今日27日は小田原道了尊清浄鎮火祭です。一年間守護して頂いたお札を御真殿からいただく御神火でお焚きあげするものです。
道了尊ホームページには「令和3年11月27日(土)の清浄鎮火祭は午後六時修行になります。」とあります。
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&am . . . 本文を読む
「上宮太子廟参拝記文 嵯峨天皇の御宇、弘仁元年河内の国の聖所に於いて道場を建立し、籠居の處を卜する之間、上宮聖王の御廟に参詣する事一百箇日也。第九十六日の夜半一霊建有。御廟洞之内に微妙の小音有りて大般若理趣分を誦す。音に応じて光明在り。爰に空海祈念すらく、この妙事誰人の所為ぞや。願わくは我に示せと。所願に応じて廟窟の前に一の光明輪あり。美妙の音有りて唱えて言はく、我は是れ救世大悲の垂迹なり。我昔安 . . . 本文を読む
愚管抄巻七 その6/6
またことのせん(究極の真実)一侍りけり。人と申すものは、せんがせんには(究極の究極には)にるを友とす(似たもの同士)と申ことの、そのせんにては侍るなり。
それが世の末に、わろき人のさながら(全体)一つ心に同心合力してこの世をとりてに侍にこそ。よき人は又をなじくあいかたらひて同心に侍べきに、よき人のあらばやは合力にもをよぶべき(良い人があったなら合力することになるがいない . . . 本文を読む
愚管抄巻七 その5/6
今左大臣(藤原道家)の子(藤原頼経)を武士の大将軍に(藤原頼経は鎌倉幕府4代将軍。摂政・九条道家の子。源実朝暗殺後,源頼朝の遠縁にあたる頼経がわずか2歳で鎌倉に迎えられ将軍となる。その後執権の北条氏に疎まれ,1244年頼経の子藤原頼嗣へ将軍職を譲渡して出家。1246年には反得宗派の反乱事件(宮騒動)に関連して京都に追われた。)一定八幡大菩薩のなさせ給ひぬ。人のすることに非 . . . 本文を読む
愚管抄巻七 その4/6
さてすゑざまは事のしげくなりてつくしがたく侍れども、清和の御時はじめて摂政ををかれて、良房のをとどいできたまいし後、その御子にて昭宣公(藤原基経。摂政であった叔父・藤原良房の養子、良房の死後、清和天皇・陽成天皇・光孝天皇・宇多天皇の四代にわたり朝廷の実権を握った。陽成天皇を廃し、光孝天皇を立てた。次の宇多天皇のとき阿衡の紛議を起す。)のわがをいの陽成院ををろしたてまつりて . . . 本文を読む
愚管抄巻七 その3/6
ををきにこれをわかつに漢家に三の道あり。皇道・帝道・王道也(伏羲・神農は皇道、黄帝・堯・舜は帝道、禹湯文武は王道とされる)。この三の道に、この日本國の帝王を推知して擬あてて申さまほしけれど、それは日本國には、日本記已下の風儀にもをとり、つやつやとてなき事にて中々あしかりぬべし。その分際はまたしりたからん人は、みなこの仮名の戯言にもそのほどよなどは思あはせられむずる事の器量 . . . 本文を読む
愚管抄巻七 その2/6
今かなにて書くことたかき(周知のこと)やうなれども、世のうつりゆく次第とを心うくべきやうを、かきつけ侍意趣は、惣じて僧も俗も今の世をみるに、智解のむげにうせて学問と云ことをせぬなり。学問は僧の顕密を学ぶも、俗の紀傳・明経をならふも、これを学するにしたがひて、智解にてその心をうればこそをもしろくなりてせらるることなれ。すべて末代には犬の星をまもる(諺で、犬は星を見てもそも意 . . . 本文を読む
二宮金次郎は安政3年10月20日(1856年11月17日)日光仕法の途中70歳で下野国今市村の報徳役所にて没しています。
金次郎の言葉で最も印象に残るのは「わが道はまず心田の荒蕪を開くのを先務としなければならぬ」(二宮翁夜話)です。
「観音信仰と坐禅の心」(清水谷恭順)には金次郎の観音信仰が出てきます。
「神奈川県の飯泉(いいずみ)観音は、板東(ばんとう)33箇所霊場の一つで . . . 本文を読む
愚管抄第七巻 その1/6
はじめに
愚管抄の結論部分第七巻を和文にしてみました。50年以上前に大学で何の授業か忘れましたが教授が「愚管抄」を読め、といっていたことを思いだします。当時は難読難解ですぐにギブアップしましたが今回は愚管抄の結論部分の第七巻だけアップしてみます。
愚管抄は歴史は「道理」によって動くと説いたとされます。しかしこの道理とは何なのか、がよくわかりません。松 . . . 本文を読む
今日は後宇多天皇が諸国に金字金光明最勝王経を写経して班置させた日です。 国重要文化財・後宇多天皇宸筆紫紙金字金光明最勝王経があります。辻善之助「聖徳余光」によると「・・永仁二(1294)年11月11月15日後宇多天皇金字を以て紫紙に金光明最勝王経を書写したまひ、これを諸国に班置された。その御趣旨は遥かに聖武天皇の国分寺の芳躅に倣ひ大願を発して以て国の鎮となし以て民の宝と為しこれに依りて民俗を撫育し . . . 本文を読む
先ほどNHK教育テレビで「諏訪神仏プロジェクト」が紹介されていました。
https://suwa-tabi.jp/suwa-shinbutsupj/
諏訪地方の神仏一体の歴史を復活する地元の寺社一体の活動です。
またこの中で、上社での僧侶の神前読経も紹介されていました。現地の新聞でも「「諏訪神仏プロジェクト」の開始を諏訪大社の神前に奉告する神事「奉告祭」が9月30日、諏訪市の上社本宮で行われ . . . 本文を読む
今日は法然上人が「七箇条制誡」を制せられた日
法然上人は元久元年(1204)一一月七日から九日までの三日間にかけて弟子一九〇名の署名を募り、以後の専修念仏の修行に関する制誡を制しました。
「七箇条制誡」
「あまねく予が門人と号する念仏の上人等に告つぐ。
一 いまだ一句の文をも窺はず真言・止観を破したてまつり、 余の仏・菩薩を謗ずることを停止す . . . 本文を読む
弘安の役で興正菩薩叡尊が石清水八幡に祈願して神風を吹かせたときの願文です。
「・・政道が廃れ、神祇が国民の非礼を咎め、仏が日本人が虚妄の生き方をするのを咎められるとしても、日本は神の国であり、日本人は神の末裔であります。昔新羅僧道行は熱田神宮の草薙の剣を盗み出そうとしましたが(風雨に遇い失敗して返しました)、彼などは三帰五戒を守ってる僧侶に過ぎず、日本の僧侶は二百五十の具足戒を守っています。尊卑 . . . 本文を読む