「明治維新とは何だったのかー世界史から考える」(半藤一利・出口治明対談、祥伝社)に
「戊辰戦争では長崎で「慶応元年 2万5850丁(16万ドル)慶応2 年 2万1620丁(27万ドル)慶応3 年 6万5367丁(98万ドル)明治元年 3万6511丁(62万ドル)、横浜で「慶応3 年 10万2330丁(133万ドル)明治元年 10万5036丁(160万ドル)明治2 年5万8813丁(64万ドル)」 . . . 本文を読む
今日は九条兼実出家の日です。以下ウキぺデアに依ります。「兼実は、建仁2年(1202年)正月27日、法然を戒師として出家、円証と号した。兼実は将来を嘱望されていた長男・良通が早世した心痛等から、法然に深く帰依するようになった。法然の著作『選択本願念仏集』は兼実の求めに応じて、法然が著したものである。」 . . . 本文を読む
日本紀略弘仁十四年823一月「廿日丙子、新銭百貫を大和國に賜ひ益田池築料に苑つ」
大師の「大和州益田池碑銘并序」です。
「大和州益田池碑銘并序
若夫、感星銀漢下し灑(そそ)ぐ功深し、湖水天池、上り潤すの徳普し、故に能く屮芔(そうき・・草)これによりて鬱茂たり、蟲卵これに頼りて長生す、八氣(はっき・・八紘の気で寒暑を出す)播殖し、五才(五行)陶冶するがごときに . . . 本文を読む
今日は「かね起し」(正月十六日)
「年中行事覚書・柳田国男」「正月松の内は仏いじりはせぬようにしている。それを新たに始めるので、十六日は意味があったように思われる。中国四国のかなり広い区域では、この日を仏の正月といい、あるいはまた「念仏の口あけ」ともいっている。これに対する「念仏の口止め」は、多くの地方では暮の二十五日ごろであった。九州の島々には、正月十六日を鉦起しという例があ . . . 本文を読む
ラフカデオハーン「神国日本・家庭の宗教」より「・・死者は死んでいるとは考えられていない。すなわち依然として生前愛した人たちの間に立ちまじっていると考えられているのである。姿こそ見えないが死者はその一家を守り、その中にいる人たちが幸福であるように見守り、夜になれば燈明の明かりの中をひらひらと舞う。そして炎がゆらめくのは死者の動きなのである。たいがい死者は位牌の中に住居している。時によっては位牌が生き . . . 本文を読む
日本書紀持統天皇三十年「持統天皇春正月・・皇太子(草壁)・・(天武帝の)殯宮に適ひ慟哭し・・庚辰(十五日)京師年八十以上及び篤癃(あつひと・重病人)、貧にして自存不能者に緜を施す」 . . . 本文を読む
日本紀略・天長九年一月十四日・淳和天皇
「戊申(十四日)、最勝會畢。紫宸殿に於いて僧正護命等に請ひて論議せしむ。御被を施す。」
この時大師は五十九歳、参加されています。(弘法大師傳年譜) . . . 本文を読む
本来お正月は神仏一体の先祖祭りの日でした。古典の数々(注4、5,)柳田國男「先祖の話」(注1)、五來重「宗教歳時史」(注2)、「奈良県民俗地図」(注3)等から明らかです。注1、「先祖の話」柳田國男」(昭和21年4月)正月の十六日を以て先祖を拝むにとしている例は極めて多い。先祖正月といふのはこの日のことで先祖の墓の前に集まって酒盛りをする風がもとはあった。・・日本人の志としては、たとへ肉体は朽ちて跡 . . . 本文を読む
森寛紹猊下は、明治32年(一八九九)5月31日、温泉郡重信町(現東温市)生まれ。元高野山真言宗管長・高野山真言宗総本山金剛峯寺第406世座主。平成6年12月26日、九五歳で遷化されています。俳人としても活躍され「お遍路の誰もが持てる不仕合ふしあわせ(森)白象」の句は森寛紹(白象)の三男が亡くなり、遺骨を携え四国巡礼に出たとき詠んだものとされ四十七番八坂寺に句碑がありました。 . . . 本文を読む
今日は梵語学者荻原雲来博士の遷化された日です。以下密教辞典及び「明治の仏教者」によります。生れは明治2年2月10日和歌山県田辺にて生誕。幼くして父を失い上京して浄土宗の泰斗荻原雲台の弟子となる。福田行誡に宗戒を受け浄土宗学校に学び、ドイツに留学梵語学の世界的泰斗ロイマン教授に、学び欧州に名声を轟かし帰朝、東大講師、淑徳女学校校長となり大正11年には文学博士。梵漢対訳仏教辞典・実習梵語学・印度の仏教 . . . 本文を読む
「高野春秋」「(延喜元年901)冬十二月十三日、長者益信僧正を大阿闍梨と為し、東寺灌頂院に於て空理法皇(寛平法皇)に両部密灌を授輿し奉る。是御悃望に凭る也」
(「此の時、益信僧正誠講の言に『大王諦聴、斯の秘密無上大法は南天鐵塔内において金剛薩埵大普賢如來は龍猛を得て之を傳へ、猛は龍智に授し、跋折羅戌波伽羅に附す。此の二尊は倶に中天の大王の子、戌波伽羅は幼にして寳位を脱して那伽尊者 . . . 本文を読む
「日本の基層文化は縄文文化でありそれは蝦夷と沖縄にある」
梅原猛は「甦る縄文」等で「日本の基層文化は縄文文化でありそれは蝦夷と沖縄が本家である」と喝破しています。最近では遺伝子解析でもこれが証明されてきているようです。
「科学 2022.02号」にも「アイヌ・琉球同系説 -「縄文遺伝子 × 考古学」」として「縄文人・弥生人の二重構造モデルを DNA 解析により実証すると、アイヌ人と . . . 本文を読む
宮澤トシは1922年(大正11年)11月27日24歳で逝去しています。
「永訣の朝」(宮沢賢治)
「けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
(あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
(あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜のもやうのついた
. . . 本文を読む
三代実録 / 元慶五年(881)十一月廿六日庚午条
「廿六日庚午 皇太后、太上天皇の奉為に 染殿宮に於いて 周忌の御斎会を設け 諸大寺の高僧を延べて法華経を講ずること五日訖を限る。 親王公卿及び五位已上は畢く会す。 京中の貧窮者を鴨河辺に召集し 之に賑給す。」
・天皇は陽成天皇。皇太后は清和天皇后藤原高子。太上天皇は清和天皇で元慶四年に薨じています。
・昔は皇族は . . . 本文を読む