明治の傑僧釈雲照は明治維新以降「外尊内卑の風潮日を追って甚だしく思想の混沌の境に陥る。今日にして是を救うにあらざれば国運危殆に赴かんと、実に測るべからざるものあり」として之を救うためには「列聖の遺訓を奉じ皇道の大儀を明らかにせんのみ。皇道の大義とは実に神儒仏三道の融会なり。」と言っています。
釈雲照『日本国民教育の本義』我が皇国は天祖天照大神の神勅に依りて建てられたる国である。しかるに明治維新以 . . . 本文を読む
第三十 高祖恩徳章
高祖大師一代の行果を伺い、無比の誓願を仰ぎ奉るに悉く是れ摂化の妙業大悲の本願ならざるはなし。其の発心の初め、仏前に祈誓して不二法門を感得し命を万里の蒼海に殉へて鉄塔の教風を承け真言秘密の法、曼荼灌頂の道を吾が扶桑国に流伝し給えり。遂に乃ち龍華三会の暁を期し身を百千に現じ影を万億に分かちて広く法界の衆生を利益せんがための故に長しえに肉身を高野の樹下に留めて金剛不壊の大定に入らせ . . . 本文を読む
祈願して目が明いた話二話
1,「古今著聞集」「盲人熊野社に祈請して開眼の事」(三年も祈願した盲人がお陰がないので熊野権現をうらんでいるとお陰を受け懺悔する話です。)
「熊野に盲のもの斎燈をたきて眼のあきらかならん事を祈るありけり。此勤三年に成りけれども、しるしなかりければ、権現を恨みまゐらせて打ふしたる夢に、『汝が恨むる所、そのいはれなきにあらねども、先世の報をしるべき也。汝は . . . 本文を読む
「明治維新とは何だったのかー世界史から考える」(半藤一利・出口治明対談、祥伝社)に
「戊辰戦争では長崎で「慶応元年 2万5850丁(16万ドル)慶応2 年 2万1620丁(27万ドル)慶応3 年 6万5367丁(98万ドル)明治元年 3万6511丁(62万ドル)、横浜で「慶応3 年 10万2330丁(133万ドル)明治元年 10万5036丁(160万ドル)明治2 年5万8813丁(64万ドル)」 . . . 本文を読む
「『いのちは祈りである』私が本当の意味で仏教に出会ったのはこのことばに出会ったときであった様に思われます。この言葉は脳死について考える集まりで藤元正樹先生が言われた言葉です。」(「大法輪・二月号」姫路医療センター小児科医・真宗大谷派僧侶、梶原敬一)これを敷衍すれば「人生は祈りである」といえましょう。祈ることができる人の人生はそれだけで素晴らしい人生です。わたしも祈りによって救われ、人にも少しだけで . . . 本文を読む
修二会
以下仏教歳時記等に依ります。
修二会は二月初めに各寺院で各寺の御本尊に懺悔し天下泰平・五穀豊穣を祈願する悔過作法。
東大寺二月堂の修二会(3月1日から3月14日)は「お水取り」、薬師寺の修二会は「花会式」(3月25日から31日)長谷寺は「だだおし」(2月14日)の通称で知られる。法隆寺西円堂(2月1日から3日、3日に鬼追い式)などでもで行われる。
続 . . . 本文を読む
十善戒和讃略解(慈雲尊者)より。
天地万象は皆、真如無自性にして同一実相・同一縁起の法なれば、己身の外に仏もなく、仏の外に衆生もなく、衆生の外に自心もなく、心・佛・衆生は本来平等にして無二無別である。なんぞこの無二の中に於いて我他彼此の隔念を生じて自性を損害すべけんや。かくのごとくの妙観に住して十善を行うはすなわち真正の道徳にして真に四恩を報ずるものというべし。これを印度にありては菩薩と名つ゛け . . . 本文を読む
両手両足のない中村久子の言葉です。
「逆境こそ恩寵なり。人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない。どんなところにも生かされていく道はございます。」
「人間には絶え間のない苦しみがある。夫に先立たれた妻、子に死なれた親、一生身動きすらもできないお気の毒な方もあります。どんな境遇の人でも、その苦しみや、かなしみを、ぐちや、不平で終わることなく、それを喜びにかえていただくことが、善知識と思わ . . . 本文を読む