今年も桜が咲き誇っています。
慈雲尊者の桜の歌です。慈雲尊者和歌集より。桜をみて我を忘れてうっとりしている間に月日は過ぎてしまうとおっしゃっていました。 . . . 本文を読む
第五三課 失敗
失敗が怖いのではない
失敗したときの人間が
「こころを腐らせる」のが怖いのだ
腐れは腐れを呼ぶ
少しの腐れが大きくなる
果てしもないほど腐れは拡がる
失敗を怖れるな
失敗は成功の始めとは
あまりに古い言葉というか
古いとて真理ならば
それはいつも新しい生命を持つ
その言葉は古くしていつも新しい
伸びる前には屈するのだ
勝つ前に負けるのも一興
この考えは古くても . . . 本文を読む
花に嵐
2014-03-30 | 法話
「月に叢雲、花に風」という諺がピッタリの昨日今日となりました。
春の嵐に散る桜を見ていると、孟浩然の有名な詩、「春暁」
「春眠暁を覚えず
処処啼鳥を聞く
夜来風雨の声
花落ちること知る多少」を思いだします。
また、宮沢賢治の「かがやきの 雨にしばらく散る桜 いつ゛ちのくにのけしきとやみん」という歌もあります。これは賢治の大切にした法華経如来寿量品の「……衆生の遊楽する処なり、諸天天皷を撃ちて常 . . . 本文を読む
第五二課 成功
人から、成功と見られて自分ではそれほどと感じない成功があります。
また、人から失敗と見られて、自分では成功と思っている成功があります。
また、人も自分もともに許す成功があります。
人が成功と思ってくれるのを、いくら自分は不満足だとて、にべもない顔をしているのは、あまりに人間味がありません。愛想にも多少は悦んでいいでしょう。
自分に真に成功した確信あらば、あ . . . 本文を読む
Q,本地垂迹説とはなにか?
A,本地垂迹説とは(総合佛教大辞典による)
「本地である仏が人々を救済するためかりに神の姿となって現れるという説。近世末期まで継続した。神仏習合の初見は文武天皇2年‘(698)伊勢国多気郡太神宮寺遷移の記事で、その後神宮寺は奈良時代に入り気比・宇佐八幡比・鹿島・二荒山・熱田・賀茂などの大社に造立されていった。宇佐八幡は天平勝宝元年749年12月に東大寺大仏鋳造を援助す . . . 本文を読む
第五一課 人間万歳
人間万歳
人間万歳
人間よ、泣きたくば泣け
人間よ、笑いたくば笑うも宜い
怒りたくば、怒っても宜い
迷うもなやむも好き勝手だ
人間よ、あなたの持つ七情を生かせ
人間よ、怒って、泣いて、笑って、迷って
まだまだあなたの心をみんな生かせ
憎みも愛も嫌いも好きもみんな生かせ
人間よ、生悟りは御免だ
人間よ、白ちゃけた行い澄した顔はおやめ
泣くより怒るより迷うより
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十二月十五日 晴(重複するけれど改めて記述する)
とうとうその日――今日が来た、私はまさに転一歩するのである、そして新一歩しなければならないのである。
一洵君に連れられて新居へ移って来た、御幸山麓御幸寺境内の隠宅である、高台で閑静で、家屋も土地も清らかである、山の景観も市街や山野の遠望も佳い。
京間の六畳一室四畳半一室、厨房も便所もほどよくしてある、水は前の方十間ばかりのところに汲揚ポンプ . . . 本文を読む
第五〇課 塹壕戦
物事を成し遂げるには、塹壕戦の覚悟が必要だと思います。自分の職場を守って、いつまでもいつまでも忍耐し、最後の成功を得るというやり方であります。
かの欧州大戦で、最初は一時も早く敵を倒してしまおうと、急勝せっかちに戦いましたが、そうしますと死傷ばかり多くて、ともすれば戦線に隙が出来、まかり違えば敵に背後を突かれるという危険がありました。そこで戦争の中頃からは一面に塹壕 . . . 本文を読む
袴田事件
2014-03-28 | 法話
袴田事件で袴田さんが昨日釈放になりました。48年間拘禁された挙句のことです。
司法の恐ろしさは丁度観音経にある次の偈を思い出させます。
「わくそうおうなんく りんぎょうよくじゅうじゅう ねんぴかんおんりき とうじんだんだんね
或遭王難苦 臨刑欲寿終 念彼観音力 刀尋段段壊
わくしゅきんかさ しゅそくひちゅかい ねんぴかんのんりき しゃくねんとくげだつ
或囚禁枷鎖 手足被柱械 念彼 . . . 本文を読む
十二月十四日 晴。
藤岡さんを局に訪ねて郵便物をうけとる、いずれもうれしいたよりであるが、とりわけ健からのはうれしかった、さっそく飲む、食べる、――久しぶりに酔っぱらった。
夕方帰宿すると、留守に高橋さんが来訪されたそうである、新居の吉報を齎らして、――すみませんでした。
ぐっすり寝る、夢も悔もなし、こんとんとしてぼうぼうばくばくなり
十二月十五日 晴。
昨日の飲みすぎ食べすぎがた . . . 本文を読む
第四九課 仕事
仕事を力一ぱい以上にやり、身も心もほとほとに疲れ果て、しかしそのまま寝倒れるのも惜しいというときがあります。このとき、つまらない末梢神経は尾をたたんでどこかの隅に消え隠れてしまい、ただ大きく頷く了々たる月のようなものが心の一角に引きかかっています。また感謝と恍惚が身体の節々まで浸み通り、皮膚さえ匂わしく感じられるのです。
仕事はどんな出来でも、自分には、これ以上出来な . . . 本文を読む
十一月二十二日――二十六日 藤岡さんの宅にて。
ぼうぼうとして飲んだり食べたり寝たり起きたり。
晴れたり曇つたり酔うたり覚めたり秋はゆく
十一月二十七日 曇――晴、道後湯町、ちくぜんや。
朝酒をよばれて、しばらくのおわかれをする、へんろとなって道後へ、方々の宿で断られ、やっとこの宿におちつかせてもらう。
洗濯、裁縫、執筆、読書、いそがしいいそがしい。
十一月二十八日――十二 . . . 本文を読む
第四八課 女のヒステリー
世間一般に言いならされたいわゆる「女のヒステリー」というものは、医学上でいうヒステリー症とは大変な相違があるようです。医学上のヒステリーは一種の精神病を指し、それは女ばかりでなく男でも子供でも起るそうです。その患者は時折癲癇のようにひっくりかえり、不断でも体の方々が痺れたりするそうです。しかし、私がここで述べますのは、世間でよく人々が悪口に言う「あの女はヒステリー . . . 本文を読む