「親子は一世、夫婦は二世」
最近夫婦関係の破綻が多いようです。それもちょっとした原因ですぐ別れ話になってしまうケースを見ます。離婚は現代人が思っている以上に大悲劇です。出典は不明ですが古来日本ではこの「親子は一世、夫婦は二世」という言葉が人口に膾炙されてきました。過去、現在、未来を仏教では三世と言います。親と子の関係は現世だけで終わる一世のもの、夫婦は現世と来世または過去世と現世の二世に渡るつなが . . . 本文を読む
「あんたら、人間を五十年六十年七十年やってきて、いいかげん人間の玄人になれたかどうかや。いくつになっても素人のまんまとちがうか。
玄人と素人とどうちがうか。人間の知恵の限りを働かせて作った飛行機がしょっちゅう衝突したり、故障したり、天候が悪いと欠航する。これ、空飛ぶ素人。
トンボみてみ。空中衝突して落ちたなんて聞いた事ない。これが玄人がやぞ。
山へ樵夫が入って樹を伐り倒す。根元から倒され、枝 . . . 本文を読む
4、臓器移植に反対する意見もあります。「臓器移植は人間の欲望の充足を安易に容認する危険性がある。仏教はもともと欲望が苦の原因であるとして、その抑制を説いてきた。与えられた人生を生ききることが大切」「孝経には『身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり』とある。」「脳死を人の死とするのは殺生を禁じている仏教に反する」等という意見です。しかし宗派として明確に臓器移植に反対という宗派は無い . . . 本文を読む
3、 先に布施行としての捨身の仏典の記述を見ましたが、実際、日本でも仏道成就・衆生済度の為に無数の捨身行が行われてきました。
㈠ 仏への供養としての焼身についていえば、「大日本国法華経験記」に日本最初の焼身として紀伊熊野那智山の僧応照の焼身が記されたり、長徳元年(995)9月、六波羅蜜寺の僧が、菩提寺の北辺で焼身供養(「日本紀略」長徳元年9月15日条)その翌日には、近くの阿弥陀ケ峰でも焼身自殺が . . . 本文を読む
正法眼蔵随聞記第六
「・・示シテ云ク佛々祖々皆ナ本ハ凡夫ナリ凡夫ノ時ハ必シモ惡業モアリ惡心モアリ鈍モアリ癡モアリ
然アレドモ盡ク改メテ知識ニ隨テ修行セシユヘニ皆佛祖ト成シナリ
今ノ人モ然アルベシ我ガ身愚鈍ナレバトテ卑下スルコトナカレ
今生ニ發心セズンバ何ノ時ヲ待テカ行道スベキヤ
今強テ修セバ必ズシモ道ヲ得ベキナリ」 . . . 本文を読む
先日、臓器移植を受けた方から「仏教では臓器移植反対なのか?」という質問を受けました。
結論は、「様々な立場がありますが私は賛成です。日々殺生を重ねて生きてきているわれわれ、しかも当事者でもないものが論評すべきことではないからです。」ということです。
1、 本来仏教では究極の布施行として、「捨身」が説かれてきました。「法華経・薬王菩薩普門品」では喜見菩薩が、仏の供養のために身を焼きます。「金光明経」 . . . 本文を読む
8月7日以下のように関東一宮参拝を計画しております。配車の都合上、ご出席いただける方は講元まで早めにご連絡お願い致します。
「8月7日(日)10時・拡大関東・一宮神社他巡拝第 1回,JR 大宮駅中央改札北(自由通路に面して東 口に近い方)。武蔵国一宮(・氷川神社・氷川女体 神社・中山神社)参拝」 . . . 本文を読む
今朝福祉施設の障害者を襲撃するという衝撃的な事件がありました。
小泉改革のころから、障害者高齢者等社会的弱者は多大の国費投入を迫るので社会のお荷物であるかの如き雰囲気を醸し出されてきました。今回の事件もこの弱者お荷物論の雰囲気の延長線上にある面もあるような気がしています。
われわれもともすれば金銭面だけで社会的弱者対策を判断しそうですが、今回の事件は改めてそういう皮相な見方を改めさせる機会となって . . . 本文を読む
第十二講 開かれたる秘密
故説般若波羅蜜多呪 即説呪曰 掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶 般若心経
(といいて般若波羅蜜多心経はんにゃはらみたしんぎょうを説き終わる)
秘密の世界
さてこれからお話し申し上げる所は『心経』の最後の一節でありまして、昔から秘蔵真言分と称せられて、一般に翻訳されずに、そのままに読誦どくじゅせられつつ、非常に尊重され、重要視されているのでありま . . . 本文を読む
第十一講 真実にして虚むなしからず
(般若波波羅蜜多は自他を救う究極の呪である)
故知般若波羅蜜多 是大神呪 是大明呪 是無上呪 是無等等呪 能除一切苦 真実不虚
空間の一生
あの『青い鳥』という名高い本を書きましたメーテルリンクは、『空間の一生』という短篇のなかで、こんなことをいっております。
「人間の一生は、つまり一巻の書物だ。毎日私どもは、その書物の一ページを必ず書いてお . . . 本文を読む
第十講 般若は仏陀ほとけの母
三世諸仏。依般若波羅蜜多故。 得阿耨多羅三藐三菩提。
災難をよける法
たしか越後の良寛さんだったと思います。ある人から「災難をまぬがれる妙法如何いかん?」ということを尋ねられたときです。そのとき、彼は、
「病気になった時には、病気になった方がよろしく、死ぬ時には、死んだ方がよろしく候。これ災難を免れる、妙法にて候」
と、答えたということですが、 . . . 本文を読む
第九講 恐怖おそれなきもの
菩提薩埵、依般若波羅蜜多故、心無罣礙、無罣礙故、無有恐怖、遠離一切顛倒夢想、究竟涅槃。
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すでに私は、『心経』の無所得、すなわち所得なしということをお話ししておきましたが、この無所得の境地は、こういうふうにいい表わしたらよくわかるかと存じます。
こころの化粧
かつて私は宅が狭いので、書斎が兼客間でし . . . 本文を読む
第八講 執著とらわれなきこころ
無智亦無得。以無所得故。
ミルザの幻影 英国の文豪アジソンの書いた『ミルザの幻影』という随筆のなかに、こんな味わうべき話があります。
「人間の一生は、ちょうど橋のようなものだ。『生』から『死』へかかっている橋、その橋を一歩一歩渡ってゆくのが人生だ。だが、その橋の下はもちろんのこと、橋の手まえも、橋の向こう側も、真暗闇まっくらやみだ。その不安な橋をトボ . . . 本文を読む
NHK「心の時間」の石清水八幡宮田中恒清宮司の言葉の五回目最後です。田中宮司の言葉は「中今を生きる」です。「一生懸命努めても報われるとは限らない。しかし現実をあるがままに受け止め一瞬一瞬を大切に努力することが神から与えられた命を生ききることになる。」
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