いよいよ翌日に予定していた計画を変更して横峰寺へ上ることにしました。当初は64番前神寺から61番香園寺と高鴨神社で今日は打ち止めにする予定でしたがそれでは今日は午前中にお参りが終わりそうになるので、前神寺の役僧さんが、横峯へ登ってもまだ時間的に大丈夫、と言っていたのを参考にして、登ってみることにしたのです。
当初、高鴨神社横から登る予定でしたが、吉祥寺を打ったあとですから吉祥寺の横の県道14 . . . 本文を読む
三角寺参拝の翌日は電車で伊予西条までいき、前神寺からお参りします
64番札所 前神寺。ここは石鎚大権現の遥拝所でした。真念「四国徧禮道指南」には「六十四番「里前神寺」・・本尊阿弥陀如来」とあり。悔焉房澄禅「四国辺路日記」でも、「夫(吉祥寺)より一里斗行て前神寺とて札所在り、 是は石槌山の里坊也」とあります。「和漢三才図会」巻七十九にも「里前神寺(六十四) 在同郡[新居郡] 山上東向 . . . 本文を読む
G7の首脳が5月26日伊勢神宮に参拝しましたが「素晴らしい教訓と経験を与えてくれた」「聖なる場所に行くことができて感動した」「精神的によい経験をさせてもらった」等の反応を示しており、神宮の霊気に触れて「霊性」に目覚めたといえましょう。
(各国首脳の記帳内容はこちらです。http://www.isejingu.or.jp/topics/52m6sctx.html
)またオバマ大統領は、広島を訪問, . . . 本文を読む
三角寺から三島の方に降りる道も迷います。逆打は標識がないので聞きながら降りるほかありませんが、人家はありません。勘を頼りに降りていくと目的から4キロも外れたところに出てしまいました。それでもなんとか予約した遍路宿大成荘につきました。あさから何も食べずに、水だけだったのでコンビニでおにぎりやパン、牛乳を買い、一挙に食べました。やはり食べてないと長い遍路道道中は不安なものです。最近の遍路宿はおにぎり . . . 本文を読む
66番雲辺寺と65番三角寺の間は3つルートがありますが地元の人に聞くと皆さん佐野峠越えを勧めます。多くの人がこのコースを通るからという理由のようです。わたしも遍路地図の距離が短く表示されていることもあって、毎回このコースを通ります。何年か前に知り合いになった「へんろみち保存協力会」の山下さんに聞くと曼荼羅峠越えもなかなかいいコースだということです。前日遍路宿で話した初老のお遍路さんも曼荼羅峠を越え . . . 本文を読む
今回は雲辺寺から麓をみると雲が出ていて寺が雲に浮かんでいるように見えました。雲辺寺の標高は900メートルと88所で一番高いということですからこういう風景になるのでしょう。ここのご詠歌「はるばると/くものほとりの寺にきて/月日をいまは/麓にぞみる」は妻の最も好きなご詠歌です。まさに歌どおりの景色でした。
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いよいよ雲辺寺へ出発です。
前夜宿のご主人にこのあたりは猪が出ますから明るくなってから歩いた方ががいいですよと言われ心配していましたが、出かける5時にはもうすっかり明るくなっていました。8年前にはこの雲辺寺への逆打ちで言葉にできない有難いことが起こったので沐浴して緊張しながら歩き出しました。前回は難なく歩けた記憶があるのですが、今回はやはりこの道は遍路ころがしと言われるだけあると実感させられました . . . 本文を読む
今日も五月晴れです。「風薫る軒のたちばな年ふりてしのぶの露を袖にかけつる」(藤原良経)の歌のように護国寺境内を薫風が吹き抜けていきました。茶会も開かれているようで一言地蔵様の前では三人の和服姿の女性が熱心に祈願されていました。
今日二十一日はお大師様の日でもあります。開け放たれた大師堂の中でチベット僧が読経されていました。有難いことです。当方はいつものように七度、本堂・一言地蔵・大師堂・薬師堂を . . . 本文を読む
民宿の遍路ノートの続きです。
「2014・4、夫を亡くしてからは一人で車を遠くまで走らせることが多くなった。札所を一人、車で回っています。苦しむことなく旅立った夫へのお礼の旅です。」
「2014・4・19、痛風で歩けなかったが、三角寺から雲辺寺までの長い道のりを歩いても痛くなかった。不思議です。結願まで一歩一歩あるき続けます。『百薬にまさる遍路に出でにける』と地蔵時の石碑に彫ってありました。六 . . . 本文を読む
・民宿A屋
巡打のときはここから大興寺は迷いようがないほど順調にたどり着いた記憶がありますが、逆に大興寺からA屋は道が全く分かりません。A屋の前を通る県道240号線にでるのが一苦労でした。手当たり次第に民家のインターホンを押してききますがたまたま在宅だった人も240号線など知らないといいます。やっと畑仕事の男性が教えてくれて方向がつかめました。遍路地図で見ると簡単な道ですが意外と難しいものです . . . 本文を読む
・熊野三所権現
ここではどうしても大興寺がつくられる元となった「熊野三所権現」をお参りしなくてはなりません。石段をもとのように降りて、地図を頼りに「民宿おおひら」を目指します。地図で調べたところ熊野三所権現は「民宿おおひらの」近くとでていたのです。何度も通ったことのある大興寺のよこの薄暗い道を裏に抜けたところに「民宿おおひら」がありました。平成17年の初めての通し打ちの時はここに泊まりました。今夜 . . . 本文を読む
・67番大興寺
琴弾八幡宮の雨にぬれて滑りやすくなっている落ち葉をよけつつ石段を降りて、つぎの67番大興寺に向かいます。67番という数字は自分にとっては深い深い因縁のある数字です。具体的には書けませんが、「遠くにありて歌うもの・・」という室生犀星「抒情小曲集 小景異情」の気持ちを痛いほどよくわからせる数字です。
観音寺の街中でいつものように何十回も道を聞きました。町の皆さんはだれ一人嫌な顔をせず . . . 本文を読む
(68・69番の琴弾八幡宮)
・鳥居の言葉
軽い気持ちですぐに本殿にたどり着くだろうと思って石段を登り始めたのですが、行けども行けども着きません。百段はあろうかとおもわれます。石段の両側は堆く落ち葉が積もっていていて長らく手入れされた形跡がありません。昔に戻って、お遍路さんが六十八,六十九番へのみちすがらで途中参拝するようになれば双方が助かるのにと複雑な心境になります。
途中に鳥居が何組も現れます . . . 本文を読む
・琴弾八幡宮縁起
琴弾八幡宮本殿にあったパンフレットにも「由緒、所蔵する七宝山八幡琴弾宮縁起」によれば、大宝三年(703)三月西方の空俄かに鳴動し黒雲天を覆って日月光を失うこと三か日の夜、時に海浜に一艘の船が現れ、舩中より高砂神妙な琴の音が発せられ万民が近ずくと『われは是れ八幡大菩薩なり。』のご託宣と、百王鎮護異敵降伏の本誓を垂れたもうた。止住の上人がいて、その証を求めたところ、これまで海水のとこ . . . 本文を読む
・はじめに
ことしは丙申年で衛門三郎がお大師様に遇えたとされる60年に一度の年です。
私も平成26年の 四国八十八ヶ所霊場開創 1200 年のときに続き、何度目かの遍路をしてきました。5月11日から14日までのミニミニ逆打遍路ではありますが・・。目的は、来るべき首都直下型・南海トラフ大地震に際して少しでも犠牲が少なくなりますようにとお願いすることでした、しかし結論を先に言うと、遍路道中ではそういう . . . 本文を読む