今日は十斎日で六歳日です。十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守 . . . 本文を読む
二十九日は薬王菩薩・苗鹿大明神・気吹戸と速佐須良の日。
薬王菩薩(「三十日秘仏」)。
苗鹿大明神 (「本地弥陀 江州」『佛神霊像図彙』禁闕守護の三十番神)。
気吹戸と速佐須良(祓戸四神のうちの二体・我が国守護の三十番神)
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今日から府中大國魂神社のくらやみ祭りが始まります。
今日は、品川海上禊祓式(汐汲み・お浜降り)が午前9時30分出発 午後4時頃帰社となっています。今年は規模を縮小して行われるということです。
https://www.ookunitamajinja.or.jp/2020kurayami.pdf . . . 本文を読む
今日4月29日から5月5日の7日間壬生寺の「壬生大念佛狂言」です。壬生寺のホームページ等によると
この壬生狂言は壬生寺中興の祖・円覚上人が正安2年(1300)、壬生寺において「大念佛会(だいねんぶつえ)」という法会を行い壬生寺の御本尊である延命地蔵菩薩に奉納すると共に衆生に無言劇に仕組んだ持斎融通念佛で仏法を説いたとされます。今年は一般参拝中止ということです。
http://www.mib . . . 本文を読む
毘盧遮那佛説金剛頂経光明真言儀軌 大興善寺三蔵沙門大広智奉詔訳
「そのときに毘盧遮那如来諸の菩薩一切の天人大衆に告げ玉はく、われいま末世の一切の諸の行人法者のためにこの光明真言の法を説く。汝ら大衆まさに聴け。我今次第に汝がために演説しべし。
若し、無量百千万億の衆生あって諸の苦悩災悪を受けんに、この真言秘密呪を聞くことを得て受持せば、必ず無量の災悪の苦悩を滅除して福寿を増徴し、安穏快楽を蒙らん。 . . . 本文を読む
不空羂索毘盧遮那佛大潅頂光眞言経一卷
出不空羂索經二十八卷
開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戸賜紫贈司
空諡大鑒正號大廣智大興善
寺三藏沙門不空奉詔譯
「おんあぼきゃべ いろしゃのう まかぼだら まに はんどま じんばら はらばりたや うん
毘盧遮那如來、爲めに母陀羅尼印三昧耶神法品を授けて、而かも最も第一となしたまふ。若し過去一切十惡五逆四重の諸罪ありとも燼然除滅せん。若し衆生ありて隨 . . . 本文を読む
今日4月25日は興福寺で文殊会が行われる日です。今年は僧侶の法要のみ。
1、興福寺のホームページ、ウキペヂア等によると
「文殊会は「佛説文殊師利般涅槃經」をよりどころとしている。文殊菩薩を供養したいと思はば文殊菩薩は貧窮孤独苦悩の衆生となって現れよう、貧者に施給することは文殊菩薩を供養することである。(「佛説文殊師利般涅槃經」には『此文殊師利法王子は・・貧窮孤獨苦惱衆生となって、行者の前に至る』と . . . 本文を読む
仁王護国般若波羅蜜多経
開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戸賜紫贈司空謚大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉詔譯
(この経は仏が波斯匿王の為に護国の法を説き賜うもので八品あり。上巻に序品第一(仏が王舎城鷲峯山にいませしとき無量の菩薩四部八部衆が囲繞していたことを説く)、観如来品第二(仏が佛果を護り、十地行を獲るべきことを説く)、菩薩行品第三(十地行の次第を説く)、二諦品第四(勝義・世俗二諦 . . . 本文を読む
今日はある特別な日なので夕勤行でも特に大師御宝号を何度もお唱えしました。その時、ふと父も幼くして小坊主になり一生を真言僧として曲がりなりにも無事に送らせていただけたのは、偏に「南無大師遍照金剛」によるのだ、と思い至り、今までになく力を入れて何度も何度も御宝号をお唱えしました。父も「南無大師遍照金剛」とお唱えして檀家勤めをし、「南無大師遍照金剛」とお唱えして子供を育て、「南無大師遍照金剛」とお唱えし . . . 本文を読む
岡潔の言葉
「人の長所がわからず短所に対する厭悪感の強いのを小人といい、人の長所がよくわかり短所に寛大なのを君子といいます。そして、古人は、君子をつくり小人をつくらないのを教育の根本方針としていたのです。」
明治以降小人を輩出するを文部省教育の骨格としてきました。 . . . 本文を読む
「日本人の宗教観念では、すべての病気や不幸や禍は、罪と穢れの結果おこるものだとした。現代のように、すべての禍を社会のせいにしたり、政治のせいにしたりしないで、自分の行為や先祖の行為として反省し、懺悔した。・・春の法華会も秋の法華会もともに死者の霊の滅罪を目的とするものであった。これはなぜかといふに、死者の霊がもし鎮まらなければ疫癘がおこると信じられていたからである。」(五來重「宗教歳時記」)
五 . . . 本文を読む