蒙古襲来でいかに日本人が神仏一体で拝んだかがよくわかります。 . . . 本文を読む
仏典に説く国防大蔵経典には「防衛」という語が111か所も出てきます。・例えば大般涅槃経にはお釈迦様の舎利を守るために兵を厳重に配置し防衛守護したとあります(大般涅槃經卷下「還歸入城。起大高樓而以舍 利置於樓上。即嚴四兵。防衞守護」)。・「大乗大集地蔵十輪経巻二・十輪品第二には王は・・堅固なる城郭・村坊・戌邏・国邑・王宮、広く説かば乃至は舎・羅・鸚鵡・防守の衆具を安置して国土の損失することなからしむ . . . 本文を読む
エマソンはすでに150年以上前に、現代の大衆社会を「目的を持たぬ社会」(注1)といいましたが今の日本を見てもそのままそっくり当てはまります。こういう状況をとうに見通して安岡は「日本国土は神」であるといい(注2)、鈴木大拙は「霊性日本の建設」(注3)と喝破しました。(注1「大衆は金持ちになりたがっている人間だ。これがこの階級の愚かしいところだ。苦労し汗水たらしてみても結局どこにも行きつかず、いっさい . . . 本文を読む
伊勢神宮の本地(ウイキぺヂア・神仏習合の本等による)内宮 (天照大神)胎蔵界大日如来 十一面観音 如意輪観音 外宮 (豊受大神)金剛界大日如来 阿弥陀如来 愛染明王 妙見菩薩 荒祭宮(天照大神荒魂) 阿弥陀如来 月読宮(月読尊) 地蔵菩薩 伊佐奈岐宮(伊佐奈岐尊) 金剛薩埵 滝原宮 (天照大神御魂)不空羂索観音 滝原並宮(天照大神御魂) 地持菩薩 伊雑宮(天照大神御魂) 般若菩薩 滝祭神 軍荼利明 . . . 本文を読む
神仏は一体です。古来、天照大神以前の根源神からその本地が定められてきています。「天地麗気記(弘法大師)」にみる天照大神以前の根源神、天神7代、地祇5代の本地です。①天神7代とは「 天神七葉は過去七佛(釈迦様出生以前の七仏)・・(天地麗気記)」にあることを勘案すると以下のように本地があると思われます。(なお「天地麗気記」等の他の記述も参考に本地を書きました。)1国之常立神・・・大毘盧遮那仏(如意宝珠 . . . 本文を読む
Q,両部神道とはなにか?
A,金胎両界をもって内宮外宮であると習い、諸尊を以て諸神に合す、ゆえに両部習合の神道という。
Q、このように習い合わせるという考えはどなたの考えたものか?
A,伝教大師、弘法大師、慈覚大師、智証大師等この四大師のお考えによるものである。なぜなら、かの真言の奥義を極めて神道の密意を悟り、大日本国の名を得て大毘盧遮那の実地を悟り、神代の書籍に拠って秘密の釈義を設けて、おのお . . . 本文を読む
聖武天皇の娘、称徳天皇は、天皇としてまた佛尼として神道の大嘗祭を行っています。
称徳天皇は、その時の理由を『仏法を守護するのは神々である(護法善神)から』としています。(注1、)(注2)
注1)『続日本紀』天平神護元年11月庚辰(23日)条(765)【護法善神】
詔曰。神祇伯正四位下中臣朝臣清麻呂。其心如レ名。清慎勤労。累奉二神祇官一。朕見レ之。誠有レ嘉焉。是以。天皇嘉レ曰二其心如一レ名特 . . . 本文を読む
Q,諸神の本地が様々に異なっているのはなぜ?(天照大神も本地が大日様とか阿弥陀様とか様々にいわれますが・・。そもそもだれが本地をさだめたのですか?)
A,本地は誰が定めたということはありません。聖徳太子以降聖人が様々に本地を感得されているため同じ神でも本地がことなります。
(伊勢大神宮も、金胎それぞれの大日如来と言われたり、また阿弥陀如来、観世音菩薩といわれることがあります。八幡様も阿弥陀様とか . . . 本文を読む
•四国70番 本山寺-鎮守堂あり
•71番 弥谷寺の鎮守社は蔵王大権現(寺のホームページに「蔵王権現は鎮守社にお祀りされておりますが、実際には深沙大将と呼ばれる天界の神を権現さんと観念しお祀りしております。」とあり)
•72番 曼荼羅寺-八幡宮
•73番 出釈迦寺-粟島社
• 74番 甲山寺-淡島大明神-春日神社
•75番 善通寺-五社明神
•76番 金倉寺-(天満宮と新羅神社)
•77番 道隆寺 . . . 本文を読む
•四国66番 雲辺寺、鎮守社は五社大権現
•67番 大興寺-熊野三所権現
•68番札所神恵院(本尊、阿弥陀如来)69番 観音寺(本尊正観音)は昔は琴弾八幡宮(祭神、応神天皇・神功皇后・玉依姫命)が札所。真念「四国徧禮道指南」には「六十八番琴弾八幡宮・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」には観音寺と共に書いており、「承応二年十月九日観音寺、本堂南向、本尊正観音、 大師の開基、桓武天皇 . . . 本文を読む
•四国60番札所 横峰寺(本尊大日如来)
蔵王権現を祀る別当寺だったが廃寺になり、1909年(明治42年)再興しています。したがっていまも本尊、大日如来、向って右脇佛は石仙菩薩(しゃくぜんぼさつ、横峯寺の開基)、同左脇佛は蔵王権現をお祀りしています。境内にも蔵王権現の祠があります。
澄禅「四国辺路日記」には
「承応二年十月三日
横峰寺、先麓の小松より坂のかゝり一里大坂を上る、 夫より小坂を上下する . . . 本文を読む
・四国55番南光坊。いまは札所は南光坊ですが、真念「四国徧禮道指南」には「五十五番三嶋宮、本尊大通智勝佛」とあります。また御詠歌も「この所 見し間(三島)に夢の 覚めければ 別宮とても 同じ垂迹(ここの三島宮は大三島の大山祇神社の別宮ですが同じ功徳がある)」というもので完全に三島神社が主体です。南光坊はもと大三島大山祇神社の属坊として宮浦(大三島)に建てられたものですが、正治年間(1199~120 . . . 本文を読む