聖人も凡情は催すが自己の本源を自覚してすぐ本に回復する。
「聖も人也。狂も人也。
・・ただ聖たる所以のものはその自性を見得して明白なるを以てなり。喜・怒・哀・懼・愛・悪・欲の情、時に或は発すと雖も直ちに真浄明妙、一枚の大光と作して受用す。
其の狂たる所以の者は、自に其の性の明潔を知らず、故に利・衰・毀・誉・称・譏・苦・楽の風に漂溺せられ、七情交々相攻め、未だ始めより窮り有らず、卒に自己本有の光 . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・30
第七章
第十二節、大日如来。
大日如来は純密教佛で密教古来の意味からいえば大日如来とは宇宙を人格的に見た呼称である。換言すれば唯一絶対の大日如来なる名を以て顕現したのである。大師は「世間の浅名を以て法性の深号を顕す」と仰せられた(般若心経秘鍵に「是れ則ち、大般若波羅蜜多菩薩の名なり、即ち是れ人なり。この菩薩に、法曼荼羅・真言三摩地門 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・29
第七章
第十一節、阿閦如来。
阿閦とは梵語でアキシュビヤで、翻訳して「不動」という。この尊は東方に位して菩提心を発することを司る。十三佛曼荼羅は密教の根本思想によって組織せられたのであるから、十三佛は大日如来の四方の眷属の中の南方不二の虚空蔵菩薩を中心として、第二番目修行の初位には北方釈迦如来を置き、修行の終位たる第十一番目には . . . 本文を読む
「彼(ウオルト・ホイットマン、『草の葉』の作者)の好きな仕事は、一人で戸外をぶらぶらと当てもなく歩き回って、草や花や日向の並木や変化する空の様子を眺めたり、鳥やコオロギや、雨蛙や、そのほか限りない自然の音響に耳を傾けることであった・・実際ウオルターホイットマンほど多くのものを好み、僅かなものしか嫌わなかった人間はかってなかったであろう。・・彼は彼の出会う男、女、子供のすべてを好いているようにみえた . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・28
第七章
第十節、 阿弥陀如来。
我が国民で「南無阿弥陀仏」を口にしない人は一人もいないと断言してもよい。阿弥陀如来は浄土門から見たら四十八願をたてた極楽浄土の教主で唯一絶対であろう。しかし密教の見地から見れば金胎両部曼荼羅で各の西方に位されて蓮華部の教主で衆生の無量無辺なるを救済したまうのである。(胎蔵曼荼羅では中台八葉院で西方に無 . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・27
第七章
第九節、 勢至菩薩。勢至菩薩は観音菩薩と共に阿弥陀如来の両脇侍である。観音菩薩の蓮華は開いているが勢至菩薩の蓮華は蕾である。勢至菩薩は我々に菩提心を発せよう発せようという誓願であるから左手に蕾の蓮華をもって右手でその蓮華を開かせようという姿勢をしてござる。勢至菩薩は「因」で観音菩薩が「果」である。勢至菩薩の名について観無量寿経では . . . 本文を読む
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第七章
第八節、 観音菩薩、
わが国で最も広く行われている信仰は観音信仰である。歴史的にも奈良時代から今日まで、地域的にも西国・秩父・坂東三つの三十三観音霊場がある。而して阿弥陀如来の信仰には観音・勢至の両脇侍としての観音信仰が付随している。
胎蔵曼荼羅の観音院には三十七尊いましてその他の院にも千手観音等はある。観音様の異像も多い。 . . . 本文を読む
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第七章
第七節、 薬師如来、
薬師如来には十二大願あって、そのご誓願はすこぶる広大である。故に聖武帝が諸国に国分寺を立てさせられるやこの薬師如来を本尊とせられたのである。平安期に入ってもその信仰は盛んで天台系の密教には七佛薬師法がありいまでも非常に尊崇せられている。今日では薬師如来は病気平癒の本尊とせられておる。御象は多く右手を施無畏印 . . . 本文を読む
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第七章
第六節、 弥勒菩薩。
五十六億七千万年後にこの娑婆世界に下生して吾等迷える衆生を救うというご誓願を立てられたのは弥勒菩薩である。三千年まえに釈迦如来は入滅せられ、五十六憶七千年までは程遠いことではある。吾々は二佛中間に生まれたもの云わなければならない。釈迦如来は当来の衆生教化のことは弥勒菩薩に依嘱せられたので弥勒菩薩は釈迦如来 . . . 本文を読む
・十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・23
第七章
第五節、 地蔵菩薩。
胎蔵曼荼羅には(有髪で)左手蓮上に宝憧を樹てたるを持し、右手宝珠を載せ、八尊を眷属としておられる。(地蔵院は胎蔵曼荼羅の左側にあり、縦長。上から除一切憂冥、不空見、宝印手、宝処、地蔵、宝手、持地、堅固深心、日光菩薩となっている)。
普通の形像は比丘形で右手に錫杖、左手に宝珠を持され一切衆生の無明の闇夜に . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・22
第七章
第四節、 普賢菩薩。
釈迦如来の両脇侍は文殊菩薩と普賢菩薩で、文殊は智慧、普賢は定徳(本有菩提心)を司る。胎蔵曼荼羅の中台八葉院の普賢菩薩は左手蓮上に利剣を立て、右手を利刀の印にせられているが、普通のお姿は左手に蓮葉、右手に五鈷杵を持してござる。「普」とは遍く法界に周辺することで「賢」とは十種の行願を成就し給うことである。密教では . . . 本文を読む
十三佛は自己曼荼羅を導く究極の密教曼荼羅であること・・21
第七章第三節
文殊菩薩。文殊菩薩は智慧の本尊としてある。大師も「文殊の利剣は諸戯を断つ」(般若心経秘鍵)とおおせられてあって、この菩薩は胎蔵曼荼羅の中台院には右手に梵筵を持し、左手に連上に三鈷杵を立てたるを持するも、普通の像は右手に智慧の利剣を持し左手に真理の経文を持したまうのである。支那は知識の国であるから文殊菩薩が非常に尊崇せられたも . . . 本文を読む
2013年1月17日にお薬師様のお陰で自分の足の痛みが治ったことを書いていましたが、こんどは孫の中耳炎が薬師経読誦のお陰で治りました。
2013年の時は以下の様に書いていました。「ここ数週間足の甲がきりきりと痛み歩けないほどの激痛でした。病院に行って血液検査、尿検査、レントゲン検査をしてもわかりません。医者は「痛風気味かなあ」というのみです。こういう痛みのときは自分の弱さを思い知らされます。行法で . . . 本文を読む