今日は寅彦忌です。
寺田 寅彦は1935年(昭和10年)12月31日、57歳で逝去しています。
・「日本人の自然観」では「単調で荒涼な砂漠さばくの国には一神教が生まれると言った人があった。日本のような多彩にして変幻きわまりなき自然をもつ国で八百万やおよろずの神々が生まれ崇拝され続けて来たのは当然のことであろう。山も川も木も一つ一つが神であり人でもあるのである。それをあがめそれに従うことによって . . . 本文を読む
弘法大師の説かれた鐘の功徳です
「鐘の知識を勧め唱ふる文
それ滄海は鱗甲の潜まるところ、泰岳は翔蹄の集まることろなり。すなわち知りぬ、智池は坌塵の浴するところ、霊鐘は苦類の息ふところなり。しかればすなわち洪鐘隆んに鼓す。ただ吨王の望剣を留むるのみにあらず(付法因縁傳に、罽賦吨王が鐘音を聞き剣の地獄から救われた故事あり)、兼ねてはまた灰河の難獄を甦らしむ。故に経に曰く、一たび鐘を打ん聲ごとにまさ . . . 本文を読む
今日は大祓の日です。これは、日常生活上の罪穢を祓い流し、今後の国体の鎮守を図る意味があるとされます。現在の大祓は養老律令・神祇令によるものといいます。養老律令・神祇令十八 大祓條に「凡六月十二月晦日大祓者。中臣上御祓麻、東西文部上祓刀讀祓詞、訖百官男女。聚集祓所中臣宣祓詞、ト部為解除」(毎年の 6月と12月の晦日に中臣が祓の麻(ぬさ)を、東西(やまとかわち)の文部(ふびとべ)が祓の刀を奉り、祓所に . . . 本文を読む
真言開庫集(蓮體)第十六 真言法は鎮護国家の要法たること問。真言教は災障を払い病悩を除き、富貴を求め、寿命を延べ、安産し、敬愛し、怨敵を退け、国家を擁護し、風雨を時にかなはしめ、五穀を豊登ならしむる等の事ありと。是巫女陰陽道などの言に似たり。本説ありや。そもそもなにごとぞや。答。密教に依って修行するものは、世間出世の一切の悉地を成就するが故に、一切の諸願成就せずといふことなし。たとえば日輪は一天四 . . . 本文を読む
「真言密教は有限にして無限を生き、永劫を流るる大生命体に合一して至大至剛の力を体得し、その体得せる神秘の力を以てあらゆる災厄をはらひ、福利を増進し、ひいては即身成仏の妙果をも招来することができるとするのである。」(栂尾祥雲「真言宗の実修」) . . . 本文を読む
公事根源「追儺 (十二月)三十日 けふは儺らふ日なれば大舎人寮、鬼をつとめ陰陽寮祭文をもて南殿の邊につきて読む。上卿以下これを追ふ。殿上人ども御殿の方に立ちて桃の弓葦の矢にて射る。仙華門より入て東庭をへて瀧口の戸に出ず。今宵御前に燈を多くともす。東庭、朝餉、臺盤所の前の砌に燈台を隙なくともすなり。追儺といふ事は年中の疫癘を払ふこころなり。四目ありておそろしげなる面をきて楯矛をもつ。又侲子(わらは) . . . 本文を読む
盤珪語録「一切の境涯を離れたるを座というなり。只眼を閉じ座しいるを座禅とはいわず。・・一切の惑は念を用いるゆえに輪廻顛倒す。怒の念出るときは修羅となり、愛欲を畜生とす。物を惜しみ好むを餓鬼とす。これらを棄てずして死に去るときは永劫輪廻し、種々の形を受け替え、生死流転す。念を離れば惑いなき故に因果なし。因果なきゆえに輪廻なし。念有るうちは善を修すれば善の因果あり、悪をなせば悪の因果あり。念を放れ妙智 . . . 本文を読む
Q,仏様は、衆生の願いを聞き届けてやろう、という誓願をお持ちのはずだが、なぜ所願が成就しないのか?A,世俗の事を願わずに、悟りさえ求めて祈っておれば、仏様の力でやがて除災招福となる。俗世の欲心で祈っても佛心に反する故に願いは成就しない。(私に曰く、「一旦「空観」に徹してそののちに強いイメージを持てば善願は成就すると思われます」。)夢中問答集(無窓疎石)より・・・「佛菩薩の真の功徳問、佛菩薩は皆一切 . . . 本文を読む
明治35年3月22日、熊楠より土岐法龍あての手紙。「・・・霊魂の死不死などは題からして間違っておる。神道ごとき麁末なるものにすらアラミタマ、クシミタマなどということがある。神にまた魂魄ある説なり。魂と魄の別などは太古から支那にあったらしい。すでに霊魂といわば不死をのみこんだ下題なり。もし人間の人間たる所以の精(エッセンス)が死か不死かとの説ならんには予は他の動物とかわり不死と答うべし。・・・康熙な . . . 本文を読む
讃観世音菩薩頌和釈・・20/20
得術空行
「若有欲得長生術 坐臥雲間恣空行 由彼常念觀音故 當獲神呪及仙藥」
若し行が長じて術を得て雲間に坐臥したり恣に空を走り行んと欲ふもの、 常に觀音を念ずるに由るが故に其の術通を生ずる神呪及び仙藥を得となり。
法道仙人は天竺の霊鷲山の五百の一にして大悲呪を持ちて飛行通を得たり。はるかに唐土を経て空を凌ぎ遠く日本に渡り、初めに播磨の法華山に下り一条寺を . . . 本文を読む
日本紀略 / 延喜十七年(917)十二月廿日乙丑条「冷泉院池水亦枯る。勅して神泉苑東北門を開かしめ、人をして斉しく泉水を汲ましむ。
廿六日辛未、井泉枯盡すに依り京畿、火急を告ぐの間、祭主神祇大副大中臣安則を召して、祭文し給く。神祇官に於いて伊勢以下の諸社に祈申せしむ。
廿七日壬申 、雨降る。 衆人神祇を仰ぎ聖徳に感ず。」
天皇は醍醐天皇。 . . . 本文を読む
今日は八幡大神が大仏鋳造直後の東大寺を拝された日
大仏鋳造直後の天平勝宝元(749)年十二月二十七日八幡大神とお供の宇佐宮の女禰宜・大神杜女(おおがのもりめ)が大仏を拝するため、紫の輿(こし)に乗って転害門(てがいもん)をくぐりました。この時、孝謙天皇・聖武太上天皇等も東大寺に行幸し、左大臣橘諸兄に読み上げさせた詔に、「去し辰の年、河内国大県郡(かわちのくにおおがたのこおり)の智識寺に坐る盧舎那 . . . 本文を読む
大谷光瑞(鏡如)上人は、浄土真宗本願寺派本願寺明如宗主(第二十一世)の長男として明治9年12月27日誕生。妹は九条武子(柳原白蓮、江木欣々とともに大正三美人と称され、仏教婦人会や京都女子大を創設)。妻は大正天皇の皇后・九条節子の姉・籌子(かずこ)です。大谷記念館の記述によると「天資英邁にして気宇広大。28歳で二十二世の法灯を継ぎ、39歳で辞任するまで、視野を広く注ぎ、教団の国際化をはかるため、仏蹟 . . . 本文を読む