福聚講

平成20年6月に発起した福聚講のご案内を掲載します。

堀河天皇病気平癒の為全国で読経・写経をした日

2024-09-24 | 法話
中右記・(嘉保二年1095九月)「二十四日、御悩に依りて、大極殿に千僧観音経御読経を、禁中に大般若書写供養転読等を行はしめ、又諸社諸寺をして、御読経等を、五畿七道諸国をして、丈六観音像書写供養等を行はしめ、御平癒を祈らしむ、是日、上皇、亦、延暦寺に於て、千僧御読経を修せしめ給ふ、尋で、紫宸殿に於て、新写大般若経転読を行はしむ」天皇は堀河天皇。上皇は實父の白河上皇。この時は天皇は回復されたようです。 . . . 本文を読む
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今日は淳仁天皇が殺生禁止令を出された日

2024-09-24 | 法話
続日本紀・天平宝字八年766九月甲戌(二十四日)「(淳仁天皇)勅して曰く、天下諸国、鷹狗及び鶏を養ひて以て田猟することを得ざれ。又諸国御贄の雑宍魚類等を進むること悉く停めよ。」 . . . 本文を読む
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今日は大師が高野萬燈會を始められた日です

2024-09-24 | 法話
今日は大師が高野萬燈會を始められた日です。高野春秋に「天長九年九月廿四日。萬燈會修行始。是勅許を得てなり。」 . . . 本文を読む
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今日は恵運遷化の日です

2024-09-23 | 法話
恵運は延暦17年(798)生まれ貞観11年(869)9月23日72歳で没。唐八家(最澄・空海・常暁・円行・円仁・恵運・円珍・宗叡)の一人。以下密教辞典等に依ります。初め東大寺泰基・薬師寺仲継に法相教学を学び東大寺で得度、戒壇院で具足戒を受ける。後に実恵の門下に入り東寺で両部大法を受ける。842年(承和9年)8月24日唐の商人李処人の船で渡唐。長安青龍寺で義真に伝法灌頂を受け、五台山・天台山を巡拝し . . . 本文を読む
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今日は庶民の疱瘡を心配して宮中で読経修法した日

2024-09-23 | 法話
中右記・嘉保元年1094九月二十三日「今日、御前に於いて御読経二座。孔雀経九日、大般若九日、始めらる。又二間(注1)仁王講、又聖観音御修法始めらる。定賢法務(注2)。又祇園寶前に於いて大般若御読経始めらる。近日天下に疱瘡の聞えある故なり。圓禅僧都以下七口・・。天皇は堀河天皇。(注1) 二間とは、清涼殿の夜の御殿(おとど)の東隣りにある部屋の名。天皇陛下の仏間・修法などが行われた。(注2) 定賢・・ . . . 本文を読む
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今日は上田照遍和上遷化の日

2024-09-22 | 法話
今日は上田照遍和上遷化の日以下密教辞典・安心全書等に依ります。上田照遍。文政十一年(1828)八月十日-明治四十年1907九月二十二日 80歳。阿波の仁木嘉吉三男。延命寺開山浄厳和尚の俗姓を取り、上田氏と称す。十四歳で板野郡徳命村千光寺に入り戒忍恵等に就きて剃髪、のちに伝法灌頂を受ける。二十歳で高野山に登り、後京都大阪に学ぶ。特に大阪生玉の高堅、近江三井寺の大寶等に就きて華厳・天台の蘊奥を究む。安 . . . 本文を読む
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今日は後醍醐天皇が東寺に宸筆御置文を書かれた日

2024-09-22 | 法話
「仏舎利事右、国家鎮護之本尊、朝廷安全之秘術、此の霊寶に如くは無し。男女緇素、輙すなわち奉請免るの間、壺中漸く其の数を減ず。太だ以て大師の冥慮に背く。向後固く制禁せしむべし。利益の大願あり奉請せむと雖も三粒を過ぐべからず。其の人に非ざれば而も此の寶を得ざるの条、赤子霊剣を持せしむるに異ならざる者歟。慎むべし慎むべし。努々。  元弘三年九月二十二日」(元弘三年2月、後醍醐天皇が隠岐島を脱出。5月、足 . . . 本文を読む
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今日は一代一度の仏舎利使が制度化される日

2024-09-22 | 法話
今日は一代一度の仏舎利使(注)が制度化される最初の日です。日本紀略、村上天皇天歴二年九月二十二日に「・・この日仏舎利五十五社に奉じらる。僧各一人を使差す」とあります。以降三六七年間、三一代に渡り連綿と維持され国家行事として運営されたようです。注)一代一度仏舎利使とは、天皇即位に際して宇佐・石清水以下全国の各名社に仏舎利使を派遣し、仏舎利を奉納する即位儀礼。その対象となる名社は、五畿七道にわたりほぼ . . . 本文を読む
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今日は一代一度仏舎利使の始まりの日

2024-09-22 | 法話
今日は一代一度仏舎利使の始まりの日日本紀略・天暦二年948九月二十二日の条「この日、仏舎利を五十五社に奉じらる。僧各一人を差し使さらる。但宇佐宮幷に石清水には各副へて法服一具例也。」天皇は村上天皇。此の日が一代一度の仏舎利使(天皇陛下の即位時に諸社に仏舎利使を遣わすこと)の最初の記録とされます。古来即位式の度に新天皇は、全国の神社に仏舎利を奉納されていました。 「即位儀礼に見える仏舎利信仰・・・一 . . . 本文を読む
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「初期対日方針」で日本をカルタゴ化しようとした日

2024-09-22 | 法話
今日22日は米国務省が「初期対日方針」(SWNCC150/4/A)を発表した日です。「マッカーサーの戦後処理は、『カルタゴの平和』、つまりスキピオが出した降伏条約の内容と憲法を含めて、瓜二つ」という指摘がありました。 カルタゴは絶対平和主義のもと貿易で栄えましたが国防は傭兵にまかせておりローマにポエニ戦争で絶滅されました。仏典でも武力を持つなとはどこにも書いていません。 . . . 本文を読む
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立ち並ぶ仏の姿今見れば

2024-09-21 | 法話
「立ち並ぶ仏の姿今見れば皆苦しみに耐えしみすがた」(今井邦子(注))仏様方は無始以来のわれわれの地獄のとめどない苦しみを日々ご覧になり共に日々深く苦しんでおられることは確かです。(注)昭和の代表的女流歌人。キリスト教の洗礼を受け一灯園にも入園。子供二人を置いて家出等波乱万丈の私生活を送った。 . . . 本文を読む
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今日は陽成天皇御出家の日

2024-09-20 | 法話
「九暦」「(天歴三年949)九月二十日陽成院天皇病悩に依り御出家の事」この年、九月二十九日には 陽成上皇は崩御されています。82歳でした。貞観十年869のお生まれですからご長命であったということです。昔の日本人には第二の人生として「出家」という別天地が用意されていたのです、現在でも各界の指導者は引退するときに出家すればよいと思います。老後に見苦しい姿を晒さなくて美しいのですが・・・。百人一首に「つ . . . 本文を読む
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彼岸の日迎え日送り

2024-09-20 | 法話
彼岸の日迎え日送り五來重の「宗教歳時記」から関連部分を抜き書きします。「・・彼岸の七日間の間に「日の供」とか「日迎え日送り」をする行事は丹後や播磨に良く残っていた。村人は朝は東の方のお宮やお寺・お堂に参り、日中は南の方のお宮やお寺・お堂、夕方は西の方のお宮・お寺・お堂に参るのである。これによって農耕の安全を祈るとともに、これを節目として祖先の霊を祀るところから墓参や念仏に結びつきやすかったとおもう . . . 本文を読む
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今日は源兼明が法華経供養願文を書いた日

2024-09-19 | 法話
ここでは現世の利益はあきらめたから来世を安楽に・・と願っています。当時の貴族でさえ現世利益をあきらめるほど人生はつらかったのでしょう。「本朝文粋」「供養自筆法華経願文弟子某敬白、夫れ来るものは留まらず 薤壠(がいろう・韮を植えた畝)に 晨を払う露あり、去るものは返らず 槿籬(きんり)に 暮(ゆふべ)にいたる花なし、此の浮生を論ずれば 彼の花の露の如きか、況や雪鬚の齢に遭ひ 黄壌(黄泉)の期を催す、 . . . 本文を読む
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今日は石清水八幡創建の日

2024-09-19 | 法話
  「本朝高僧傳」「釈行教。世姓紀氏。備後州人、山城守兼弼の子、孝元天皇二十一世の裔。仁和寺益信の俗兄也。和の大安寺に居し三論及び密教を學す。道骨堅強、勤修撓ず。徳業を上聞、傳燈阿闍梨に任ず。常に寺の鎮守八幡を持念す。貞観元年859、豊前宇佐八幡神祠に詣ず。一夏九旬、昼に諸大乗経を読み、夜に密呪を誦す。夏満、帰らんとす。其の夜、夢に神曰く、『我亦随行し王城側に居り、當に皇祚を護らむ』。 . . . 本文を読む
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