第三章 さとりの心
第二節 かくれた宝
三、この仏性は尽きることがない。たとえ畜生に生まれ、餓鬼となって苦しみ、地獄に落ちてもこの仏性は絶えることがない。
汚い体の中にも、汚れた煩悩の底にも仏性はその光を包み覆われている。 . . . 本文を読む
第三章 さとりの心
第二節 かくれた宝
二、人々はこの本来備わっているさとりの仏性にそむいて、煩悩のちりにとらわれ、ものの善し悪しの姿に心を縛られて不自由を嘆いている。
なぜ人々は本来悟りの心をそなえていながらこのように偽りを生み、仏性の光を隠し、迷いの世界にさまよっているのか。
昔ある男が、ある朝、鏡に向かって自分の顔も頭もないのにあわてて驚いた。しかし顔も頭もなくなったのではなく、それは . . . 本文を読む
第三章 さとりの心
第一節 清らかな心
五、ここに講堂があって太陽が出て明るくなり、太陽が隠れて暗くなるとする。明るさは太陽に返し、暗さは夜に返すこともできよう。しかしその明るさや暗さを知る力はどこにもかえすことはできない。それは心の本性、本体に返すよりほかに道はない。
太陽が現れて、明るいとみるのもひとときの心であり、太陽が隠れて暗いとみるのもひとときの心である。
このように、明暗という外の . . . 本文を読む
第三章 さとりの心
第一節 清らかな心
四、すべての人々には清浄の本心がある。それがほかの因縁によって起こる迷いのために覆われている。しかし、あくまでも迷いの心は従であって主ではない。
月はしばらく雲に覆われていても、雲に汚されることもなく、また動かされることもない。
だから人は浮動するちりのような迷いの心を自分の本性と思ってはならない。
また人は動かされず汚されないさとりの本心に目覚めて . . . 本文を読む
第三章 さとりの心
第一節 清らかな心
三、もともとすべてのひとびとが、はじめも知れぬ昔から、煩悩の好意に縛られて、迷いを重ねているのは、二つのもとを知らないからである。
一つには生死のもとである迷いの心を、じこの本性とおもっていること。二つには、さとりの本性である清浄な心が、迷いの心の裏側に隠されたまま自己の上にそなわっていることをしらないことである。
拳をかためて肱をあげると、目はこれを見 . . . 本文を読む
平成23年9月14日
於:三田 仏教伝道会館 7階
福聚講 千巻心経の会
17時より18時まで、般若心経約60巻、光明真言等を唱え、東日本大震災および台風12号の犠牲者供養を行いました。
その後19時ごろまで、芦刈さんの法話を拝聴しました。
芦刈さんの法話のメモ
「即身成仏」について
1、 空海著『即身成仏義』
(1) 二経(大日経、金剛頂経)、一論(竜樹著『菩提心論』より即身成仏を証する八箇 . . . 本文を読む
なぜ葬儀が必要かにつき日蓮上人のことばがあります。
「死骨を供養せば生身即法身。これを即身成仏という。・・・さりぬる魂をとりかえして死骨に入れて彼の魂を変じて佛意となす。成仏これなり。」(日蓮上人「木絵二像開眼之事」) . . . 本文を読む