今日は夢窓疎石示寂の日です。夢窓疎石は1351年(正平6年/観応2年)の今日9月30日77歳で示寂されています。南北朝時代の臨済僧。9歳から密教を学び,18歳で得度,東大寺で受戒。 20歳で建仁寺の無隠円範に参禅。のちに後醍醐天皇や足利尊氏の帰依を受け恵林寺、臨川寺、天龍寺などを創建。弟子に義堂周信や絶海中津等。諡は夢窓国師。正覚国師。心宗国師。普済国師。玄猷国師。仏統国師。大円国師。 通称は七朝 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の6/13
六、病苦に易給ふ事
筑後國天来と云処に有徳の女房一人侍りしが心ざまほのめきよしなごころをさきとしければ心にかなふ夫もなし。常に独りすみけるが漸く年もかたぶきければ心ならずも髪をそり尼の皃(姿)にぞ成ける。元より真実棄恩の入道にあらざれば或僧に向かってなまぬれたる後世をぞ問ける。僧いはく有罪無罪おしなべてすくひ玉ふは諸の佛菩薩に超へ地蔵尊こそめでたく御在 . . . 本文を読む
今日は国学者本居宣長の命日です。宣長は享和元(1801)9月29日 72歳で没しています。
ここで言いたいのは宣長は決して仏教を排斥していなかった、ということです。
宣長の墓は二つあります。いずれもお寺の境内にあります。しかも一方には自身も含めて一族の戒名が刻まれています。
まず亡骸は、宣長の遺言書に従い松阪市山室にある妙楽寺(宣長の菩提寺樹敬寺の隠居寺)の山内に葬られ、墓石には「本居宣長之 . . . 本文を読む
ミュンヘン会談は
1938年9月29・30日、ドイツ・ミュンヘンにおいて、当時チェコスロバキア領であったズデーテン地方をナチス・ドイツに割譲することをチェコ抜きで決めたイギリス、フランス、ドイツ、イタリアの四国会談。
会談は、9月29~30日に行われ、戦争を恐れたチェンバレン等の指導者はヒトラーの要求を大幅に受け入れる形で、ズデーテン地方のドイツへの割譲を決定した。これはドイツ . . . 本文を読む
以下曹洞宗のホームページ等によります。「9月29日は永平寺開祖道元禅師・總持寺開祖瑩山禅師の両祖忌です。道元禅師は、建長5年(1253)8月28日に、京都高辻西洞院覚念邸で、54歳で示寂され、瑩山禅師は、正中2年(1325)8月15日に、石川県羽咋市の永光寺にて、58歳で示寂されています。両禪師の示寂された両日を、太陽暦に換算したところ、いずれも9月29日となり、曹洞宗では両祖大師のご示寂の日とし . . . 本文を読む
・続日本紀・天平二年730九月庚辰(29日)「(聖武天皇)詔して曰く・・・又、法を造りて禽獣を捕こと、先朝禁断す。・・しかるに諸国なほ法籬を作して擅(ほしいまま)に人兵を発し、猪鹿を殺害す。計(はか)るべき頭数なし。直に多く生命を害するのみに非ず、實に亦た章程に違犯したり。宜しく諸道に頒ちて並びに湏(すべから)く禁断すべし。」 . . . 本文を読む
日本曹洞宗太祖瑩山禅師は、正中2年(1325)9月29日、62歳で遷化されています。以下ウキぺデア等に依ります。禅師は13歳のときに永平寺で懐奘禅師について得度。義介禅師、越前大野の宝慶寺の寂円禅師、京都・万寿寺の宝覚禅師、東福寺の東山湛照や白雲慧暁禅師、紀州由良の興国寺の心地覚心禅師等についてご修行。その後、義介禅師に「平常心是道」の逸話を聞いて大悟され、義介禅師より印可を受けられています。生 . . . 本文を読む
史料綜覧 十一巻 / 天正十年1582九月廿九日条「廿九日 筒井順慶 興福寺中﨟ト為リ 米千石ヲ春日社ニ寄附シ 修理ノ資ニ充ツ」筒井 順慶は戦国大名。信長・秀吉に仕える。大和筒井城主、後に大和国郡山城主天正十年(1582)六月二日には本能寺の変がおこりがその後、光秀と親しかった順慶は洞ヶ峠をきめ込む。この寄進を行った頃は秀吉の家臣となり、大和の所領は安堵されていた。 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の5/13
五、建長寺地蔵蝦夷嶋遊化の事
往日鎌倉に安藤五郎とて武芸に名を得たる人ありけり。公命によりて夷嶋に発向し容易(たやす)く夷敵を亡ぼし其の貢をそなへさせければ、日本の将軍とぞ申されければ夷ども年毎に貢をぞ奉りぬ。爰に彼の五郎年来地蔵を信じ長さ三尺(90㎝)の地蔵を造立安置し奉り誦経礼拝をこたらず信心底にとほりて、双人更になかりける。或時件の夷ども年貢上納 . . . 本文を読む
三密行の霊験を助ける十善戒
「三密行の霊験は計り知れないがそれを助けるのが十善戒」(真言宗義章より)
(要約・密教の身口意の三密の行には罪障消滅の功徳も備わる故に罪業深重の者も一たびこの法に入り菩提心を生じて真言念誦する時は無始以来の罪障は即消滅する、がこれから作る悪までも消滅することはできない。故に密教に入りて三密の妙行を修しても、後に恣に悪行を行ずれば覚る以前に先ず地獄の罪人となる。大日如 . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 9/14巻の4/13
四、白髪黒髪に轉ずる事
中古大和國三輪と申す所の旁に神女の孫にて侍る女年十六歳にぞなりける。父は藤原氏の人なるが世の乱れに成り下りて地下人(庶民)と成りけり。母は神女なり。然るに彼女生得髪の白きこと老女の如し。こはいかなる罪障やらんとあけくれ是を哀しみ常々神前にて此事を祈りけれども神女心の求少しも験なし。長谷寺近ければ常に参りて此の事をのみ祈りけるが、 . . . 本文を読む
霊魂不滅論 上田照遍
「山僧阿國に生まれ、幼歳に出家し孜々として仏教を学ぶ。儒を学ぶと雖も傍として耽らず。若冠の時より明師を尋ねて諸国に周遊し、倶舎・唯識・因明論・華厳・天台等の疏章を学ぶ。三十の歳より此の河内の山中に錫を留めて密教を精研す。慮らず今年七十六の壽算を重ぬ。近頃若年の僧四方より尋ね来りて我が講を開かんと請ふ。因って常に講座虚日なし。聴者時々人魂滅不の議論を作し、而して決択を予に問 . . . 本文を読む
・今日天長元年824九月二十七日は高雄山寺が神護国祚真言寺と改称された日です。この時お大師様51歳。類聚三代格に「太政官符/応以高雄寺為定額并定得度経業等事/右正五位下行河内守和気朝臣真綱等上表偁、昔景雲年中、僧道鏡辱僣法王之号遂懐窺覦之心、遍邪幣於群神、行権橘於侫党、爰八幡大神痛天嗣之傾弱、憂狼奴之将興、神兵交鋒、鬼戦連年、彼衆我寡、邪強正弱、大神歎自威之難当、仰仏力之奇護、乃因御夢請使者、有勅 . . . 本文を読む
「孔雀経法記」「康和四年1102九月二十七日、近日天変あり。件の変を消さんが為に、鳥羽北殿において勤修御。大阿闍梨御室覚行法新王、伴僧二十口の内、僧綱三口。同十月十三日御結願了。」天皇は堀河天皇。このころ特段の天変地異は記録なし。覚行法親王は、平安時代中期から後期にかけての真言僧。白河天皇の第二皇子。中御室とも称される。真言宗仁和寺の第3世門跡。永保3年(1083年)に仁和寺性信入道親王の下で出家 . . . 本文を読む
後拾遺往生伝「入道二品新王、諱師明は長和天皇第四子、母は大納言左近衛大将濟時の女也。皇后夢みるに胡僧来りて云ふ、『将に皇胎に託すべし云々』。后懐孕の間、口より葷羶(くんせん・なまぐさ)を去り、心精進に住す。寛弘二年1005六月一日託生す。誕生の時、室に神光あり。幼稚の間、仡(いさましき)こと巨人の如し。同八年、天皇受禅す。十月五日、立て新皇となる。生年七歳。長和六年1017、天皇昇 . . . 本文を読む