大般涅槃經金剛身品第五
(ここでは仏の身は金剛身法身であると説くと共に、護法の為には刀杖を執るべし、と説いています。)
爾時世尊、復た迦葉に告げたまはく「善男子。如來身は是れ常住身・不可壞身・金剛之身・非雜食身、即ち是れ法身なり」と。迦葉菩薩白佛言「世尊。佛の所説の如く、如是等の身、我れ悉く見ず。唯だ無常・破壞・塵土・雜食等の身を見る。何以故。如來は今ま當に入涅槃の故に」。佛迦 . . . 本文を読む
鴻池屋の初代鴻池新六(注1)が定めた「幸元子孫制詞条目」「万端正路を専らとし 王法国法を守り 仁義五常(注2)の道に背かず 主君に背かず 父母に孝行し 家内と睦まじくあれ 謙遜であって奢ることなく 自分の仕事を務め上げよ。・・先祖恒例之仏事怠慢無く急度勤行士べし。先祖なくして父母無し、父母なくして己が身なし、当時家業都合宜しく候も己が利根発明にして勤出すにあらず、全て先祖累代の積徳にして父母之養育 . . . 本文を読む
大嘗祭は宗教行事(現行憲法解釈上は)に非ず。(しかし精神的には非日常的な敬虔な気持ちがなければ意味がありませんが・・)
大嘗祭は「古俗(習俗)」であり中国、朝鮮半島でも行われてきており、特別に天照大神をお祀りするものではないということができます。そもそも天照大神が新嘗祭を行っておられたのですから。古俗(習俗)であれば宗教とは言えないというのが最高裁の憲法解釈です。1、「神道は祭天の古俗」(明治2 . . . 本文を読む
掃除の功徳について「釈氏要覧」に次のようにありました。
『掃地、仏、逝多林におわすとき地不浄なるを見て衆生を樂福ならしめ勝福田に淨業を植えんと欲して、仏即ち自ら箒をとり掃はんとす。時に大聲聞見て、皆箒をとりて共に掃く。仏曰く、およそ掃くことについていわば、地に五勝利あり。一には自らの心を清淨にす。二には他者の心をして清淨ならしむ。三つには諸天歡喜す。四つには端正業を植える。五には命終して當に天上 . . . 本文を読む
よくこれだけ拝んでいるのに救われない、これだけ善行をしているのに救われない、という声を聞きますが、「これだけ拝んでいる、善行をしている」という意識をもっている間はまだ救われないのかもしれません。救われるためには布施行が必須ですが(大師の「御請来目録」に「それ釈教は浩汗にして際なく涯なし、一言にしてこれを蔽えばただ二利にあり。常楽の果を期するは自利なり、苦空の因を救うは利他なり。・・ . . . 本文を読む
以前諏訪大社をお参りしましたがその折、諏訪資料館に諏訪盆地を曼荼羅に見立てた展示がありました。これは神長官守矢満実(出雲から逃れてきた建御名方神と戦い敗れた土着の守屋一族(代々諏訪神社神長官をつとめている)の鎌倉時代の末裔)の資料からのものらしいのですが、諏訪地方を曼荼羅に見立てて開発したということでしょうか。まさに神仏一体を絵にかいたようなものでした。これをみるとまず中心はいまの諏訪市役所あたり . . . 本文を読む
第50回憂国忌は以下のように開かれるようです。
次回の憂国忌のご案内
https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwj149Duy-LsAhVXIIgKHRMqAA . . . 本文を読む
<a href=" https://88shikokuhenro.jp/88million_nennjyu_project/#title">四国霊場会で御寶號88億回プロジェクトが立ち上がっています。
</a> . . . 本文を読む
<a href=" https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjfz76KiJrtAhXDc94KHdX-AfoQFjABegQIAhAC&url=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2F4 . . . 本文を読む
今日は十斎日です。
十斎日とは月の一日・八日(六斉日でもあります)・十四日(六斉日でもあります)・十五日(六斉日でもあります)・十八日・二十三日(六斉日でもあります)・二十四・二十八日・二十九日(六斉日でもあります)・三十日(六斉日でもあります)をいいます(根拠は下の地蔵経にあります)。この日に八斎戒(不殺生、 不倫盗、 不淫、. 不妄語、 不飲酒、 不聴歌舞、 不坐広床戒、 非時食戒)を守り、 . . . 本文を読む
二十三日は勢至菩薩・不空羂索観世音菩薩・八幡大菩薩・住吉大明神・思兼と手力雄の日。・勢至菩薩(「三十日秘仏」。密教辞典には「得大勢、大勢至、世志。観音とともに阿弥陀仏の脇侍とするのは、観無量寿経に「智慧の光を以て普く一切を照らし三途を離れ無上の力を得る」と説き、観音の慈悲に対して智慧の立場から救済するため」とする。曼荼羅図典でも「胎蔵曼荼羅でも蓮華部院(観音院)にあり、左手に未敷蓮華、右手は頭指以 . . . 本文を読む
「成實論・十不善道品第一百一十六」
經中に佛、十不善業道を説く。謂ゆる殺生等なり。五陰和合せるを名て衆生と為す。此の命を斷ずるが故に名て殺生と為す。
問曰。若し此の五陰は念念に常滅す。何を以てか殺と爲すや。
答曰。五陰は念念に滅すと雖も還って相續して生ず。相續を斷ずるが故に名て殺生と為す。又是の人、殺心あるを以ての故に殺罪を得る。
問曰。現在の五陰を斷ずるが為の故に殺生と名くるや。
答曰 . . . 本文を読む