福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

今日は26年間の読経に依り難病が治った日

2024-11-27 | 頂いた現実の霊験
「(日本霊異記)卅四、怨病忽ち身に嬰かかり、之に因りて受戒行善して以って現に病を愈すことを得る緣」 「巨勢呰女(こせのあさめ)者,紀伊國名草郡埴生里之女也。以天平寶字五年761辛丑、怨病身に嬰(かか)り,頸に癭肉疽を生じ、大苽の如し。痛苦切るが如くにして歷年不愈。自ら謂へらく、「宿業の招く所ならむ,但だ現報にみには非じ、滅罪し病を差(いや)すよりは,善を行はむには如かじ。」と。剃髮受戒し袈裟を著 . . . 本文を読む
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今日は天武天皇が百僧を度して病気回復された日

2024-11-26 | 頂いた現実の霊験
  「日本書紀・天武九年680十一月」「丁酉(26日)、天皇、病したまふ。因以て百僧を度せしむ。俄に癒へたまふ。」 丁度、11月12日には皇后不豫で薬師寺の建立を始め皇后が平癒されたばかりでした。この薬師寺建立と百僧度と相まって天皇の不豫は俄かに癒えたのかもしれません。 . . . 本文を読む
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45番岩屋寺で小児麻痺の女性の腕が動くようになった話

2024-11-19 | 頂いた現実の霊験
「日本巡礼記集成」の中にn尼の手記というのがあります。 これによると昭和55年5月、45番岩屋寺奥の院で小児麻痺により20年間動かなかった女性の手が行場へ登ろうとして鎖に手をかけた途端に動くようになったということです。其処の所を抜粋しておきます。「昭和55年5月12日、四国88所巡拝に、美代ちゃん(19歳の女性。小児まひで左腕が上がらず左足も不自由)が、お母さんと参加され3日目に45番岩屋寺に着 . . . 本文を読む
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今日は河内金剛寺中興の祖、阿観の示寂された日です

2024-11-14 | 頂いた現実の霊験
今日は河内金剛寺中興の祖、阿観の示寂された日です。以下「密教辞典」等による。阿観は承元1.11.14(1207.12.4)に示寂しています。平安後期の真言宗の僧。和泉国(大阪府)大鳥郡の大和貞平の子。幼いときから高野山に登り密教を学ぶが,明神の夢告を受けたことから河内天野山に入り後白河法皇の勅を奉じて廃寺を再興、河内天野山金剛寺と号す。,治承2(1178)年には金堂を建立,養和1(1181)年には . . . 本文を読む
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今日は天武天皇妃の不豫が薬師寺建立で平癒した日

2024-11-12 | 頂いた現実の霊験
  「「日本書紀・天武九年680十一月」「癸未(12日)皇后不豫。則ち皇后の為に誓願して初めて薬師寺を興つ。仍りて百僧を度したまふ。是に由りて安平なることを得たり。是の日罪を赦したまふ。」   天武天皇の皇后は鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ・天智天皇皇女で後の持統天皇) お薬師様の効験あらたかであったということです。 - . . . 本文を読む
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今日は八万三千日のお茶湯日です

2024-11-09 | 頂いた現実の霊験
今日11月9日は大師の八万三千日のお茶湯日です。今日のお茶湯は八万三千日の功徳があります。 . . . 本文を読む
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般若心経に救われた私

2024-11-03 | 頂いた現実の霊験
・金沢雲龍寺住職、荒崎良徳師の「般若心経に救われた私」と題する一文が大法輪22年8月号にありました。概要を書いておきます。   「昭和58年私(荒崎)は大きな苦しみに出会い、自殺を考えるに至った。毎日暗いうちから本堂の観音様の前で「大般若理趣分」と「般若心経」を唱え続けた。ある日、林屋友次郎師の「般若心経の逐語的解釈」(『般若心経講義』昭和11年、東大佛青会編、三省堂発行内の一文)に . . . 本文を読む
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お陰があるのは自分の善根が佛の縁の力を呼び起すから

2024-10-30 | 頂いた現実の霊験
明恵上人伝記「習慣的に善根を修めた人がすぐれた意欲を起して、お経を誦え仏を祈ると、目の前の災いや障害が取り除かれて、怨みを持った仇敵でさえも降伏させることがあるのは、この人の心の力が道理と融け合い、自ずから生む善因の作用で、仏のすぐれた緑の力を感じ、速やかな利益があるのである。」 . . . 本文を読む
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10月27日は御大師様に大師号が諡号された日です

2024-10-27 | 頂いた現実の霊験
10月27日は御大師様に大師号が諡号された日です。延喜21年(921年)10月27日、東寺長者観賢の奏上により、醍醐天皇から「弘法大師」の諡号が贈られています(注1)。「弘法」という言葉は大師が久米寺大塔のもとで善無畏三蔵が埋蔵しておいてと伝えられる大日経を感得されたときに「小国片域大機未だ熟せず、仍て此法を此地に止めて、まさに機を待ち時を待たんとす。来葉必ず弘法利生の菩薩来りて、この教を世に恢む . . . 本文を読む
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加持祈祷の原点

2024-10-26 | 頂いた現実の霊験
お大師様は『三教指帰』で「支離懸鶉を見ては因果の哀しみ休せず。だれかよく風を繋がん(現世で不条理な運命に泣いている人々を見れば因果の哀れさに心が休まる時がない。出家の志は風を止めることができないように誰も止めることはできない)」と述べて出家され過酷なご修行の結果ついに真言密教を始められ、奥之院に「虚空尽き、衆生つき、涅槃尽きなば、我が願いも尽きなん]と入定されているのです。しかれば御大師のすべての . . . 本文を読む
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今日は文永の役で蒙古が退散した日です

2024-10-20 | 頂いた現実の霊験
文永の役は「文永11年(1274)10月19日博多湾の沖に、元・高麗連合軍2万5000の兵を乗せた900隻の軍船が来襲し、翌20日早朝一斉に上陸を開始。日本軍は筑前守護少弐景資が本拠を筥崎に置き迎え撃つが元軍の集団戦法や火薬で、元軍の一方的な勝利になった。しかし元軍は陸に上がらず、海上で待機した。その夜、博多湾を吹き荒れた台風により、海上の元軍は壊滅的な打撃を蒙り退散した」とされます。興正菩薩叡尊 . . . 本文を読む
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絶体絶命の危機を乗りきることができた

2024-10-03 | 頂いた現実の霊験
A師の話 「絶体絶命の危機を乗りきることができた。 長い人生ではじめてとも言える絶体絶命の危機を春先から迎えた。「無事是貴人」という言葉がこの時ほど身につまされて感じたことはない。何事もないような顔をして電車にのっている人達がこれほど羨ましかったことはない。 しかし結論から言うとこの危機が半年かかって不思議に解決した。 この解決に至る道筋を記録してみる。 1,先ず一族の懺悔。これまで自家 . . . 本文を読む
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今日2日は慈眼大師忌です

2024-10-02 | 頂いた現実の霊験
今日2日は慈眼大師忌です。慈眼大師天海は寛永20年10月2日(1643年11月13日))108歳で死去と言われています。寛永寺開基・江戸の都市計画策定・家康を日光に東照大権現として祀る等江戸幕府の黒幕的存在・怪僧と言われますが江戸をこれだけ栄えさせ安全な街にした功績はあると思われます。寛永寺の近くに下宿したりして当寺とご縁の深い自分としてはなにか懐かしい気がします。 . . . 本文を読む
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今日は無数の効験を顕された性信法親王遷化の日

2024-09-27 | 頂いた現実の霊験
  後拾遺往生伝「入道二品新王、諱師明は長和天皇第四子、母は大納言左近衛大将濟時の女也。皇后夢みるに胡僧来りて云ふ、『将に皇胎に託すべし云々』。后懐孕の間、口より葷羶(くんせん・なまぐさ)を去り、心精進に住す。寛弘二年1005六月一日託生す。誕生の時、室に神光あり。幼稚の間、仡(いさましき)こと巨人の如し。同八年、天皇受禅す。十月五日、立て新皇となる。生年七歳。長和六年1017、天皇昇 . . . 本文を読む
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「その人のご努力もありますけれども、不思議な観音様のお話・・」

2024-09-18 | 頂いた現実の霊験
心の時間の紀三井寺管主、前田孝道師の話です[・・・私が紀三井寺の貫首に就任しまして間もない頃でございます。昭和三十六年だったと思うんですが、一つ小包が届けられました。非常に重たい小包でございまして、差出人を見ても、心当たりがない。おそるおそる、小包を開けて見ますというと、中から書籍が出ました。「新比較婚姻法」という見たことも、聞いたこともない、私が注文した覚えもない本が四冊出て参りました。私がその . . . 本文を読む
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