Q,現世利益よりも後生大事を祈るべきではないか?A, 現世利益も後生大事も自分の為に祈るのは功徳が少ない。一切衆生の救済のために祈れば無尽の功徳がある。夢中問答集(無窓疎石)より・・・11問、今生の名利を祈ることこそ愚なれ、後生の果報を祈らむはかしこしといはむや答、人の今生と思へるは前世に後生とおもひし世なり。いままた後生と思へるは後生の今世なるべし。しからばすなわち前世の祈りとてせしことは今生の . . . 本文を読む
二礼二拍手は昭和23年に宮司用に定められておりそれまでは庶民は自由に拝んでいたのです。
現在神社では二礼二拍手一礼で参拝せよということになっていますが、この根拠は昭和23年に提唱された神社祭式行事作法に基づいたといいます。「各神社が一般参拝者へ説明・指導している「二拝二拍手一拝」という作法も、この昭和23年改正の神社祭式行事作法に基くものですが・・」「明治8年に編まれた「神社祭式」において「再拝拍 . . . 本文を読む
(生物学的にも宇宙は一大生命体といえるが、霊的にも宇宙は一大霊体である。・・人生の帰趣・山崎弁栄)
「地上に発生したる生物生命は一切生物界を通じて同一の起源より出でたというも敢えて矛盾しない。・・人の生殖細胞に宿れる生命が横には広く枝から条こえだをなして弥漫し、竪には千万代に嗣続して極まりない。・・宇宙の一大生命の一分が即ち一切個々の生命である。一切個々の生命を合して宇宙の大生命である。吾人の身体 . . . 本文を読む
弘法大師号が醍醐天皇から授与(延喜21年:921年10月27日)されて今年で1100年となります。
1、 四国八十八所では記念納経・特別御開帳等がおこなわれています。
2、 高野山では様々な法会が開白されるようです。
. . . 本文を読む
道祖神は古典にも多く出てきます。いずれも、「道祖神は霊力をもっている」という内容です。
・源平盛衰記「笠島道祖神事」
(藤原実方が馬に乗って道祖神の前を通ろうとするとき、地元の民が「この神様は、御利益あること無比の神様で、賞罰をはっきりされる神様なので、下馬しなさい。」と忠告した。実方は、「ここの神はいかなる神か。」と問うた。民は「京都の賀茂の河原の西、一条の北の辺に坐す出雲路道祖神の娘なのです . . . 本文を読む
今散歩時にはコロナ対策で人込みを避けて住宅地の裏の方を歩いています。すると街並の途切れたところにはそれぞれ道祖神が祀られています。馬頭観音様、青面金剛様、お稲荷様、お地蔵様など・・。
そういえば、昔は疫病を防ぐために道祖神を祀っていたことを思い出します。
「日本 民俗事典」によると、「道祖神は、人間が集落を成して社会生活を営んだ原初の段階から自分 たち仲間の生活の安全を守るべく邪霊悪鬼の類が立 ち . . . 本文を読む
神前読経の必要性、その4
『律苑僧宝伝』に蒙古襲来時の興正菩薩叡尊の祈祷がでています。
男山八幡宮で仁王会を開き、愛染明王法を修したとき、八幡宮の中から声がして「上人が外嫡を降さんがため大法を勤修するので吾まさに祐佐すべし。」と言い終わって一筋の光が社殿から西に向かって発したのち大嵐となり、九州では兵船数万隻が沈んだ、とあります。
『律苑僧宝伝』(近江國東方山安養寺の中興開山戒山慧堅(一六四九 . . . 本文を読む
神前読経の必要性 その3、(大山光淳「神仏交渉史」
納経のある限り読経は必然であって、
・日本逸史巻三及び類聚国史巻五には、延暦十三年(794)三月戊寅に小僧都伝灯大法師位等定等を豊前国宇佐八万神、筑前国宗像神、肥後国阿蘇神に遣わして読経せしめらるとあり、
・同逸史巻十六には大同四年(809)正月乙未天下諸国に令して名神の為に大般若経一部を写し奉読供養せしめらるとある。
・同巻三十七には天長六年( . . . 本文を読む
疫病の祈祷
伝授記録等を調べていると「疫病の祈祷」がありました。密教にない祈祷はないと思っていたのでほっとしました。一部のみだしておきます。(これは罹った人への祈祷であり、毎日修法している全体的なものとは相当違いますが・・・)いずれにせよ般若心経が相当大切とされていることはわかります。
「疫病の祈祷
1、 浄三業等、如常
2、 三礼、如来唄、・・金二丁
3、 (略)
4、 (略)
5、 心経・ . . . 本文を読む
コロナ鎮静化へ向けて全国各地で祈願が行われています。一例を挙げておきます。
比叡山のコロナ終息祈願
八坂神社のコロナ終息茅の輪くぐり
熊野本宮でのコロナウイルスの終息祈願神事
日光二荒山神社でコロナの「感染拡大鎮静化祈願祭」
仁和寺でコロナ早期撲滅祈願。
また仁和寺ではお薬師様のマスクも配布されているようです。。
. . . 本文を読む
神前読経その2、(大山光淳「神仏交渉史」
神前納経の例
神社への納経、神前読経は本時代(平安)に及びて益々盛んに行われた。
・日本後紀巻十七大同四年(809)正月十八日乙未には「天下諸国名神のために大般若経一部を写して奉読供養し国分寺に安置せしむ。もし国分寺なければ定額寺においてせよ」とあり、
・類聚国史巻五には天長六年(829)五月十九日僧十口をして八幡大菩薩宮寺に一切経を転読せしめられ、同十年 . . . 本文を読む
神前読経の必要性。聖徳太子作と伝えられる「説法明眼論」に般若心経の神前読誦を進めています(注1)。また大山光淳師も「修法の時般若心経を読誦して神明に法味をささげその威徳をまして擁護を願う(注2)」としています。
・(注1)「説法明眼論」に般若心経の神前読誦を進めています。「神分品第十一
此について五種の別あるべし。
一、勧請神分 必ず須く権実の諸神を勧請し奉るべきが故なり。
二、除障神分 . . . 本文を読む
コロナの症状は咳が止まらないということのようです。昔の日本人も咳には相当悩まされていたようです。
柳田国男「日本の伝承」には「咳のおば様」として、本所の証顕寺の石像、築地の稲葉対馬守の中屋敷の石像、広島市の空鞘八幡の道祖神、川越の広済寺、甲州の八田、上総俵田の子守神社、下総臼井の石の小さな祠、高崎の大師石、長岡長福寺の十王堂等が紹介されています。昔の日本人も咳には特別に悩まされていたようです。また . . . 本文を読む
「仏説観無量壽経」
浄土三部経の一。略して『観経』とも称される。この経は釈尊在世当時、王舎城にあった事件を契機として説かれたもの。悪友の提婆達多にそそのかされた阿闍世王が、父頻婆娑羅王を幽閉し、王妃の韋提希夫人をも宮殿の奥に閉じこめた。夫人は遠く耆闍崛山におられる釈尊を心に念じると、釈尊みずから夫人の前に姿を現され、十三の観法が説かれる。この観法の中心は第九の真身観(阿弥陀仏の相好を観ずること)。 . . . 本文を読む