今日は、神秘主義思想家エマーヌエル・スウェーデンボルグ(Emanuel Swedenborg)の命日です。スヱデンボルグは1772年3月29日84歳で死去。,ヘレン・ケラー、ゲーテ、バルザック、ドストエフスキー、ヴィクトル・ユーゴー、エドガー・アラン・ポー等に多大な影響を与えたとされます。鈴木大拙も『天国と地獄』を翻訳しています。「霊界」の存在に堂々と市民権を与えたところが仏教徒からみても素晴らし . . . 本文を読む
今日は後花園天皇が大覚寺に勅封心経として残っている般若心経を書かれた日です。続史愚抄に「寛正二年1461三月二十八日、この月天下疫鐖。自ら般若心経を写経し、三宝院義賢僧正に供養さす」とありこれが大覚寺に勅封心経として残っています。(後花園天皇は伏見宮貞成親王(後崇光院)の第一皇子。称光天皇に嗣子がなかったので、室町幕府が支持して後小松上皇の猶子として践祚、翌年即位、第102代。。和歌・管弦をよくし . . . 本文を読む
日本紀略・昌泰一年898 三月二十八日の条に「疫癘を消すために十五大寺において、三箇日を限り金剛般若経一万巻を転読し、天下潔斎ならしむ・・」
(十五大寺とはウキぺデアに「平安時代のなかばから中世の末頃まで朝廷の尊崇を受けた 15の大寺をいう。2説があり,古説では東大寺,興福寺,薬師寺,元興寺,大安寺,西大寺,法隆寺 (以上南都七大寺) ,新薬師寺,本元興寺 (あるいは法華寺) ,唐招提 . . . 本文を読む
『続日本後紀』承和八年(841)三月己亥(28日)条
詔曰。聖哲、範を凝り、天心応じて以て運行す。昊穹(こうきゅう・空)鑑を演べ、人事に随て通感す。故に殷王徳を修め、桑穀自枯。宋景善崇(たかくし)て法星遽(おそれ)退す。朕、寡昧を以て、祗宝図膺、己を虚しうして精に励む。日一日慎しむ。先王経国之道、永く言(ここ)に渉求す。列聖民を綏(やすんず)るの方(みち)、載(すなわ)ち深追採し . . . 本文を読む
今日康和四年1102、3月28日は一乗坊仁覚の遷化(58歳)の日。以下ウキぺデアに依ります。仁覚は源師房の息。天台宗。慶範,明快らにまなび,惟範に灌頂をうける。園城寺・平等院・比叡山無動寺などの検校。寛治7年天台座主。 . . . 本文を読む
今日は千僧供養がはじめておこなわれた日です。日本紀略・天暦元年(947・天慶10年)三月二八日に「又、千僧供養あり、是東西凶乱を救うため也」
天皇は村上天皇。天暦元年には天然痘が流行し内裏でも感染しています。天慶四年(941)には藤原純友の乱が鎮圧されています。
千僧供養は千人の僧に供養すること。多くの場合,供養に先立ち読経などが行われて,これを千僧読経といい,このあと出席読経した僧に供養が行 . . . 本文を読む
侍ジャパンの優勝を導いた陰徳
・大谷は高校1年生の時に作成した目標達成シート(マンダラチャート)に「ゴミ拾い」を掲げていたようですが、大リーグに移ってからも試合中に折れたバットを拾い、球場のゴミ拾いをすることも有名です。また以前同名の難病の幼児「(川崎)しょうへい」君に面会し心臓病渡米手術募金に協力し募金目標を達成させたことも有名です。またHRダービーの賞金全額を寄付したことも全米で話題となりま . . . 本文を読む
「権記」「長保三年1001 三月二十八日」「此日、千口の僧、大極殿に於いて、金剛寿命経(注)を転読新写す、疫病夭死の怖畏を攘ひ、増寿命之誓を特定せんが為也、…去冬より此の春に及んで、都鄙疫疾し、命を全うする者少し。」(注)金剛寿命陀羅尼経。仏が非業の死を転じ、寿命を増長させる陀羅尼を説く。)
天皇は一条天皇。長徳五年999には、麻疹が大流行し長保に改元し、此の年長保三年の12月 に . . . 本文を読む
(延喜二年902)「(醍醐天皇)、三月廿七日季御読経」(日本紀略)
(季御読経は、春と秋に国家安泰を祈願して宮中に八十から百名の僧を招き、大般若経を転読する法会。通常4日ないし3日間の法会、2日目に「引茶」という茶の接待が僧侶に対して行われ、3日目には僧侶同士の「論義」が行われる。ただし「引茶」と「論義」は原則春季のみであった。初日ないし最終日には法会と共に各寺院の得度を朝廷から賜る儀礼が行われ . . . 本文を読む
今日は道長出家の日。
「栄華物語・うたがひ」に「・・この(道長の)御悩は寛仁三年1019三月十七日より悩ませたまひて廿七日に出家させ給へば・・」。この時の戒師は後の天台座主院源。道長の法名は行観(のち行覚)。道長は高野山・金峯山寺をはじめ各地の霊場に足しげく参拝し又法華三十講も26年間続けるなど相当信仰深かったといえます。 . . . 本文を読む
今日承和二年三月二十五日は、淳和天皇が大師御入定に際し勅使を派遣し弔問されています。高野大師御広傳に「二十五日庚午、勅遣内舎人一人。弔法師喪。幷施喪料。後太上天皇有弔書曰「真言法匠。密教宗師。邦家憑其護持。動植荷其摂念。豈圖崦嵫未逼。無常遽侵。仁舟廢棹。弱喪失歸。嗟呼哀哉。禪關僻在。凶聞晩傳。不能使者奔赴相助茶毘 言之為恨・・・」 . . . 本文を読む
今日は聖武天皇の「国分寺建立の詔」が出された日。『国分寺建立の詔』続日本紀・天平十三年(七四一)三月乙巳(廿四)に「詔して日く、朕薄徳を以て忝くも重任を承け、いまだ政化を弘めず、寤寐多く慚ず。古の明主は皆先業を能くして、国泰らかに人楽しみ、災除き福至る。何の政化を修めてか、能く此の道を臻(いた)さんや。頃者、年穀不豊、疫癘頻に至る。慙懼交も集る、唯労己の罪。是以、広く蒼生の為に、遍く景福を求む。故 . . . 本文を読む
今日は菅原道真公が法華會の願文を書かれた日
菅家文章「太上の皇勑を奉り清和院に於いて法会の願文」「弟子。帰命敬首して釈迦仏像一躯・脇士菩薩像二躯を造り奉り、幷に金字法華経八部・無量義経・普賢観経各八巻、金光明経一部を寫し奉る。所以者何んぞ。弟子眇身を奉り忝くも鴻業に當る。一天下の主の為、諸衆生の君の為に、毎願風雨調和、稼穡豊稔、國土の歓を無垢界に於いて合せ、人衆、楽を有頂天に同じくせむことを。豈 . . . 本文を読む
国分寺建立の詔(全)『続日本紀』天平十三年三月乙巳(741年3月24日)の条「乙巳、詔して曰く、朕薄徳を以て、忝くも重任を承くれども政化未だ弘まらず。寤寐に多慙なり。古の明主は、皆な光業を能くす。国泰かに人楽しみ 災を除き福至る。何の政化を修めてか、能く此の道を臻(いた)さんや。頃者、年穀 豊かならず、疫癘頻りに至る。慙懼交も集る、唯労己の罪なり。是以、広く蒼生の為に、遍く景福を求む。故に前年、使 . . . 本文を読む