観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・20/27
四、十九説法の事。
現身が丗三身ならば同じく説法も丗三なるべし。何ぞ十九の説法を挙るやと云に、經文には略して餘多の身を一處に挙げて其の下に一の説法を挙なり。故に經文に「而為説法」と云處十九ある故に十九説法と云なり。實には現身の如き説法の説法もあるべきなり。十九説法の相皃(相貌)の事。佛身を現じては阿耨菩提の法を説き、又佛身を現じては十二因縁を . . . 本文を読む
華厳経巻三十一佛不思議品第二十八の一「・・一切諸仏はすべては不生不滅でそれを受け取る存在と云うものはないことを知り、色受想行識も不生不滅であり、すべては皆悉く実体はなく知覚もないと知る。宇宙の所有者はなしと知って而もまた一切のものの姿を壊すのでもない。一切はそれを起す者があるのでもなく、悉く虚空の如く、一切のものは実体がなく従って業の報いがあることもなく、学ぶものも無く、成就ということも無く、数も . . . 本文を読む
今日は平安末期の真言僧興然師の示寂された日です。以下密教辞典等によります。読み方は、こうぜん・こうねん。字・理明坊・勸修寺御坊・慈尊院阿闍梨。生年:保安2(1121)、没年:建仁3.11.30(1204.1.3)。勸修寺慈尊院二世。寛信に随って両部大法・護摩・諸尊儀儀軌等を学び、念範・実任・亮薫等から受法8回、真言系各派の密教修法を再び統合し後世に伝えるために,多くの儀軌や曼荼羅・図像を精力的に収 . . . 本文を読む
「本朝皇胤紹運録」(第九十八代・北朝三代崇光天皇)「明徳三年1392十一月晦、御落飾。法諱勝圓心」
崇光天皇・・・14世紀、北朝第三代の天皇。在位1348〜1351。光厳天皇の第1皇子。足利尊氏が南朝にくだったため廃位される。のち、南朝方に捕らえられて賀名生(あのう)に移され、さらに帰京して出家。 . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・19/27
三、 三十三身の義の事
別の丗三身とは十界に三諦を具れば丗、観音の三諦を加て丗三身と云に、所詮種々無量の身を現じて衆生を利益し玉へども十界の身を現じ玉ふ外には之無き故に丗三身と云も外には之無し。而に衆生自然と観音の利益に預かる事たとへば月も下り下らず、水も上り上らず、而も . . . 本文を読む
神皇正統記には「真言第一」としつつ「為政者は諸宗を捨てず庶民教化の機をつかむべし」としています。
「神皇正統記・嵯峨天皇の条」「・・・東寺は桓武遷都の初め、皇城の鎮めのためにこれを建てらる。弘仁の御時、弘法に給ひてながく真言の寺とす。諸宗の雑住を許さざる地なり。
此の宗を神通乗と云ふ。如来果上の法門にして諸教に越えたる極秘密と思へり。就中我国は神代よりの縁起、この宗の所説に符合せり。(大師の作 . . . 本文を読む
昔尼僧もどきの作家が不倫を奨励するような発言をしているのがネットに出ていたことがありますがとんでもありません。十善戒は僧俗問わず基本中の基本ですしその中でも不殺生、不偸盗、不邪淫は最も重いとされています。古来「邪婬は國を亡し家を亡す」とされています。人倫のみだれは文明を滅ぼしてきたことは歴史の証明する所です。また「家運が下降をたどるという場合は必ず先祖に色情問題がでている」とされます。以下引用して . . . 本文を読む
六歳日には天皇陛下も御精進されていたこと。
「年中行事御障子文」(太政大臣藤原基経が仁和元年885に衝立障子に宮中の年中行事を列記して書き出し光孝天皇に献上したもの。内裏の清涼殿に置かれた。)に「毎六歳日(8日・14日・15日・23日・29日・30日)、御精進幷殺生禁断の事。毎十八日、二間観音供事」とあります。 . . . 本文を読む
印融法印の時世の歌
高野春秋に「(永正十六年)秋は八月十五日夜、印融闍梨、武州烏山観護寺(また三會寺)に入寂。融師とは武州久保の人也。幼若に登山。事教業成。無量光院に入る。開講撓はず。議論玄に入る。筆記勝計すべからず。晩年関東に遊説。談林を興し論場を創る。平生書籍を捨てず、恒に烏山三會寺に居し時々隣里他山講義の毎に小牛に乗る。而して其の牛角に巻帙を架し行々熟覧焉。辞世歌に曰く「生まるるも阿字(梵 . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・18/27
二、祇陀末利唯酒唯戒の事。(「未曾有因縁経」では祇陀太子や末利夫人が不飲酒戒をやぶって飲酒しても戒を守ったことになるとしている)。
天竺の舎衛國の祇陀太子の后阿首舎國第一の美人也。名をば末利婦人と申す也。しかうに祇陀太子大酒ありて酒を飲玉はざる時は以ての外に機嫌あしふして臣下を殺し非道を行玉ふ。故に后は常に能き肴を求め酒を調へ用意して太子に奉 . . . 本文を読む
佛説大輪金剛總持陀羅尼經
如是我聞。一時、佛、王舍城耆闍崛山中にいまして大比丘衆千二百五十人と倶なりき。復た菩薩摩訶薩三萬六千ありて上首たり。爾時世尊、般涅槃に臨む後、佛法滅せんとする時、比丘比丘尼優婆塞優婆夷天龍八部、前後に圍遶し共に會して説法せんと。爾之時にあたり執金剛神ありて其の法要を問ふ、「世尊般涅槃後、總持の法
門云何んが受持せんや」。佛執金剛神に告げたまはく「善哉善 . . . 本文を読む
今日は親鸞聖人ご入滅の日です。「弘長2年(1262年)11月28日 、押小路南 万里小路東にある実弟の尋有が院主である「善法院 」にて、享年90(満89歳)をもって入滅。臨終は、親鸞の弟の尋有や末娘の覚信尼らが看取った。遺骨は、鳥部野北辺の「大谷」に納められた」(ウキペヂア)とされます。東本願寺では21日から28日まで報恩講を営んでいます。不十分な知識ながら、親鸞聖人はわれわれに『業』のどうしよう . . . 本文を読む
観音經功徳鈔 天台沙門 慧心(源信)・・17/27
一、丗三の釋の事。三聖六天小王四性四部四姓女童男女八部金剛神也。三の聖とは佛身・声聞身・縁覚身也。初に佛の事両巻の疏に云、先ず佛を明かすは應佛とやせん化佛とやせん、但し聖人物に逗するに具に二義あり。若し一時に忽ちにあるを名けて化と為し、始終に應同するを名けて應と為す。此の文を尋が為に應の義を明かす。機縁の宜しきに随って應化身を現ずること不定なり . . . 本文を読む
宮澤トシは1922年(大正11年)11月27日24歳で逝去しています。
「永訣の朝」(宮沢賢治)
「けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
. . . 本文を読む
「(日本霊異記)卅四、怨病忽ち身に嬰かかり、之に因りて受戒行善して以って現に病を愈すことを得る緣」
「巨勢呰女(こせのあさめ)者,紀伊國名草郡埴生里之女也。以天平寶字五年761辛丑、怨病身に嬰(かか)り,頸に癭肉疽を生じ、大苽の如し。痛苦切るが如くにして歷年不愈。自ら謂へらく、「宿業の招く所ならむ,但だ現報にみには非じ、滅罪し病を差(いや)すよりは,善を行はむには如かじ。」と。剃髮受戒し袈裟を著 . . . 本文を読む