天長元年3月2日は大師が「平城の東大寺において三宝を供養する願文」を草された日です。「平城の東大寺において三宝を供養する願文弟子苾芻空海等三宝に帰命し奉る。法身いずくにかある、遠からずしてすなわち身なり。智体いかん、わが心にして甚だ近し。本より来た無去にして鎮えに満月の宮に住し(もとより無始にして胎蔵界理法身の宮殿に住し)、いま不生にして赫日の台に常恒なり(金剛界智法身の台に常恒である)。摂下の迹 . . . 本文を読む
今日天長五年二月二十七日は大師が「伴按察平章事が陸府に赴くに贈る詩」をお作りになった日です。((日本後記・天長五年二月に)「甲寅,賜鎮東按察使-伴朝臣-國道餞.有御製.賜衣被及雜珍玩物」とあり。)「伴按察平章事が陸府に赴くに贈る詩」夫れ膚寸(雲)南北に心なけれども風に遭ふときは則ち飛ぶ。順の徳なり(命令にしたがう徳)。人臣東西に心なけれども命を銜ふくむときは則ち馳す。忠の至りなり。蕞爾たる毛夷(さ . . . 本文を読む
弘法大師全集にある「上宮太子廟参拝記文」です。 「上宮太子廟参拝記文 嵯峨天皇の御宇、弘仁元年河内の国の聖所に於いて道場を建立し、籠居の處を卜する之間、上宮聖王の御廟に参詣する事一百箇日也。第九十六日の夜半一霊建有。御廟洞之内に微妙の小音有りて大般若理趣分を誦す。音に応じて光明在り。爰に空海祈念すらく、この妙事誰人の所為ぞや。願わくは我に示せと。所願に応じて廟窟の前に一の光明輪あり。美妙の音有り . . . 本文を読む
秘蔵宝鑰(弘法大師)「一佛の名号を称して無量の重罪を消し、一字の真言を讃して無辺の功徳を得る。・・経法のあるところは諸仏護念し、諸天守衛す、かくのごとくの利益あげて計ふべからず((条件の整っている者は)一体の仏の名をおとなえしても重罪が消え、数あるご真言の一句でもとなえれば無辺の功徳を得る。・・仏の教えを大切にしているところは諸仏が守り諸天が護衛して下さる。密教ではこのような霊験は数えきれない。) . . . 本文を読む
今日一月十九日は大師が、渤海国大使王孝廉から書状並びに新詩一章を送られ返書を呈された日です。(高野雑筆集、弘法大師全集).弘仁六年(815,大師42歳)一月十九日の時です。王孝廉は弘仁五年渤海大使として副使高景秀らとともに渤海の前王元瑜(定王)の死と新王言義(僖王)の即位を奏上する名目で来日,方物(貢献物)を献じ、弘仁六年従三位を授けられています。学才豊かで《文華秀麗集》に漢詩(「海国来朝、遠き方 . . . 本文を読む
大師の性霊集「前の清旦州、亡妻の為の達嚫(だっしん)」には「伏して願わくは此の法力をもって先霊を開悟せしめむ」、「「諸行無常云々」もし男女あって一度此の偈を聞けばよく罪業を滅して早く善果に登る。(涅槃経の「諸行無常、是生滅法、生滅滅己、寂滅為楽」の偈を聞くとその霊魂は罪業を滅して成仏する)・・伏して願わくは此の法力をもって先霊を開悟せしめむ、妙偈加持して早く知見の源を證し、没駄護念してすみやかに本 . . . 本文を読む
弘法大師の説かれた鐘の功徳です
「鐘の知識を勧め唱ふる文
それ滄海は鱗甲の潜まるところ、泰岳は翔蹄の集まることろなり。すなわち知りぬ、智池は坌塵の浴するところ、霊鐘は苦類の息ふところなり。しかればすなわち洪鐘隆んに鼓す。ただ吨王の望剣を留むるのみにあらず(付法因縁傳に、罽賦吨王が鐘音を聞き剣の地獄から救われた故事あり)、兼ねてはまた灰河の難獄を甦らしむ。故に経に曰く、一たび鐘を打ん聲ごとにまさ . . . 本文を読む
今日12月19日は大師が「藤原園人追悼文」を撰し贈られた日です(弘法大師全集)。「法力遠近なし」とおしゃっています。「藤原園人追悼文 弘仁九年十二月凶禍常なし。伏して承る相国納言、孝養を待たずと(大納言藤原園人は子供の孝養を待たず亡くなった)。乍ち聞いて驚慟す。五内(五情、こころ)主なし。惟んみるに擗躍はん裂して(胸も張り裂け)、荼毒(くるしみ)居り難からん。痛み当にいかん。相公高年といえども、こ . . . 本文を読む
以下は「伝教大師消息」にある手紙です。
「借請
虚空蔵経疏四巻
華厳入法異品字門一帖(文殊字母加へて返畢、金剛字母返畢)
十地経二帖(廻向品・十力経を加ふ)
菩提場所説一字転法王経一帖
守護國界主経一帖(返畢)
烏樞瑟摩経一巻上下
金剛薩侘五秘密念誦儀軌
右法門来年二月下旬を限りて将に奉上せんとす。伏して乞ふ、大徳慈悲哀愍聴許せよ 稽首
和南
弘仁三年812十 . . . 本文を読む
秘蔵宝鑰「一佛の名号を称して無量の重罪を消し、一字の真言を讃して無辺の功徳を得る。・・経法のあるところは諸仏護念し、諸天守衛す、かくのごとくの利益あげて計うべからず(一体の仏の名をおとなえしても重罪が消え、数あるご真言の一句でもとなえれば無辺の功徳を得る。・・仏の教えを大切にしているところは諸仏が守り諸天が護衛して下さる。密教ではこのような霊験は数えきれない。) . . . 本文を読む
天長三年十一月二十四日、大師は東寺の五重塔建立に着手されました。大師53歳の御時です。「東寺の塔を造り奉る材木を曳き運ぶ勧進の表」です。これによると「塔を建て憧を建つるは福徳無尽なり」と仰せられています。いまでもおおくの塔が建立される所以です。東寺は桓武天皇の御願であり、歴代四代を経ても完成せず大師自ら工事現場の総監督としてあたられていました。大塔の完成をするべく諸子百官に力を合わせ、材木を東山よ . . . 本文を読む
秘蔵宝鑰のお言葉「大毘盧遮那経にいわく『悉地は心より生ず』。金剛頂経に説くがごとし、『一切義成就菩薩初めて金剛座に坐し、無上道を取證して遂に諸仏に此の心地を授かることを蒙ってしかしてよく果を證す』。およそ今の人、もしよく心決定して教えの如く修行すれば座を起たずして三摩地現前し、ここに本尊の身を成就すべし。」(大日経悉地出現品にいわく「悟り・霊験はこころより生ずる」と。また金剛頂経には「お釈迦様は初 . . . 本文を読む
今日弘仁3年11月15日は高尾山にて大師が金剛界結縁灌頂を開壇され、伝教大師・和気真綱・和気仲世・美濃種人らが入壇された日です。(「灌頂暦名」に「弘仁三年、十一月十五日於高雄山寺 受金剛界灌頂歴名 最澄・・・」としてでてきます。
「眞言付法纂要抄」にも「弘仁三年十一月十五日、高雄山寺において金剛界灌頂を修す。受者、釋最澄、大學大允和氣仲世、美濃種人等也。金剛界大法灌頂は此時を始となす。」
) . . . 本文を読む