今日仁治2年6月30日は良恵が孔雀経法を修して雨を降らせた日。仁和寺諸師年譜に「前大僧正良恵。九条兼実公息。・・仁治二年(1242)六月二十六日東寺灌頂院に於いて孔雀経法を修す。第四日大雨降る。三十日結願。賞を蒙る。」
密教大辞典には「良恵、1192~1268。東寺長者。一に上乗院大僧正と称し九条摂政関白太政大臣兼実の息なり。承元四年三月二十三日に仁和寺観音院において道法親王に両部大法を受け、上 . . . 本文を読む
靖国神社に一礼して通学するJK ミッション系の学校
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今日6月30日は宮中において大祓の儀・中臣祓が行われる日です。このとき唱えられる中臣祓は、神道教説の枢要として,神道学者や国学者からきわめて重視され,膨大な注釈書が作られているようです。 陰陽師たちは、平安時代の中期以降には「中臣祓」を用いて、病気平癒や安産祈願といった個人的な願いにこたえ、天台僧は、中臣祓を用いて「六字河臨法(除呪の修法)」などの新たな修法を作り出しています。現在でも東大寺修二 . . . 本文を読む
今日は大極殿において百僧が風雨順次と豊年を祈り大般若経を転読した日です。承和元年(834) 六月己酉(30日) 「百僧を大極殿に延て三ケ日を限り、大般若経を転読す。甘澍を祈り兼ねて風災を防がんが為也。」 (続日本後紀) . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の10/16
十、或持經者示現を蒙る
鎮西肥前國背振山(福岡県と佐賀県にまたがる脊振山系一帯は、古くは霊山として多くの修行僧が暮らす山岳密教の修験場であったため、その痕跡が多数みられる。「脊振山」は江戸期までは山系一帯にある坊の総称であった。現在の脊振山山頂は「上宮獄」と呼ばれていた。隣山である千石山の中腹(佐賀県側)に今も残る霊仙寺跡(現・吉野ヶ里町文化財)は脊 . . . 本文を読む
今日は大祓の日です。全国の神社で大祓式(注2)や茅の輪くぐり(注1)が行われます。これは、日常生活上の罪穢を祓い流し、今後の国体の鎮守を図る意味があるとされます。現在の大祓は養老律令・神祇令によるものといいます。養老律令・神祇令十八 大祓條に「凡六月十二月晦日大祓者。中臣上御祓麻、東西文部上祓刀讀祓詞、訖百官男女。聚集祓所中臣宣祓詞、ト部為解除」とあります。毎年の 6月と12月の晦日に中臣が祓の麻 . . . 本文を読む
古今著聞集 神祇第一「貞崇法師(注1)勅に依りて念仏の時稲荷神託宣の事」
(延長八年(930年)醍醐天皇は危篤となり、朱雀天皇が九月二十二日に践祚。醍醐天皇は九月二十九日に崩御されています。貞崇法師の「勅に依りて念仏」とはこの時のことではないかと思います。)
「延長八年930六月廿九日夜、貞崇法師、勅を承りて、清涼殿に候ひて念仏し侍りけるに、夜やうやう深て、東の庇に、大なる人の歩む音聞へけり。 . . . 本文を読む
古今著聞集「北野宰相輔正(注1)安楽寺に塔婆を造営の時聖廟託宣の事」
「北野宰相殿は天神四世の苗裔也。圓融院(注2)の御侍讀として道の文譽ゆゆしくおはしましけり。天元四年981に太宰大貳に任じて同五年九月に府につきて安楽寺(注3)を巡礼し給けるに堂舎かずありといへとも塔婆いまたみえず建立の願もとより有けるによりて造営をはしめられけり。聖廟悦ひおほしめしける故に永観二年984六月廿九日の御託宣に云 . . . 本文を読む
承和二年(835) 六月癸卯(29日)「 勅す、当今に嘉穀初秀にして秋稼まさに実らんとす。風雨失時の如きは、恐くは損害を致さん。宜しく十五大寺常住僧をして各の本寺において、大般若経を転読し其の霊護を憑(たのま)しめよ、必ず豊稔を致さん。」 (続日本後紀)
(この頃も、
続日本後紀 / 承和元年(834)二月「辛丑(廿日) 越後国飢 振給之」
続日本後紀 / 承和元年二月「丁未(廿六日) 石見 . . . 本文を読む
史料綜覧巻七 / 応永二十九年(1422)六月三十日条「三十日・・・幕府 三宝院満済ヲシテ 水天供を修シテ 雨ヲ祈ラシム」天皇は称光天皇。室町幕府は足利義持。(義持はこの後応永三十年には出家。禅の奥義を極めるためだった。出家後、頻繁に寺社への参詣を繰り返した。)(満済は権大納言今小路師冬の息。足利義満の猶子となり,醍醐寺の実済,隆源の法を継ぎ三宝院門跡。醍醐寺第 74代座主 ,同 16年東寺一長者 . . . 本文を読む
.史料綜覧巻五 / 文永元年(1264)六月廿九日壬申条「廿九日壬申 祈雨の為に東寺灌頂院に於いて孔雀経法を修せらる。 阿闍梨長者僧正道勝。」天皇は亀山天皇。鎌倉幕府は宗尊親王、執権は北条長時。道勝は密教大辞典によると「1222~1272.東寺長者。一に勝寶院大僧正と号し、後に安楽園と称す。西園寺太政大臣實氏の息。・・保寿院宮僧正道守に出家、高野山明寂に諸尊法軌を受く。・・道守より保寿院流の寶篋を . . . 本文を読む
日本紀略 / 応和元年(961)「廿九日辛酉 雨降 御読経之感応也」これはその前の日本紀略を読むと、19日から東大寺で七大寺の僧百八十口を請じて大般若を転読して祈雨していたが28日の結願になっても法験がなかったので二日延期して修していたもの。 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 2/14巻の9/16
九、盛高生活
散位賀茂の朝臣盛孝(ママ)は天性慈心にして殺生をせず。道心純一にして毎月廿四日に持斎精進して一心に地蔵菩薩を恭敬し奉ること止むことなし。年四十三の時、俄かに病を受けて死去しけるが即時に火坑に入り頭は地を頂き足は天を踏みて倒に墜る。其の速きこと矢の如し。忽ち猛火の勢眼に見えて叫喚するこえ耳に響き四方に震動して天地も一に崩れ大山もこれがために . . . 本文を読む
今日は益信が神泉苑で請雨経を修し祈雨した日。日本紀略に「寛平三(891)年六月 二十八日『似律師益信,修請雨経』」益信は石清水八幡宮の開基の大安寺行教の弟。大師の直系で東密広沢流の祖 。諡号は「本覚大師」。門下に寛平法皇。 . . . 本文を読む
日本紀略 / 天禄三年(972)六月廿八日乙卯条「廿八日乙卯 神泉苑御修法結願之間 無風なり。件の院の南門顚倒了んぬ。 大雨降る。 効験有り。 度者を給ふ。」(この前の二十日には「遠江阿闍梨元杲(注)、神泉苑に於いて請雨経法。九箇日を限る」とあるのでこの結願が二十八日だったのでしょう。(注。元杲は密教大辞典に「914~997.醍醐延命院の学匠。字は真言房。一に延命院僧都と号す。藤原雅楽助農省の子。 . . . 本文を読む