文豪の釈教歌
「廬舎那仏仰ぎて見ればあまたたび 継がれし首の安げなるかな」(森鴎外、大正11年「明星」)
「おりたちて今朝の寒さを驚きぬ露しとしとと柿の落ち葉深く」(伊藤左千夫、大正元年「アララギ」
「なにごとぞ手向けし花に狂ふ蝶」(夏目漱石、明治二十四年)
「垂乳根と詣でに来れば麻生やま 子供あそべり御仏の前」(北原白秋、大正3年)
「比叡山の古りぬる寺の木がくれの 庭の筧を聞きつつ眠 . . . 本文を読む
国土は神・佛・先祖であり『道』を具現化するためのものである。
1,「日本精神の研究(安岡正篤)」
「我が建国の由来を尋ねて先ず敬虔の情を覚えるものは、わが大八州国成立の神話である。天地開闢して後、伊弉諾伊弉冉の男女二柱の神がおのころ島におりられて、まず生まれたのが大八州、即ち日本の国土である。それから水や木や火の神が生まれ、女神は遂に崩御されて夜見の国に行かれた。夜見の国は見て . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の19/22
十九、 古佛造営功力の事
中古朱雀大路の祇陀林寺(京都中御門京極の東にあった天台宗の寺。 長保二年(1000)良源の弟子仁康の創建と伝えられる。)の門前にて童部あつまり毱打・・もろばし合ひけり。保元二年(1157)正月中旬の比(ころ)例の如く集まり合て打相ひける中に歳二十ばかりなる者の小童の中に立ち交じりて見ければ或童部の持て打ちける玉の . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の18/22
十八、 火印地蔵の事
中古片山寺に清き僧ありしにある女房をかたらひて都のほとりに居を移して偏に世渡る事のみ営居たりけれども、さすがあらぬさまに成りぬる身の罪障後の世の事をそろしく思ひければ地蔵菩薩こそかかる拙き身をも捨てさせ玉はず本願他に異なればせめて現世こそなれ未来の苦果重きを轉じて軽受したくと地蔵一躰を造立し奉り朝夕香華を供養し家を出 . . . 本文を読む
今日30日は大師が「四恩の奉為に二部の大曼荼羅を造する願文」を書かれた日です。「四恩の奉為に二部の大曼荼羅を造する願文」奉為四恩造二部大曼荼羅弟子苾蒭空海両部曼荼羅に帰命し奉るそれ金剛の四法身(自性・受用・変化・等流法身)、胎蔵の三秘印(法・三昧耶・大曼荼羅)は空性に憩って軷祖(ばっそ・発心)し、重如(真如)に秣って以て脂轄(しかつ・車に油指す)す。一道無為は初入の門(天台は密教の入門)三自本覚は . . . 本文を読む
「沙門勝道山水を歴て玄珠(げんじゅ、悟りを求める心)を瑩く碑並序沙門遍照金剛撰」蘇巓鷲嶽(そてんじゅがく、須弥山・鷲峯山)は異人(佛菩薩)の都するところなり。達水龍坎(だっすいりょうかん、龍の棲む池)は霊物ここにあり。夫れ境、心に従って変ず。心垢るれば境濁る。心は境を逐って移る。境しずかなるときは心ほがらかなり。心境冥会して道徳(絶対の働き)はるかに存す。能寂(釈迦)常に居して利見し(仏がみそなわ . . . 本文を読む
昭和20年8月30日はGHQの総司令官マッカーサーが厚木に降り立った日です。この背後には様々なドラマがあったようです。「"敗戦日本"を守った男 安藤明の生涯―「厚木事件」撤去作戦の真相 (世界大戦文庫スペシャル (2))」という本があります。以下概要です。「厚木事件というのがありました。戦後、海軍反乱将校達がマッカーサーの降り立とうとする厚木飛行場に立て籠もり、滑走路を使えない程残骸で覆ったのです . . . 本文を読む
恵果和上の霊験1、大師が撰せられた「大唐神都青竜寺故三朝の国師灌頂の阿闍梨恵果和尚の碑」に恵果和上は現世利益も重んじられたとあります。「(恵果阿闍梨は)唐の歴代の皇帝玄宗、粛宗、代宗の国師であり、代宗、徳宗、順宗は恵果阿闍梨を師として結縁灌頂をうけた。長安の青龍寺にあって多くの降雨止雨をはじめとする霊験を現し衆生済度につとめられた。」「榮貴を示して榮貴を導き(榮貴を求めるものには榮貴を与えて導き) . . . 本文を読む
地蔵菩薩三国霊験記 6/14巻の17/22
十七、 火難除滅の事(今昔物語集巻十七地蔵菩薩値火難自出堂語 第六にあり)
一條院の御宇(980から1011)に土佐國室戸津に一宇の草堂あり。津寺と俗に云ふ(現在の四国25番津照寺)。彼の地、海岸孤絶して人里不通のみぎりなり。然るに四邊の草木皆野火の為に焼き失れ焔すでに堂にうつりなんとするとき、小僧一人走り廻る。津のあたりの人来集りて見る . . . 本文を読む
道元禪師は建長5年8月28日(1253年9月22日))京都高辻西洞院の在俗の弟子、左金吾禅門覚念邸で寅の刻(午前四時頃)、座亡されています。五十四歳でした。私は道元さんが真言を批判して居られるのを知っていますが、なぜか道元さんが好きです。特に「修證一如」(われわれは仏であるから修行するのだ)」というお考えなど、私のような凡夫にも分かりやすい教えです。遺偈は次のようなものです。「五十四年第一天を照ら . . . 本文を読む
明治40年8月28日は加藤弘之が「吾国体と基督教」を発行した日です。中で大要「日本の神々・皇室・社会国家に偉勲のあった人々は之を先祖として崇拝すべきで基督教などと一緒に宗教として扱うべきではない‥」との趣旨を述べているようです。なおキリスト教と皇室の関係は天正十五年六月十九日の秀吉の「伴天連追放令」の最初にも「一、日本ハ神國たる処きりしたん國より邪法を授候儀 太以不可然候事」とあります。当時から問 . . . 本文を読む
今日はソ連がアメリカの支援の下に北方四島侵略を始めた日
「ソ連軍による、一九四五年八月二十八日から九月五日に行われた北方四島(択捉島、国後島、色丹島、歯舞群島)占領作戦に、アメリカはソ連兵の訓練指導に当たり、アメリカの艦船十一隻を投入し、ソ連を軍事支援していた。」
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