第四章 煩悩
第一節 心のけがれ
七、外から飛んでくる毒矢は防ぐすべがあっても内からくる毒矢は防ぐすべがない。貪りと瞋りと愚かさと高ぶりとは四つの毒矢にも例えられるさまざまな病を起こすものである。
心に貪りと瞋りと愚かさがあるときは、口には偽りと無駄口と悪口と二枚舌を使い、身には殺生と盗みとよこしまな愛欲をおかすようになる。
意の三つ、口の四つ、身の三つこれらを十悪という。
知りながらも偽り . . . 本文を読む
今朝いつものように芝大神宮に参拝した後、大門のあたりを歩いているとき突然「父母未詳以前本来の面目」という公案が浮かんできました。
漱石の「門」にも宗助という主人公が「老師」から公案を授けられるところが出てきます。
「『まあ何から入っても同じであるが』と老師は宗助に向って云った。『父母未生以前本来の面目は何だか、それを一つ考えて見たら善かろう』・・」
とういうところです。
そしてなぜか歩いてい . . . 本文を読む
第四章 煩悩
第一節 心のけがれ
六、
愛欲は煩悩の王、さまざまの煩悩がこれにつき従う。
愛欲は煩悩の芽を吹く湿地、さまざまの煩悩を生ずる。
愛欲は善を食う悪鬼、あらゆる善を滅ぼす。
愛欲は花に隠れ住む毒蛇、欲と花を貪るものに毒を制して殺す。
愛欲は木を枯らすつる草、人の心に巻き付き人の心の中の善のしるしを吸い尽くす。
愛欲は悪魔の投げた餌、人はこれにつられて悪魔の道に沈む。
飢えた犬に血を塗っ . . . 本文を読む
第四章 煩悩
第一節 心のけがれ
五、人間の欲には限りがない。それは丁度塩水を飲むものが、いっこうに渇きがとまらないのに似ている。彼はいつまでたっても満足することなく、渇きはますます強くなるだけである。
人はその欲を満足させようとするけれども、不満がつのっていらだつだけである。
人は欲をけっして満足させることができない。そこには求めてえられない苦しみがあり、満足できないときは気も狂うばかりとな . . . 本文を読む
福聚講の皆さんへ
8月21日の巡拝も11名の参加をいただき、東日本大震災に遭われた
被害者のご供養と被災者の皆様の息災をお祈りする事が出来ました。
第9回「関東36不動尊巡拝」は下記の通り実施したいと
考えております。皆さんの参加をお待ちしております。
記
実施日:2011年10月23日(日)
集合場所・時間:営団地下鉄南北線・本駒込駅 9時半集合 . . . 本文を読む
現世利益和讃 十五首
◎阿弥陀如来 来化して
息災延命のためにとて
金光明の寿量品
ときおきたまへるみのりなり
◎山家の伝教大師は
国土人民をあはれみて
七難消滅の誦文には
南無阿弥陀仏をとなふべし
◎一切の功徳にすぐれたる
南無阿弥陀仏をとなふれば
三世の重障みなながら
かならず転じて軽微なり
◎南無阿弥陀仏をとなふれば
この世の利益きはもな . . . 本文を読む
Q、十二頭陀とは
A、『正法眼蔵(行持)』に
「十二頭陀といふは、
『一には人の請を受けず、日に乞食を行ず、亦た比丘僧の一飯食分銭財を受けず。
二には山上に止宿して、人舎・郡県・聚落に宿せず。
三には人に従って衣被を乞うことを得ず。人の与うる衣被も亦受けず。但だ、丘塚間死人の棄てる所の衣を、補治して之を衣する。
四には野田の中、樹下に宿す。
五には一日一食。一に僧迦僧泥と名づく。
六には昼 . . . 本文を読む
第四章 煩悩
第一節 心のけがれ
三、貪りは満足を得たい気持ちから、瞋りは満足を得られない気持ちから、愚かさは不浄な考えから生まれる。
貪りは罪の汚れは少ないけれどこれをはなれることは容易ではなく、
瞋りは罪の汚れは大きいけれどもこれを離れることは早いものである。
愚かさは罪の汚れも大きくまたこれを離れることも容易ではない。
従って人々は気に入ったものの姿を見聞きしては正しく思い、気に入らな . . . 本文を読む
先日七十歳前後の親類縁者が10数名集まりました。いずれもリタイアして永く,孫もいる人たちばかりです。ところが話題はいずれも政治談議ばかり。TV評論家顔負けの議論に数時間つきあった当方も辟易しましたがこれが現代の平均的老人像なのでしょう。元気がありあまっているのでそのエネルギーの発散場所をしらないのです。
「マヌ法典」では、人生を学生期、家住期、林住期、遊行期に分けます。
そして子育てを終えたあ . . . 本文を読む
・・・まことに、この世はさまざまの火に焼かれている。
貪りの火、瞋りの火、愚かさの火、生老病死の火、憂い悲しみ苦しみ悶えの火、
さまざまの火によって炎々と燃え上がっている・・・ . . . 本文を読む