の労働者は、賃金が高い国の労働者と比較すると、欲しいモノが買えなくなってくる。
米国の平均賃金は日本の1.5倍以上もあり、大卒の平均的な初任給も日本の1.5倍から2倍である。その分だけ、米国では物価も高くなるが、だからといって日本で3万円のスマホが米国で買うと6万円になったり、日本で100万円のクルマが米国では200万円になったりするわけではない。
グローバルに流通する商品やサービスの価格は日本も米国もほとんど変わらないので、結果的に米国の低所得者層が購入できるモノやサービスは日本人の低所得者層よりも圧倒的に多くなる。
仮に今回の投稿主が、ホリエモンの批判のように、あまり努力をせず現状に甘んじている人物だと仮定しよう。日本ではこうした労働者は、安月給のまま苦しい生活を余儀なくされる。
だが、これが欧米各国であれば、努力をしない人でも給料の絶対値が高いので、生活水準は日本人よりも高い。投稿主がもし欧米各国で生まれていたのなら、ここまでの状況にはなっていなかっただろう。
●日本は「先進国」と見なせるのか?
同じ条件の人物でありながら、日本で生活していると貧しい暮らしを強いられるという点においては、「日本終わってますよね」という投稿主の主張にも一理あるということになる。
一連の議論は、言い換えれば、日本を「欧米と同水準あるいはそれに近い水準の先進国」と見なすのか、実はそうではないのかという違いになるだろう。
欧州各国は経済に余力があるため、低所得者に対する支援が手厚く、相対的貧困率も日本よりもはるかに低い。日本では「低所得者は怠けている」という批判も多いが、もし日本の低所得者が怠けているというのなら、欧州の低所得者も同様に怠け者ということになるだろう。
だが欧州の場合には、こうした人たちにも手厚い支援があるので、怠けていても、相応の生活を維持することができる。米国は欧州のような手厚い支援策はないが、それでも人口1人あたりの社会保障費用は日本よりも圧倒的に多く、日本との比較においては米国ですら福祉国家といってよい。
結局のところ、日本を「豊かな先進国」と見なすのであれば、「終わっている」という投稿主の主張は正しく、日本を「先進国」とみなさないのであれば、ホリエモンの方が正論ということになるだろう。
加谷珪一(かや けいいち/経済評論家)