「不条理は最大のチャンス」の実例16
密教の行法では必ず「性相空なるがゆえに・・」という観想を行います。これは「現象も本質すらも絶対不変ではない、縁によって変幻極まりないものである」との意味でしょう。まさに以下の諸例はすべては変化するから心配ないと示しています。
1、「新規事業開発のベースに置いているのは、ずばり「不」の解消です。不平、不満、不利、不都合、不合理 . . . 本文を読む
「大乗仏教の根底には『空』の思想がある。特に我(主体的存在)の空のみでなく、法(客観的存在)の空をも説いたことが部派佛教とは決定的にことなる点であった。『我空法有』に対する『我法俱空』あるいは『人法二空』の立場こそ、大乗の世界観の核心である。・・主体的存在として構想されている我も、事物を構成する要素的存在として想定されている法も、一切はなんら本体を持つものではなく、空・無自性で、ゆえに仮のもの、幻 . . . 本文を読む
障害児は『福子』であること
1、Mさんから「障害児を明治以前の日本社会は『福子』と呼んだ。彼は其の家や地域に福を齎す存在で、彼を疎略にすると、その人に対しては彼が疫病神や貧乏神に転じる」という素晴らしい記事のご紹介がありました。https://ameblo.jp/chousyu-jin/entry-12521049913.html
2,「古事記」によれば、「ヒルコ神」(後の民間伝承で恵 . . . 本文を読む
Q、いじめがひどくて悩んでいます。何とか抜け出せる方法は?A,結論です。「念彼観音力、還著於本人(ねんぴかんおんりき げんじゃくおほんにん)」と唱えることです。「観音様を念ずれば、この害はかえって必ず加害者に返っていく」との意味です。これを常にいじめを受けている最中も唱えれば必ず加害者に害が返っていき、救われます。また観音様の御真言は「おんあろりきゃそわか」です。この御真言もあわせてお唱えするとい . . . 本文を読む
「『いのちは祈りである』私が本当の意味で仏教に出会ったのはこのことばに出会ったときであった様に思われます。この言葉は脳死について考える集まりで藤元正樹先生が言われた言葉です。」(「大法輪・二月号」姫路医療センター小児科医・真宗大谷派僧侶、梶原敬一)これを敷衍すれば「人生は祈りである」といえましょう。祈ることができる人の人生はそれだけで素晴らしい人生です。わたしも祈りによって救われ、人にも少しだけで . . . 本文を読む
本朝高僧傳及び日本霊異記に見る元興寺沙門智光
1,本朝高僧傳・和州元興寺沙門智光傳
「釈智光は河州の人なり。智蔵に従て三論旨を受く。性情純真。普く経論を渉り元興寺に住し空宗を講説す。同寺の頼光、亦智蔵を師とし、俱に令名あり。暮年誓ひて言語を絶し観想を凝らして数年にして卒す。光(智光)歎じて曰く「頼は少年から親友なり、受生は何方の土なるかを知らず」と。追憶輟せず。夢に頼の居に到る . . . 本文を読む
今日は十斎日で六斉日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守 . . . 本文を読む
本朝高僧傳・続日本紀に見る法隆寺沙門行信
(行信は奈良時代の僧。天平十一年739,法隆寺東院伽藍を創建。同院には天平肖像彫刻の傑作行信僧都像を伝える。著書に『仁王経疏』『最勝王経音義』『略集諸経律論等中翻梵語疏』等。天平勝宝六年十一月,厭魅の罪で遠流に処された薬師寺僧行信と同一人物の可能性が高い。)
1,「本朝高僧傳・和州法隆寺沙門行信傳」
「釈行信、温良にし . . . 本文を読む
ダライラマ法皇法話ネット中継:講演「困難な時に幸せを見出す」
2022年1月25日
12:30 - 13:30
http://www.dalailamajapanese.com/live . . . 本文を読む
本朝高僧傳「和州龍門寺沙門義淵傳」
「釈義淵、姓は岡連氏。和州高市郡の人。父母子無く観音に祈り、一夕庭際に呱聲有るを聞く。入りて覓に帛嬰児を包て籬に在り香気芬郁たり。収養して早長す。天智帝勑して太子に随ひ共に内宮に育す。天成頴悟、好んで佛書を玩ぶ。勑して出家俾(せし)む。元興寺智鳳に随ひ成唯識を学び諸方を遊訊益々玄緻を究む。宇陀郡に於いて龍門寺を開構し盛んに法相を弘む。學徒閭闔、業を受くる者、玄 . . . 本文を読む
「真言宗義章」(真言宗各派聯合法務所編纂局 1916))
・はしがき
(「真言宗は大日如来の直接説かれた教えであり弘法大師がこれをお伝えになった。この教えは、衆生も佛であるとの教えであり、過去現在未来を超えた教えである。曼荼羅に投華得佛して所縁の仏を感得すれば、機根の優れたものは即身成仏し、教えにより利益を蒙る者は浄土に往生する。この教えは現象即真理の教えであり、鎮護国家の教えである。故にこの . . . 本文を読む
中論観三相品第七・三十五偈
「問て曰く、経に説かく、有為法に三相あり、生住滅なり。萬物は生法を以て生じ住法を以て住し、滅法を以て滅す、と。この故に諸法あり。答て曰く、爾らず、何となれば三相は決定なきがゆえに。この三相は是れ有為にして能く有為の相を為すとやせむ。是れ無為にして能く有為の法を作すとやせむ。二俱に然らず。何となれば
「若し生これ有為ならば則ち應に三相を有すべし。若し生がこれ無為ならば . . . 本文を読む