一言に言えば、日本には研究の仏教、倶舎、唯識、三論もあれば、思索の仏教(華厳、天台)もある。実行の仏教(律)もあれば冥想の仏教(禅、真言)もある。信念の仏教浄土もある。仏教が行く所まで行って思想進展の頂点にまで達したのは日本であることを忘れてはならぬ。これが東西の学界に認められるに至ったのである . . . 本文を読む
受菩提心戒儀一卷開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戸賜紫贈司空諡大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉詔譯
(「受菩提心戒儀」について・・密教大辞典には「空海・円仁・恵雲・円珍・宗叡請来。作者未決。廣澤方には普賢阿闍梨(龍智)作といふ。これ光明壽院道法御室自筆本の奥に普賢阿闍梨集といへるに依る。真言行者三昧耶受戒の戒儀を説く。無畏禅要と共に三昧耶戒の本軌として密宗に尊重するところなり。東密安祥寺 . . . 本文を読む
「悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。」という心理学の説があります。
之を応用すれば、
・「恵まれていて余裕があるから、人にやさしくできる」のではなく、「人にやさしくするから、恵まれて余裕があるのだ」となり、
・「幸せだから善行ができるのではない、善行するから幸せなのだ」とか
・「幸せだから人に尽くせるのではない、人に尽くすから幸せなのだ」となります。
多くの人を見てきましたが、人にやさ . . . 本文を読む
真言安心和讃
帰命頂礼薄伽梵(大日如来に帰命し奉る)
八葉四重の円壇は
一切如来の秘要にて
衆生心地の仏土なり(胎蔵曼荼羅は中台八葉院から外側に四重の構造となっているがこれは諸仏の悟りの境地であると思に、衆生自らの心をも表している)
十方三世の諸聖衆は
大日普門の別徳を
開きて示しし尊なれば
密厳国土の外ならず(諸仏は大日如来のお徳をそれぞれ顕しておりその仏国土はいず . . . 本文を読む
こういうぐあいに考えますと、日本人のやったもので、西洋の文明市場に持ち出して相当の値段で買ってくれるものは何かというと、これは大乗仏教より他にはない。今まで西洋人は小乗仏教に欺かれて、南方ビルマや、シャム、セイロンの仏教が純真の仏教であると思っていた。もちろん形式の仏教としてはセイロンの方がよいかも知れないが、しかし仏教の貴ぶべき所は仏の理想だということが分ってみると、やはり日本の仏教が一番徹底的 . . . 本文を読む
続史愚抄 / 文明十五年1483九月廿九日己未条
「廿九日己未 変異の御祈を諸社に仰せつけらる」
天皇は後土御門天皇。室町幕府は足利義尚。
文明14年11月27日(1483) には室町幕府と古河公方足利成氏が正式に和睦し30年にわたる享徳の乱が終息(都鄙合体。)
. . . 本文を読む
コロナでいろいろな挨拶の姿が映像で出ています。
先日台湾の天才IT大臣オードリータン氏の挨拶の映像を見ましたがちゃんと合掌していました。
これに比べて日本の経済人や政治家が拳骨や肘を突き合わせたり、こぶしを上に振り上げたりして挨拶している愚かな姿を見るにつけても哀れで仕方ありません。
東南アジア佛教圏では古来「合掌」があいさつの仕方でした。合掌には不思議な力があります(注1)。自他を浄化する働きが . . . 本文を読む
ダライラマ法王庁のホームページより。
「イスラム教と仏教に共通な価値としての神の恵みと慈悲の心」
2020年9月28日、12:30 - 13:30。インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラの法王公邸より、インド、ヒマーチャル・プラデーシュ州ダラムサラの法王公邸より、ダライ・ラマ法王が、マレーシアのチベット仏教文化センターとマレーシア・イスラーム青年運動(ABIM:Angkatan Bel . . . 本文を読む
足利時代、聖フランシスコ・ザビエルが日本に初めて耶蘇教を弘めたのでありますが、その時に日本に七つの大学があるといって仏教大学のことを報告している。当時大学と見てよいものが多くあった。高野山学林、三井寺学林、比叡山学林などに明了に分っている。京都に南禅寺学林、妙心寺学林かと思われるものがある。外に足利学林がある。大宮学林(熱田)がある。とにかく学問としての仏教を各宗共に大学校をおいて研究している。 . . . 本文を読む
高齢化時代には「死ぬ力」も大切、という記事がありました。(開かない時は「日本医師会赤ひげ大賞 第3回受賞者・二ノ坂保喜院長」で検索)
古来日本人は常に死ぬ訓練をしてきました。「武士道とは死ぬことと見つけたり」といい、「千早振る神よりいでし人の子の 罷るは神に帰るなりけり」(古歌)と歌い、「阿字の子が阿字の古里たちいでて、また立ちかえる阿字の古里」(真言宗ご詠歌)といってきました。生きている . . . 本文を読む
日仏会館ではフランスからレビー氏とか(シルヴァン・レヴィ。フランスの東洋学者、インド学者。1926年から1928年まで三たび日本に滞在し、日仏会館の初代所長をつとめた。「日仏会館学報」を創刊し、また高楠順次郎とともに仏教百科事典『法宝義林』の編纂を開始。)、フシエ氏(「仏教美術研究」 アルフレド・フシエ 大雄閣)とか、マスベロ氏というような学者が来て相助けて日仏仏教辞書の編纂中であります。日本 . . . 本文を読む
いま十万ばかりの借財が残っておりますが、これはその全体の仕事に比べて見れば何でもない。それは二百部売れば償える。何時か売れるだろう、何時か売れたら返せばよい。向うから破産の申請のない限りは安心して進んでいる。それにいろいろの方面からのご厚意あるお助けもありまして、どうかこうか凌いで終りまでいくだろうと思っておりますが、いかない時には無理もない、一文無しでやったのだとお許しが願いたい。今度のを一緒 . . . 本文を読む
明治十七年出版の縮刷は相当に校合してありますが、私はどうかして古写本が校合する必要があるということを立証せんとして石山寺に参りまして、同寺の天平写本(重文「石山寺一切経」)
を調べました。天平時代に朝廷で写させたのは立派なものでありますが、これは余計ありませぬ。正倉院の正語蔵(「聖語蔵」.ウキぺデアに依れば「もとは東大寺尊勝院の経蔵「聖語蔵」の一群。隋経8部22巻・唐経30部221巻、天平経13 . . . 本文を読む
水原尭栄猊下は昭和40(1965)年9月25日遷化されています。昭和33年高野山金剛峯寺座主・高野山真言宗管長に就任されています。「高祖大師伝」「高野版の研究」「高野金石図説」「弘法大師影像図考(注1)」「邪教立川流の研究」、「金剛峯寺年中行事」「法談論議要集」「中院流四度次第」「伝法灌頂法則」「真如親王御伝」などを著されています。しかしなによりその御生涯を通じて不犯だったことを我々は思い出すべき . . . 本文を読む