侍ジャパンの優勝を導いた陰徳
・大谷は高校1年生の時に作成した目標達成シート(マンダラチャート)に「ゴミ拾い」を掲げていたようですが、大リーグに移ってからも試合中に折れたバットを拾い、球場のゴミ拾いをすることも有名です。また以前同名の難病の幼児「(川崎)しょうへい」君に面会し心臓病渡米手術募金に協力し募金目標を達成させたことも有名です。またHRダービーの賞金全額を寄付したことも全米で話題となりま . . . 本文を読む
国分寺建立の詔(全)『続日本紀』天平十三年三月乙巳(741年3月24日)の条「乙巳、詔して曰く、朕薄徳を以て、忝くも重任を承くれども政化未だ弘まらず。寤寐に多慙なり。古の明主は、皆な光業を能くす。国泰かに人楽しみ 災を除き福至る。何の政化を修めてか、能く此の道を臻(いた)さんや。頃者、年穀 豊かならず、疫癘頻りに至る。慙懼交も集る、唯労己の罪なり。是以、広く蒼生の為に、遍く景福を求む。故に前年、使 . . . 本文を読む
今日は道長が出家して行観となった日
「大鏡」
「・・御年五十四にならせたまふに、寛仁三年己未三月十八日の夜中ばかりより御胸を病ませたまひて、わざとにおはしまさねど、いかが思し召しけむ、にはかに、二十一日、の時ばかり、起き居させたまひて、御冠し、掻練の御下襲に布袴(ほうこ)をうるはしくさうずかせたまひて、御手水召せば、何事にかと、関白殿をはじめたてまつりて殿ばらも思し召す。寝殿の西の渡殿に出でさ . . . 本文を読む
今日寛永十六年1639、三月二十日は 覚深法親王が宮中で普賢延命法を修した日です。
・覚深法親王は後陽成天応の第一皇子。豊臣政権で新皇宣下を受けていたが徳川政権になり出家。仁和寺第21世門跡。後南御室。
この時の天皇は従妹に当たる明正天皇
覚深法親王は多くの祈祷をおこなっておられます。
寛永五年八月十六日には「仁和寺覚深親王をして、禁中に不動護摩法を修し、中宮御産の平安を祈らしめらる」(資 . . . 本文を読む
今日弘仁九年三月十九日は大師が(大師45歳)、「新羅の道者に与える詩幷に状」を書かれた日です。「新羅の道者に与える詩幷に状忽ちに筑前の大守の説を見て新羅の上人等海を過ぎて入朝せらるることを承る。喜ちょく(よろこび恥じる)何ぞ言わん。春の華灼々たり(咲き誇る)。伏して惟んみれば上人等海を過ぎて忽ちに到れり。容体如何。貧道久しく禅関を閉じて迎慰することあたわず。中心に謁を企て日夕に我を労す。聊か一篇の . . . 本文を読む
今日は故小野田寛郎氏の誕生日です。小野田 寛郎は大正11年(1922)3月19日生まれ。 (平成26 年1月16日91歳没)情報将校として太平洋戦争に従軍、太平洋戦争終結から30年、フィリピン・ルバング島でゲリラとして生き残りその後発見され、マルコス大統領に英雄として扱われ日本へ帰還。 ここでは小野田は「国も自らを貶めては、他国から信頼されない。・・単なる経済大国というのは肥えたる豚にすぎない。・ . . . 本文を読む
今日応徳四年1087、三月十八日は勝覚が武蔵国子生山に東福寺を建立した日です。鶴見区佛教会ホームページには「東福寺は1087年3月18日理源大師の法孫勝覚僧正霊夢により生麦浦より本尊如意輪観音を得てこの地に創建された鶴見で一番古いお寺です。」とあります。密教辞典によると勝覚は「1057・天喜5年から1129・大治4年。73歳。三宝院開祖。左大臣源俊房の息。幼時から仏門に帰依。醍醐座主定賢に師事。醍 . . . 本文を読む
観音様のお像を初めて造ったと思われる記録です
「扶桑略記」「(推古天皇)三年595乙卯春、土佐海岸に夜大光あり。其の声雷の如し。丗箇日をへて夏四月淡路島南海に着く。其の大きさ一囲、長さ八尺、其の香異薫、朝廷に貢献す。島人知らず薪に交て多く焼く。太子奏して曰く「是れ沈水香なり。此の木、栴檀香木と名く。南天竺南岸に生じ夏の日、諸虵、この木を相繞る。冷たき故也。人、矢を以て射る。冬月虵 . . . 本文を読む
今日から彼岸です。今年も昨年に引き続き大変なお彼岸となりましたが古来大変でないときはありませんでした。ここらでじっくりと精神を落ち着けて昔を偲ぶことも大切でしょう。五來重の「宗教歳時記」から関連部分を抜き書きします。「・・彼岸の七日間の間に「日の供」とか「日迎え日送り」をする行事は丹後や播磨に良く残っていた。村人は朝は東の方のお宮やお寺・お堂に参り、日中は南の方のお宮やお寺・お堂、夕方は西の方のお . . . 本文を読む
今日は上杉謙信の命日です。謙信は天正六年(1578年)3月13日、春日山城で49歳で急死しています。ウキぺデアのよると「青年期までは曹洞宗の古刹、林泉寺で師の天室光育から禅を学び、上洛時には臨済宗大徳寺の宗九のもとに参禅し「宗心」という法名を受け、晩年には真言宗に傾倒し、高野山金剛峯寺法印で無量光院住職であった清胤から伝法灌頂を受け阿闍梨権大僧都の位階を受けている。・・・生涯不犯を貫いた。」という . . . 本文を読む
「諸々の煩悩も、業も、身体も、また行為者も、果報も、蜃気楼のようなものであり、かげろうや夢に似ている」(竜樹・空性七十論)という言葉がありました。我々は業により様々な果報を受けていますが其のすがたも陽炎のようなものです。業のもとになる煩悩そのものが空なのですから。実体のないものにあれこれ悩むなということかもしれません。 . . . 本文を読む
お大師様は「秘蔵宝鑰・中」で「増劫の日は人皆十善を思い、減劫の年は家に十悪を好む」と書いておられます。」(減劫とは刀兵災・疾疫災・飢饉災の小の三災により人間の寿命が百年に一歳ずつ減少して、八万歳より十歳に至る期間を減劫という。 )まさに侵略戦争・異常気候・大地震・大火災等に責め苛まれている現在が減劫の真っ最中と思われます。これで望みがないのかというとしかし望みはあるとして更にそのあとに「・・時は濁 . . . 本文を読む