紙本墨書伏見天皇宸翰御願文(正和二年二月九日)https://www.google.co.jp/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&cad=rja&uact=8&ved=2ahUKEwjwr8zd9czuAhWDP3AKHe-pBpA4HhAWMAR6BAgLEAI& . . . 本文を読む
日本紀略 / 長徳元年(995)二月九日乙酉条
「九日乙酉 仁王会 天下疾病に依る也 (大江)匡衡、呪願文を草す」
天皇は一条天皇。天然痘の流行で正暦から長徳に改元しています。此の年、政界上層部にも天然痘は蔓延し道長のライバルはすべて病死します。
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明暦2年1656、2月9日、寛海「御七日御修法」を紫宸殿で追修する(東寺百合文書)。密教辞典には「寛海」として3名がのっているがこの寛海は後施無畏院殿といわれ、16・17世紀の人。花山院左丞相定照の息。1651・慶安4年、東寺193代長者。護持僧宣下を受け宮中御修法を勤めた。大僧正。 . . . 本文を読む
「龍樹菩薩の教誡に 仏果を期して戒なきは 渡りに船のなき如く 到るを得じと、のたまえり」龍樹菩薩とは仏滅後600年出世の仏の代理にして住寿300歳なり。始めの100歳は世間の学理と外道の宗教を学び、次の100歳はもろもろの小乗教を学び、次の100歳は諸々の大乗教を学び、終わりにのぞんで秘密佛乗を伝授したまひし大士にして亦即今本邦に弘通するところの仏教諸宗の高祖なり。南インドに伝わる小乗の人も共に . . . 本文を読む
袁了凡の四訓の中に「孔という易者が袁了凡の一生を占ってそのとおりになっていたが雲谷禅師が『極善の人には運命もかなわぬ。極悪の人間も運命はこれをどうすることもできぬ。易者のいうとおりになっていたのでは極善でも極悪でもない凡夫である。今から自己を改めて徳を積み、和を湛え、精を惜しみ、忿を懲らし、従前の種々のお前は既に死んだ。向後の種々のお前は今日ここに生まれたようにしなさい。これぞ義理再生の身である。 . . . 本文を読む
治承五年1181、2月7日、諸国に不動明王を祀り尊勝陀羅尼(注1)を書写させました。「治承五年二月七日 宣旨頃年(しきりの)以来、諸夏静ならず、災異荐(しき)りに発り、兵革旁々起り、其の表示の帰り指す思い、偏に是魔縁の致す所か。仏力を仮るに非ざるよりは、何を以て人庶を安んぜん。よろしく神社・仏寺・諸司・諸家及び五畿七道諸国に下知す、不動明王の像を顕し、尊勝陀羅尼摺尊を写し、尊躰数遍を図すべし。数只 . . . 本文を読む
今日、推古天皇が「神祇禮祭の詔」を出され為政者は「跼天蹐地(きょくてんせきち)」の心構えで世を治め神に祈るとおっしゃいました。日本書紀卷第廿二・推古天皇十五年二月「戊子(七日)、詔して曰く、朕(あれ)聞く、曩者(むかし)、我(あ)が皇祖天皇等(みおやのすめらみことたち)の世を宰(おさ)めたまへること、天に跼(せぐくま)り、地に蹐(ぬきあし)して、敦く神祇を禮(ゐやま)ひ、周(あまね)く山川を祠り、 . . . 本文を読む
今日は金剛峰寺が定額寺になった日。続日本後紀・承和八年841二月七日の条に「戌申、小僧都大法師位實慧言く、紀伊国伊都郡高野山に在る金剛峰寺は去る承和二年二月丗日、定額預かり畢んぬ。今深山に在り、燈明あることなし。望也。定額寺に准じ、燈分を施し幷に佛聖二座を供養被れたし。之を許す。」 . . . 本文を読む
「拉致、北方領土、竹島…脅かされる国家主権」
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今日は句仏忌です。句仏こと大谷光演は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧で東本願寺第二十三代法主、伯爵。1943年(昭和18年)2月6日、68歳にて示寂しています。画家俳人でもあり俳号を「句仏」といいました。これは「句を以って仏徳を讃嘆す」の意といいます。(ウイキぺデア)「勿体なや祖師は紙衣の九十年 」「蒲公英(たんぽぽ)をよけて通りし轍かな 」「炭焼きの火遠き山や初月夜 」「消さてある仏灯に . . . 本文を読む
今日天禄3年2月6日(972年2月28日)は東寺長者・金剛峯寺座主・蓮台寺僧正寛空が89歳で遷化された日です。-生涯に孔雀経法を8回修し、その修法による霊験で知られたといいます。 . . . 本文を読む
今日は法相宗開祖『大唐西域記』著者の玄奘三蔵のご遷化の日です。三蔵法師は麟徳元年664、二月五日六五歳で遷化されています。以前お参りした坂東第12番慈恩寺は周囲の風景が唐の大慈恩寺(玄奘三蔵が膨大な訳経作業をおこなった寺)に似ていることからこの寺号がついたと伝えられ、昭和17年に日本軍が南京郊外で発見した玄奘三蔵の霊骨の一部をお祀りしています . . . 本文を読む
今日天長二年825、二月五日は大師が真雅に伝法灌頂を授けられた日です。以下密教辞典等に依ります。「真雅。貞観寺僧正・法光大師。延暦20年(801年) - 元慶3年1月3日(879年2月1日))。大師の弟。825年天長二年、東寺で大師から両部灌頂を受け、阿闍梨位となり、特に「天長の大事」を相承・・・。 . . . 本文を読む
三代実録 / 元慶二年(878)二月五日辛未条
「五日辛未 ・・ 備後国飢う、絶乏戸二千四十人に優復す」
天皇は陽成天皇。飢餓で食のない戸二千四十人に優復(令制で、特に優遇して調・庸・雑徭を免除)した。
当時はきめ細やかに庶民の暮らしを朝廷は見ていたことになります。 . . . 本文を読む