除夜の鐘について
先日tenjin95 さんから除夜の鐘に関する「つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉」の記事をご紹介いただきました。有難いことです。
除夜の鐘は宋代にはじまったとされます。日本では鎌倉時代以降、特に禅宗の寺院で中国の寺院にならい朝暮の2回、108の鐘を撞くようになり、やがて室町時代の頃から大晦日の夜だけ撞かれるようになったものといわれています。
お大師さま . . . 本文を読む
今日は和布刈神事の日です。
北九州市和布刈神社冬至と関門海峡を隔てた対岸の住吉神社で旧暦12月晦日から元旦にかけて和布刈神事がおこなわれます。深夜午前1時から3時ごろ干潮時に神職3人が正装し、鎌と松明を持って海中に入り、和布を刈り取って神前に供える行事。神功皇后は安曇磯良神(あずみいそらのかみ)が海中より献上した如意宝珠を使って三韓を征したが(注)、皇后が磯良神より潮干・潮満の法を学んだ遺風を伝え . . . 本文を読む
除夜の鐘が騒音という声があるというニュースが報じられていました。なんという罰当たりな考えでしょうか。まさに末世のただなかと思わせられます。
私も何年も護国寺の鐘を撞いてきましたがその功徳で40年後のいまでも病気知らずで護国寺にご縁を頂いています。
鐘の功徳を改めて書いておきます。
・お大師さま(弘法大師)は、「鐘の知識を勧め唱うる文」(性霊集)の中で「一打鐘聲、當願衆生、脱三界苦、得見菩提」と . . . 本文を読む
・「救う救わぬは如来の分限、救われる救われぬは衆生の分限」(救われるかどうかは衆生が自分で決めているにすぎない・・曽我量深)
・「For God so loved the world, that he gave his only begotten Son, that whosoever believeth in him should not perish, but have everlastin . . . 本文を読む
菩提和讃
2019-12-25 | 諸経
菩提和讃
若し人三世一切の 仏を知んと欲すれば、法界性を観ずべし。
一切唯心造なりと、あまねく衆生を観ずるに おのおの仏性具しぬれば、
一念不生に至るとき、忽ち仏性現前し、老若男女もろともに、そのまま即ち仏なり。
しかるに一念迷い初め、みずから凡夫となるゆえに、三毒五欲の情起こり 殺生、偸盗、邪淫欲
悪口、両舌、綺語、妄語 瞋り恚ち愚痴我慢、貪り惜しみて嫉み妬み
憎愛執着誉め . . . 本文を読む
白隠禅師の施行歌 施行歌今生富貴する人は、前世に蒔きおく種がある、今生施しせぬ人は、未来はきわめて貧なるぞ、利口で富貴がなるならば、鈍なる人はみな貧か、利口で貧乏するを見よ、(高学歴でも貧乏します)この世は前世の種しだい、未来はこの世の種しだい、富貴に大小ある事は、蒔く種大小あるゆえぞ、この世はわずかの物なれば、よい種えらんで蒔きたまえ、種を惜しみて植えざれば、穀物取りたる例(ためし)なし . . . 本文を読む
無門関第四十七則・兜率三關 兜率悦和尚、三関ヲ設ケテ学者ニ問フ、(兜率悦和尚は三つの問を修行者に問うた)1,発草参玄ハ只見性ヲ図ル。即今上人ノ性,甚(ナン)ノ処ニカ在ル。(草をわけて修行しにきたのも見性するためだろう、見性するといういまのお前の本性はどこにあるのか)?2 ,自性ヲ識得スレバ方ニ生死ヲ脱す。眼光落ツル時、作麼生(ソモサン) . . . 本文を読む
日本の婦道石頭大師の語をかりていへば男女は要するに同一『霊源』の二支派である。(注・・石頭は「参洞契」で、「竺土大仙(ちくどだいせん)の心、東西密に相附す。 人根に利鈍あり、道に南北の祖なし。 霊源明に皓潔たり。 支派暗に流注す。 事を執するも元これ迷い、 理に契うも亦悟にあらず。(お釈迦に遡る霊妙な禅の水源は透明であるが、流れの末は分かれて暗い。 分かれた後の瑣末な事柄を追うと本源を見失って迷う . . . 本文を読む
来年高野山秋の結縁灌頂に入壇を計画することといたしました。混むようですからこれから宿坊等の手配をしたいと思います。ついてはご希望有れば年内早めにご連絡いただけば幸甚です。
1、日時 10月17日土曜高野山駅集合、その後宿坊に泊り、18日(日曜日)中に灌頂、あと自由行動。その日中に帰京 . . . 本文を読む
最近世界的にも国内でも他者を批判ばかりする風潮が蔓延していて見苦しい限りです。批判する者は批判している相手とまったく同類で「目くそ鼻くそを笑う類い」だということに気が付かなければなりません。
お大師様は「秘蔵宝鑰」で「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず」とか「三教指帰」で「如何が己の身の膏芒(不治の病)を療せずして輒而(たやす)く他人の腫脚を発露すや」とおしゃっています。
「「業」はすべて「共業」であ . . . 本文を読む
最近世界的にも国内でも他者を批判ばかりする風潮が蔓延していて見苦しい限りです。批判する者は批判している相手とまったく同類で「目くそ鼻くそを笑う類い」だということに気が付かなければなりません。
お大師様は「秘蔵宝鑰」で「凡夫狂酔して、吾が非を悟らず」とか「三教指帰」で「如何が己の身の膏芒(不治の病)を療せずして輒而(たやす)く他人の腫脚を発露すや」とおしゃっています。
「「業」はすべて「共業」であ . . . 本文を読む
昨日の福聚講模様
昨日は令和元年最後の講でした。
当方は今年最後なので江戸川橋の今宮神社にまずお参りしました。ここは元禄十年桂昌院殿発願により、護国寺建立と同時に境内に、天照大神を伊勢神宮から、素戔嗚尊を京都今宮神社と熊野大社から、伊弉諾尊・速玉大神を熊野大社から、誉田別尊を石清水八幡宮から、大国主命と事代主の尊を京都今宮神社から,大宮比売命を春日大社から招来し、ほかに天神様、少毘古那命をお祀りし . . . 本文を読む