「ゲノム(全遺伝情報)医療」の発達などにより、今後は日本でも100歳超の人口がさらに増えることが予想される中、105歳の哲人日野原重明先生がお亡くなりになりました。日野原重明医師は❝54年に民間病院としては初めて人間ドックを開設。定期健康診断による早期発見、早期予防の医療を定着させた。また、成人病を生活習慣病と言い換えるよう提案した。患者との対話を重視し、患者参加型の医療を推進した。又終末医療の分野でもパイオニアとして力を注いだ。❞100歳になっても、年間100日も東京を離れ、命の大切さを説く講演を全国各地でされていました。日野原先生に感化され、人助けの為、医師になる子供も今後多数出てくるでしょう。人の心の中に生き続け、正に後世まで影響を与え続ける哲人です。
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105歳の大往生を遂げた聖路加国際病院名誉院長、日野原重明(ひのはら・しげあき)さんの生涯は、理想的な生活に徹し「健康で長生き」を実現したものだった。生前、親交があった専門家は訃報に際し、「以前からおっしゃっていた『ピンピンコロリ』を実践された」と話した。
1911(明治44)年生まれで、大正、昭和、平成と4つの時代を生き抜いた日野原さんは、若いころから体重を維持し、60~65キロの枠から外れることがなかったという。100歳を超えてもなお現役の医師として活動し続けられたのも、食事や運動を細かく管理した結果だったに違いない。
日野原さんと交流が深かった白澤抗加齢医学研究所の白澤卓二所長は「もともと持っていた医師としての知識を自ら実践した。100歳を迎えても階段の上り下りを行っていたし、食事も朝はフレッシュジュースにオリーブオイルを入れたものをとり続けていた」と話す。
日野原さんは産経新聞などのインタビューで、その健康法を明かしている。21年前の1996年、84歳のときには「階段を上がるのが私のエクササイズです。(中略)地下からここまでで143段(笑い)」とコメントしている。
2006年には、食事について「固形食は夜ぐらい。基礎代謝を考えると1日1300キロカロリーあればいい」と説明。「寝るのは午前2時。朝は7時に目覚ましで起きます。(中略)週に1回は必ず徹夜」と明かしていた。
「ギネス記録に残る世界一の長生きはジャンヌ・カルマンというフランス人の女性で122歳だった。この記録を超えるケースが今後も出てくるというのが1つ。一方、統計的な調査から判断しても122歳は特殊な事例で、人の寿命は最大で116~118歳ではないかという学説もある。ここまでの長寿は、健康的な生活を送ったからといって実現できるものではなく、その人に遺伝子など『長生きする条件』が備わっているからだと考えられている」
09年、当時97歳の日野原さんは死生観について「『生』も『死』も自然なことですから。死に方は生き方で決まります」と語っていた。
聖路加国際病院の福井次矢院長は18日の記者会見で、今年に入り体調を崩していた日野原さんに延命措置を申し出たところ、「明確に拒否した」と明かした。
前出の白澤氏は、日野原さんの最期について「元気に長生きして、苦しまずに亡くなることを理想とし、ただ命を延ばされることをよしとしなかった。以前からおっしゃっていた通りのことを実践したのだろう」とした。
若い人にも高齢者にも、残したものは大きかった。