「神に願をかけたら誓いを果たすのを遅らせてはならない。愚か者は神に喜ばれない。願をかけたら、誓いを果たせ。・・・願をかけておきながら誓いを果たさないなら願をかけないほうがよい。」(コヘレトの言葉) . . . 本文を読む
「衆生、行を起こして口に常に佛を念ずれば佛即ちこれを聞し召す。身に常に佛を礼敬すれば、佛即ちこれを見給ふ。心に常に佛を念ずれば佛即ちこれを知り給ふ。衆生佛を憶念すれば、佛衆生を憶念し給ふ。・・衆生佛を称せざれば佛即ちこれを聞き給はず。身に佛を礼せざれば佛即ちこれを見給はず。心に佛を念ぜざれば佛即ちこれを知り給はず。衆生、佛を憶念せざれば、佛、衆生を憶念し給はず。・・」(観経疏)。
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佛説觀彌勒菩薩上生兜率天經(全巻書き下し)
佛説觀彌勒菩薩上生兜率天經は弥勒上生経といわれ、兜率天への昇天思想を説く。『弥勒下生経』と『弥勒成仏経』とともに弥勒三部経に数えられる。
阿逸多が十二年後に兜率天に弥勒菩薩として仏の予言通りに往生すると、兜率天上には五百万億の天人がいて、補処の菩薩(弥勒)を供養するために光輝く宮殿や宝宮を作る。天女や龍や諸神が称える。牢度跋提という神 . . . 本文を読む
佛説觀彌勒菩薩上生兜率天經(全巻書き下し)
佛説觀彌勒菩薩上生兜率天經は弥勒上生経といわれ、兜率天への昇天思想を説く。『弥勒下生経』と『弥勒成仏経』とともに弥勒三部経に数えられる。
阿逸多が十二年後に兜率天に弥勒菩薩として仏の予言通りに往生すると、兜率天上には五百万億の天人がいて、補処の菩薩(弥勒)を供養するために光輝く宮殿や宝宮を作る。天女や龍や諸神が称える。牢度跋提という神 . . . 本文を読む
・以前は亡父の遺影を見て「あの世でお父さんはどうしているかなあ」と思ってみていてもあまり一体感はなかったのですが、最近では遺影を見て「あの世でも一緒に少しでも人の為に働きたいね」と話しかけると遺影も微笑んでくれて一体感が出てきています。
・金山穆韶は「仏教における個体の観念」「涅槃は無相なれども無尽の妙用あり」とされています。
「密教にては涅槃は単寂の境にあらざることを明かさん . . . 本文を読む
Q、福を求めて祈り,お経を読むことは許されないのか?A,福を求めて祈ることは、俗事のみにとらわれているよりはましであるが、利他心をもち仏法広宣のためとしておこなうことは俗事であろうとすべてが福因となる、夢中問答集(無窓疎石)より・・・問、福を求めて仏神を帰敬し、経呪を誦持するは許さるるや?答、世の業をなして福を求むるよりも勝れたり・・。しかれどもたまたま人身を得て会い難き仏法に会うて、無上道をば求 . . . 本文を読む
エマソンはすでに150年以上前に、現代の大衆社会を「目的を持たぬ社会」(注1)といいましたが今の日本を見てもそのままそっくり当てはまります。こういう状況をとうに見通して安岡は「日本国土は神」であるといい(注2)、鈴木大拙は「霊性日本の建設」(注3)と喝破しました。(注1「大衆は金持ちになりたがっている人間だ。これがこの階級の愚かしいところだ。苦労し汗水たらしてみても結局どこにも行きつかず、いっさい . . . 本文を読む
十善業道經大唐于闐三藏實叉難陀奉制譯「如是我聞。一時佛、娑竭羅龍宮にいまして、與八千大比丘衆三萬二千菩薩摩訶薩と倶なりき。爾時世尊龍王に告げて言く。一切衆生心想異るが故に業を造ることも亦異なり。是の故に諸趣に輪轉すること有り。龍王、汝此會および大海中に形色種類各別なるを見るや不や。是のごとく一切心によりて善と不善とを造る。身業と語業と意業との致すところならざるはなし。而も心は無色にして見取べからず . . . 本文を読む
「掌の中の無限」(マチウ・リカール(分子生物学者にしてチベット仏教僧侶)とチン・スアン・トアン(ヴァージニア大教授(天体物理学)共著)から・・・仏教と同じく相対性理論もいう、「時間の経過、つまりすでに過ぎた時間も、まだ来ていない未来も、幻想にすぎない。私の未来は別の人間の過去でもあり、第三の人間の現在でもありうる」と。すべては我々の相対的運動にかかっている。時間は過ぎ去らない。ただそこにあるだけだ。
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信仰の無償性、亀井勝一郎「・信仰途上における最大の誘惑は自分一人だけ一足先に救われようとする焦燥感であろう。・・もし本当に無常に徹したならば無我になりうるはずだ。人は他のすべてに対しては無常の観念をもって臨みうるけど、己に向かってはそれを厳しく適用しない。他に対しては鋭く懐疑的でありながら己については甘い。自分の頭脳をみれば百鬼夜行の如くである。その様々の妄想を神が照覧するならば捧腹絶倒したまうで . . . 本文を読む
上宮太子御記(親鸞聖人撰述、上人が書写されたもの)「釈迦の正覚なしたまひし日より涅槃にいたりたまふよにいたるまで、ときたまへるところのもろもろのみのり、ひとつもまことにあらざることなし。始めには華厳を説いて解らしめたまふ。日のいでまず高峰を照らすが如し(注1)。つぎに阿含をのべて声聞にしらしむ。日のたかくして漸深谷をてらすがごとし。また所所にして方等の種々の経をあらわすなり。(注2)仏は一音にとき . . . 本文を読む
天皇制とは何かが最近根本から問われています。天皇陛下は日本人の霊性の象徴です。従って皇族も天皇陛下をお助けして日本国民の霊性を高める責務を負っておられます。同時に日本国民は陛下と皇族方の御心にお応えして自らも徳を高めていく義務を負っています。
雲傳神道では「天皇陛下の御心得がそのまま神道である」とまでしています。
「普通の神道家は「神を祀る行事」を神道と心得ているようであるが、我が国の神は、天 . . . 本文を読む
今日は寂光大師円澄御入滅の日。
以下ウキぺデア等に依ります。
円澄・・平安前期の天台僧。法鏡行者。寂光大師。772年(宝亀三年)生まれ 837年11月27日(承和四年十月二十六日)入滅。六十六歳。
武蔵国埼玉郡の出身。俗姓壬生氏。
798年(延暦17年)比叡山に上って最澄に師事。833年(天長10年)第二世天台座主。比叡山に西塔院・寂光院を建立。また、皇太后橘嘉智子に袈裟数百枚を中国天台山 . . . 本文を読む
ネット中継:講演「慈悲の心」
2021年10月26日
12:30 - 13:30 ダライ・ラマ法王法話「慈悲の心」
http://www.dalailamajapanese.com/live . . . 本文を読む