日頃健康自慢の夫は53歳で末期の肝臓がんで他界した。高校3年の息子と私が残され私は夫の経営していた鉄工所の仕事に取り組まざるを得なかった。しかし家庭の主婦が男の従業員を使いこなす事は至難の技で毎日が針の筵だった。敏腕職人を引き抜かれ後補充に徹夜で走り回ったこともあった。何とか此れを切り抜けた矢先、大量の従業員を引き抜かれついに廃業せざるを得なくなった。このころ社会人となった息子にたびたび見合いの話 . . . 本文を読む
モラエス「日本精神」1925神道と仏教が融合するときにみられたような・・あんなぴったり一如となった宗教は他にはなかっただろう。国民はその二つの信仰をまるで一つのように抱擁した。そして神社も増やせば寺院も多くして正しい人間となって、あの欠点・・蒙古の祖先から深くしみ込んでいた粗暴さ・・を除いた。農夫は牛をまるで耕作の兄弟みたいに取り扱って,四肢の奴隷としては取り扱わない。牛の言葉や表情を理解し耕作の . . . 本文を読む
トランプが当選しそうと言われているがトランプは以前から日韓は核武装せよと迫っていることは公知の事実である。いまから覚悟をきめなくてはならない。
韓国などトランプに言われなくてもすでに核武装準備はできている。
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「元慶寺(注1)の鐘銘一首幷序(菅家文章)」
此の寺の此の鐘有る、弘誓甚だ深し。至心等しきこと无く、元胎願を発す。其の人の八万蔵を開くに遇ふ。九乳誠を翹(はげま)し、彼の力の三界に及ばむことを待つ。是故に日融内に應じ、霜氣外に催す。皇帝馭(おさめたまふ)暦の四歳己亥、月庚午を建つ。八日丁酉(元慶三年五月八日)、金火事を用ひ、治鋳功を施す。禅器を謹む也。梵音を唱ふる也。有縁行道の徒をして圭漏を窺ひ . . . 本文を読む
太平記巻四十 蒙古日本を攻むる事 付けたり神戦のこと「 つらつら三余のいとまに千古の記文を看れば、異国より吾が朝を攻めしこと、開闢より以来すでに十一箇度に及べり。故文永・弘安両度の戦ひは、太元國の老皇帝、支那四百余鰍をうちとって勢ひ天地を凌ぐ時なりしかば、小国の力にて敵しがたかりしかども、たやすく太國の兵を亡ぼして、吾が国無為になりしことはただ尊神・霊祇の冥助によりし故なり。その征伐の様を聞けば、 . . . 本文を読む
仁王護国般若波羅蜜多経
開府儀同三司特進試鴻臚卿肅國公食邑三千戸賜紫贈司空謚大鑒正號大廣智大興善寺三藏沙門不空奉詔譯
(この経は仏が波斯匿王の為に護国の法を説き賜うもので八品あり。上巻に序品第一(仏が王舎城鷲峯山にいませしとき無量の菩薩四部八部衆が囲繞していたことを説く)、観如来品第二(仏が佛果を護り、十地行を獲るべきことを説く)、菩薩行品第三(十地行の次第を説く)、二諦品第 . . . 本文を読む
今日三月三十日は大師が比叡山に登られて西塔釈迦堂の落慶供養をされた日です。大師は六一歳でした。当時伝教大師はすでに崩御されていました。弘仁十三年822六月四日「天台座主記」によると「承和元年834三月三十日西塔院供養檀主 座主円澄年六十三両塔内供建立主私号寂光大師導師 元興寺護命僧正 年八十五呪願 空海大僧都 年六十一讃 真済 年三十五梵音 光空 年五十六円仁 年四十 一錫杖 安恵 年四十一恵亮 . . . 本文を読む
山岡鉄舟は「書法について」で「・・余かって慶応の昔、音羽の護国寺に参する時、遇々堂殿の一隅に書幅の懸掲せらるるを拝す。字体、脱俗。筆勢邪なし。恰も雲煙龍飛するが如し。転々敬服の感に耐えざらしむ。咫尺して拝視すれば嗚呼是正しく聖佛弘法大師の御手蹟なり。余は其の筆意の妙趣、只之を状すべからずと雖も、日夜欽望の念止む事能わず。爾来僧俗諸先輩に請ふて大師の御手蹟を集むる事幾数種。暇毎に拝写すること数年、漸 . . . 本文を読む
今日は神秘思想家ルドルフ・シュタイナーの命日です。「シュタイナーは-1925年3月30日、64歳で没しています。日本でも「シュタイナー教育」が有名ですが、当方は求聞持行を修したものとして、シュタイナーの提唱したといわれる「アカシックレコード」に興味があります。お大師様や興教大師をはじめ昔の求聞持行者の方々はこの「アカシックレコード」にアクセスできていたのではないかと思うのです。「アカシックレコード . . . 本文を読む
今日は方丈記が書かれた日です。 方丈記の最後に「時に、建暦2年(1212年)、弥生の末日ごろ、桑門の蓮胤(鴨長明)、外山の庵にて、これを書きとどめる」とあります。この中には疫病の記事もあり当時も京都だけで四万人以上が死んでいます。当時の僧侶は死者の額に阿字を書いて回っています。阿字は我々が帰っていく大日如来の世界です。そして最後は「三界は、ただ心ひとつなり」としています。「・・前の年(養和の時代。 . . . 本文を読む
今日は光厳天皇が般若心経を写経され春日大社に奉納された日です。春日社への奉納写経の奥書には『延元元年三月二十九日、春日社に奉納せんがため、これを書写す。願はくは四所明神の利益によって、速やかに三界衆生の願望を満さん。』との記述があります。 文化庁の文化遺産オンラインに「重要文化財・光厳天皇 般若心経」があります。解説に「光厳天皇(1313~1364)が、延元元年(1336)伊勢大神宮、石清水八幡宮 . . . 本文を読む
今日は遣唐使成功のため神宮寺に度者を置け、という勅令が発せられています。
『続日本後紀』承和五年(838)三月甲申(27日)条
「勅して曰く、遣唐使頻年却廻し未だ過海を遂げず。夫れ冥霊之道は至信乃応。神明之徳は修善必祐なり。宜しく大宰府監已上をして毎国一人国司講師を率ひ、当国他国を論ぜず、年廿五以上精進持経心行変りなき者を択び、之を度すこと九人ならしめよ。香襲宮二人。大臣一人。八幡大菩薩宮二人 . . . 本文を読む
天武天皇は、白鳳14年(685年)3月27日「諸国の家毎に仏舎を作り、即ち仏像と経を置きて礼拝供養せよ」(日本書紀第二十九巻、「(白鳳十四年三月)壬申、詔、諸国毎家作佛舍、乃置佛像及經、以禮拜供養」)との詔を発せられました。天智2年8月(663年10月)には白村江の戦いで敗れ、いつ唐に攻め込まれるかもわからない状況でしたし、10年前の672年7月には壬申の乱も起こっています。こういう騒然たる国内状 . . . 本文を読む