「中世の神と佛」(末木文美士)より大意。
「神仏一体の形態には以下のようなものがある、
1、神は迷える存在であり、佛の救済を必要とする考え。(奈良時代からある。神を仏教でいう「天」に位置つ゛けたもの。ここでは神はまだ六道に輪廻する存在であるから、神宮寺を建て仏教に依る供養で解脱。)
2、神は仏教を守護するものという考え。(奈良時代からある。護法神という考え。東大寺大仏建立の時宇佐神宮から八幡大菩薩 . . . 本文を読む
慈雲尊者は江戸中期の傑僧です。父は高松藩士上月安範、母は徳島藩士牧養元の娘、であり13歳で田辺法楽寺忍綱貞紀和尚の下で出家、16歳で伊藤東涯等に儒学を学び19歳で野中寺に入衆、21歳で具足戒を受け、22歳で師の寺法楽寺住職となっています。その1,2年後に尊者が大乗起信論の講伝をどこからか頼まれた由、ご母堂に手紙を送ったことに対してご母堂が戒めの返事をものですおかきになっているものです。「・・事を省き縁をしりぞけ、座禅修行を心掛け、自ら生死を解脱して・・人をも利益なされ・・」といっておられます。全文です。 . . . 本文を読む
不空羂索呪心經・唐南天竺三藏法師菩提流志奉詔譯
(不空羂索神変真言経第一「母陀羅尼真言品」の別訳。
不空羂索呪を唱えることで罪障消滅・病気平癒・身上安全・後生安楽・所願成就等の様々な功徳があると説く。 )
「如是我聞。一時薄伽梵、布怛落迦山聖觀自在菩薩宮中に在り。其地、無量の寶娑羅樹・多摩羅樹・瞻博迦樹(せんばかじゅ)阿輸迦樹(あゆかじゅ)阿底目多迦(あていもくたか)等の種種の寶樹ありて周匝莊嚴せ . . . 本文を読む
「・・・果界(覚りの世界)の縁起を明かすところに密教の本領が存するのである。しかして何れの法相に依るも経の深趣は簡明に示し得ざるも、いましばらく五転の敬意に依って約述せんに五転とは発心、修行、菩提、涅槃、方便究竟にして、かの五智、五佛、五方(五智とは大日如来の五つの智慧、法界体性智、大円鏡智、平等性智、妙観察智、成所作智、これを五仏・五方にあてはめると大日如来(中心)阿閦如来(東方)宝生如来(南方 . . . 本文を読む
仏様は待っている
今回は今まで祈ってきた事が全て叶いましたので、皆様にご報告をしたいと思います。
私の苦しみが始まったのはちょうど20年くらい前からだと思います。仏様に出会えてなかった10年は本当に苦しくどこにも出口はないものかと希望すら失っていました。
近くのお寺に行き、私は一人で祈り続けて一年後、高原和尚様に出会いました。
最初の頃は、祈り続け結果が出て状況が良くなるかと思えばひっくり返され . . . 本文を読む
(梵網経・四十八輕戒の四十五、不化衆生戒)
「若佛子、常に大悲心を起こし、若し一切城邑舍宅に入りて
一切衆生を見ては、應當に唱言すべし。汝等衆生、盡く應さに三歸十戒を受くべし、と。若し牛馬猪羊一切畜生を見ては、應に心に念じて口言すべし、汝是畜生、菩提心を發せよ、と。而も菩薩、一切處・山林川野に入るに、皆な一切衆生をして菩提心を發せしめよ。是の菩薩、若し教化衆生せざる者は輕垢罪を犯す。」
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(梵網経・四十八輕戒の三十、不敬好時戒)
若佛子、惡心を以ての故に、自身に三寶を謗り、詐りて親附を現ず、口には便ち空を説きて、行は有中に在り・・・六齋日(8日・14日・15日・23日・29日・30日)・年の三長齋月(正月、五月、九月)に於いて殺生・劫盜・破齋・犯戒を作さば輕垢罪を犯す。
(当時から口に空を説いても行動は世俗にまみれていた人も多かったのでしょう。自ら恥ずかしいばかりです。) . . . 本文を読む
太上感応篇(道教の経典。南宋 の李昌齢 が太上老君 (老子) のお告げをまとめて編んだ)
(第一段落 結論)
太上 曰わく
禍福は門無し。唯人自からまねく。善悪の報いは影の形に随ふが如し。
(第二段落 応報)
是を以て天地には司過の神有りて、人の犯す所の軽きと重きとによりて
以て人の算(いのちのかず)を奪う。算減ずる時は則ち貧しくおとろえ、多く憂患に逢う。人は皆これを悪み、刑禍はこれに随い、吉 . . . 本文を読む
池上彰氏がコロナパンデミックで反省すべきこととして「我々は傲慢になりすぎていた」と語っています。
「ウイルスに“打ち勝つ”みたいな言い方をしますけど、それは非常に難しいんです。やっぱり人間というのはずっとウイルスと闘ってきて、共存してきました。治療薬あるいはワクチンが完成してもウイルス自体がなくなることはないので、共に暮らしていかざるを得ないという“覚悟”は必要だし、さらに言えば、われわれは . . . 本文を読む
(梵網経・四十八輕戒の二十・不行放救戒)
「若佛子、慈心を以ての故に放生業を行ぜよ。一切の男子は是れ我が父。一切の女人は是れ我が母なり。我が生生に之に従って生を受けずといふことなし。故に六道の衆生は皆な是れ我が父母なり。而も殺し、而も食する者は、即ち我父母を殺し、亦た我が故身を殺すなり。一切の地水は是れ我が先身、一切の火風は是れ我が本體なり。故に常に放生を行じ、生生に生を受けしむるを常住之法とし、 . . . 本文を読む
・太上感応篇(道教の経典。南宋 の李昌齢 が太上老君 (老子) のお告げをまとめて編んだ)に「夫れ心に善を起こせば、善いまだつくらずと雖もすなわち吉神すでに之に随う。・・・一日ごとに三善あれば三年にして天必ずこれに福をくだす。・・・なんぞ勉めてこれを行わざる。」
・法句經第十七惡行品二十二章「小善を軽んずること莫れ、 以って無福なりといえども水が微なりといえども漸く大器を盈すがごとく 凡そ福は充 . . . 本文を読む
山 岡 瑞 円 上 人 の 略 伝(三 井 英 光)・・8
六、 遷 化
瑞円上 人は戦後 いささ か疲労老衰 の兆ありたるも、 弱った体を推して諸弟子- 学園生や伝道員の教導や信者への応接、 本部 や学園や子安中学校 の運営にも倦む ことなく、精魂を傾けてそのことに当 つて居られたが、容 態急変して、昭和廿三年の一月十一日、突如遷化された。 世寿六十七才 であ った。上人の訃報 . . . 本文を読む
華厳経巻三十五寶王如来性起品第三十二の二「・・大海に摩尼寶あり、・・もし見るものあれば眼すなわち清浄となる。かの光明の照らすところに随いて宝を雨ふらし、みな悉く遍満して無量の衆生を饒益し安楽にするがごとし。・・如来に光あり、もし衆生ありてこの光に触れる者は、貧賤の苦を除き、尊貴にして富楽となり、乃至無上菩提の快楽あらん。・・
大海に摩尼寶あり、なずけて一切世間荘厳如意摩尼寶王といい、百万の功徳を具 . . . 本文を読む