今日は十斎日で六斉日です。
十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒) . . . 本文を読む
コロナへの対応問題等に見る最近の一連の世の混乱ぶりを見るに戦後の「個」の中途半端な高揚感が原因となっていると思われます。
「個」はそれだけでは誠に空しい存在です。個利個略の追求はすればするほど虚しいものです。「個」の存在は「全体」に裏付けられてはじめて意味を獲得できます。「真言宗読本」でも栂尾祥雲師は「本当の『我』は『全』そのものを生かす所にある」と喝破しておられます。
「一切のものが全一とし . . . 本文を読む
本朝新修往生伝「比丘尼蓮妙は河内国丹北郡東条長原郡の人也。尼壮日より老年に及び五障(楽欲障、瞋恚障、睡眠障、悪作障、疑惑障等の説あり)を鎮圧し偏に九品を欣求す。八十以降、二三年、毎日晦日天王寺に参り仏舎利を供養す。其の結願の日、舎利三粒光を放ちて照曜し、尼独り之を見、余人見ず。元永の年、子息に語りて曰く『白蓮天より下り大法会の散華の如し、汝等見ずや』と。子息等以て老爛の言と為し信受せず。此の如く相 . . . 本文を読む
ゲンドゥン・チューキ・ニマ (198年4月25日生まれ)はダライラマ14世により1995年5月14日、パンチェンラマ11世と認定されましたが、ダライ・ラマ14世による新パンチェン・ラマ認定布告後の3日後に、ニマ少年は両親とともに失踪。中国当局は「ニマ少年を保護する目的」で連行したことを認めています。今年は拉致から26年目です。チベット・ウイグル・香港・尖閣・南沙諸島・台湾等と中国侵略国家の魔手はど . . . 本文を読む
道徳や知性からは霊性的なものは出てきません。そこにはいつも対象的なものがあるので、自由がきかない、さうして霊性的直覚の法界は絶対に自由な場所です。(道徳・知性の世界と、霊性的世界の)両者の隔たりは非連続的であるから、道徳から歩みを進めて霊性へ這入りこむといふわけには行きません。この間隔は所謂嶮崖に手を撤して大死一番することでなければ飛び越えられません。合成ゴムや合成酒は作ることが出来ても桜の花は合 . . . 本文を読む
華厳経巻六浄行品第七、「・・・若し橋梁を見ば 當に願ふべし衆生 法橋を興造して人を度して不休ならしめんと。園圃を修むるを見ば 當に願うべし衆生穢惡を𦓷除(うんじょ)して 欲根を生じざらしめんと。
無憂林を見ば當に願うべし衆生 心に歡喜を得て 憂惱を永除せんと。好園池を見ば 當に願うべし衆生 衆善を勤修して菩提を具足せんと。嚴飾の人を見ば 當に願うべし衆生 三十二相をもって 而も自ら莊嚴せんと。素 . . . 本文を読む
「二十三日は勢至菩薩・不空羂索観世音菩薩・八幡大菩薩・住吉大明神・思兼と手力雄の日。
・勢至菩薩(「三十日秘仏」。密教辞典には「得大勢、大勢至、世志。観音とともに阿弥陀仏の脇侍とするのは、観無量寿経に「智慧の光を以て普く一切を照らし三途を離れ無上の力を得る」と説き、観音の慈悲に対して智慧の立場から救済するため」とする。曼荼羅図典でも「胎蔵曼荼羅でも蓮華部院(観音院)にあり、左手に未敷蓮華、右手は . . . 本文を読む
円覚寺横田南嶺管長様は「『刻苦光明』(注1)とは、『骨を刻むような苦悩がそのまま光明』という意味である」と喝破されていました。
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「大和尚奉爲平安城太上天皇潅頂文」(弘仁十三年大師が平城天皇に結縁灌頂を授けられた時の文) 「夫れ八繕の深海は修足にあらざれば其底を極ること能ず。九萬の高鳳は鵬翼にあらざれば其の頂を見るを得ず。盤薄厚地は劫火之灰滅する所、靉靆たる濃雲は猛風之搴卷する所なり。摩尼の奇珠は大龍を待ちて而も寶を雨ふらす。輪王の妙藥は鄙人に対すれば以って毒となる。何に況んや眞言祕藏は三自(三是一心の摩訶衍)を超 . . . 本文を読む
「ピアノは一台ずつ顔のある個々の独立した楽器だけれど、大本のところでつながっている。たとえばラジオのように。どこかの局が電波に乗せて送った言葉や音楽を個々のアンテナがつかまえる。同じように、この世界にはありとあらゆるところに音楽が溶けていて、個々のピアノがそれを形にする。・・」(「羊と鋼の森」宮下奈都)なにかの拍子にこの小説を読んでこの部分に惹かれました。同じように「この世にはありとあらゆるところ . . . 本文を読む
仏教学者安田理深 は 「下総たより ある老人の問と答」 (文明堂) で「生死の中にあるのが自分であるが、信心は生死を超えておる。信心が主人公であるから、信心が仏法を生活する。信心が浄土の生活者。穢土にあって浄土の生活。・・・この信心を獲ることが御利益。・・・ 」といい、臨済宗円覚寺管長をされた朝比奈宗源老師も「人間はだれでも「生死」を超えた無始無終の『仏心』の中に生かされている。いたずらに不安に . . . 本文を読む
今日は四天王寺の「聖霊会舞楽大法要」です。以下四天王寺のホームページです。
「今年の聖霊会(4/22)は無観客法要となります通常は六時堂と石舞台で行われます聖霊会(舞楽)は、コロナ対策の為、五智光院にて非公開で開催します。こちらはYouTubeライブで法要予定ですので、当日はコチラからご視聴ください。聖霊会ライブ配信」「4月22日 12時30分~聖霊会舞楽大法要。場所、六時堂 石舞台。毎年4月2 . . . 本文を読む
なぜ自分だけ不幸なのか?なぜこんなに世界中が苦しまなければならないのか?なぜこんな目に遭わなければならないのか?なぜ拝んでもお陰がないのか?聖書のヨブ記や史記の「天道是か非か」に代表的されるように古今東西人類は人生の不条理に翻弄されてきました。
最近当方もいろいろ考えることがありました。そして今までは神仏をどうしても自分の外に置いて考えることで迷ってきていたことがわかりました。今回、自他神仏すべ . . . 本文を読む
「『お寺で対談③』腸が喜んだ、「発酵食品」 / 20年の闘病生活が完治 / 探さないと決めた矢先、「冷えとり」との出会い | 発酵生活研究家 栗生隆子さん・臨済宗円覚寺派管長 横田南嶺老師」
が昨日放映されました。全体で5回あるようですが、1回目2回目は、栗生隆子さんが14歳から20年続いた壮絶な闘病生活で死線を彷徨いついに幽体離脱して死後の世界を体験し、苦しみは死後も続くことに気が付いたという . . . 本文を読む
我われの人生の苦悩は突き詰めると「個」とはなにかということに尽きるようです。自他の比較から何故自分はこのような境遇なのか、と悩むのです。
金山穆韶師の「仏教における個体の観念」には、「仏教における個体の観念を小乗、大乗、顕教密教に亙って概論すれば次の三説に帰す。一、個体の空滅に帰する旨を明かす。(小乗)二、個体の大我に還源する旨を明かす。(大乗)三、個体に即して如来常住の生を得、如来と共に永遠真 . . . 本文を読む