今日は旧盆です。お盆に僧の供養をする理由は? . . . 本文を読む
Q,定業(過去の業因によって結果を招くことが決定している業)は仏様でも転ずることができないと言われますが、では仏様の利益とは?A,業には現世で報いがでるもの、来世で出るもの、再来世ででるもの、いつ出るかわからないもの、と種々の業がある。軽重はあるが業の報いは必ず出る、業の報いは懺悔して仏様の教えに従った生活を続けるしか消滅できないのである。夢中問答集(無窓疎石)より・・・7「神仏の効現問、仏力・法 . . . 本文を読む
問、禅門の宗師の語をみれば先ず自心を悟りて後、やうやく旧業・余習を尽して余力あらば他人に及ぼすべしと、すすめられたり。しからば経の中に自未得度先度他とするは菩薩の願なりといへるに背かずや。(大般涅槃経に「憐愍世間大醫王 身及智慧倶寂靜無我法中有眞我 是故敬禮無上尊發心畢竟二不別 如是二心先心難自未得度先度他 是故我禮初發心初發已爲人天師 勝出聲聞及縁覺如是發心過三界 是故得名最無上・・」と)答、慈 . . . 本文を読む
Q,心を尽くして祈れどもかなふことの稀なることは何ぞや?A,夢中問答集(無窓疎石)には、「佛菩薩の真の功徳問、佛菩薩は皆一切衆生の願を満たし給はんといふ誓ひあり。・・・しかるに心を尽くして祈れどもかなふことの稀なることは何ぞや?答。・・・薬師如来は衆生の病を除滅せむと誓ひ給へども世間を見るに病者ならぬものは少なし。普賢菩薩は一切衆生に随順して給使せむと誓ひ給へども世間を見れば従者一人もなき人も多し . . . 本文を読む
Q、地蔵菩薩はなぜ道端に多く祀られているのか?A,お地蔵さまは道祖神と習合して道端に多く祀られるようになったというのが民俗学者の説です。・まず柳田国男「道祖神」の中から、「・・閻魔と地蔵とは同じ一つの神の、両面であるといった人もあります。・・・大阪天王寺の地蔵祭りは・・人によっては、これを道碌神の祭りともいいました。道碌神は道祖神さえのかみのことでありますが、これも少年と非常に仲の好い辻の神で、も . . . 本文を読む
Q,世間の名利を求めて祈ることはやめるべきか?密教では現世利益を説くではないか?A,定業は祈祷で転じ得たとしても保てない。かえって世間の愛着が増すのみで来世は地獄へ落ちる。祈るならば悟りを求めて祈れ、というのは世間の執着を断てとの意味である。しかしそうはいっても愚人は悟りを求めて祈ることなどおぼつかない、そこで密教では悟りへの入り口として現世利益の加持祈祷を行うのである。夢中問答集(無窓疎石)より . . . 本文を読む
ℚ、僧侶が堕落していますがそのような僧侶でも敬うべきでしょうか?A、我田引水ですが、堕落した僧侶でも敬うべき、というのが大師や道元禅師の教えです。正法眼蔵随聞記には「破戒僧であろうと僧を仰ぎ敬うべきである。」とあり、大師の秘蔵宝鑰には「・・人(僧侶)を謗するはすなわち法を謗するなり。法を謗るはすなわち人なり。人を謗し法を謗すれば定んで阿鼻獄に堕してさらに出期無し。むしろ日夜に十悪五逆をつくるとも一 . . . 本文を読む
Q, 魔障が起こった時の対治方法如何?A,修行中も臨終のときも異常現象が何度おこっても心を動かさなければ魔障はそのうち消える。(当方も阿波太龍寺で求聞持を行じた時、深夜本堂の鐸が鳴ったり、廊下に大岩が落ちる大音声が聞こえたり、見たこともない大蛇が御堂の下にきたり、行中に天井で大きな音がしたり,深夜に岩の上で行をしていると後ろで枯れ木を次々踏みしだいてこちらに向かってくる足音がしたりしましたが、其の . . . 本文を読む
Q,仏道を成ずるためであれば、金銭を求めることはよいのか?A,仏道の為に金銭を求めるのは、仏道の障碍となる。身命を省みず仏道を求めれば自然と必要な衣食は備わってくる、伝教大師も「衣食を求めるなかには道心なし、衣食を忘れて悟りのみを求めれば自然と衣食は備わる。」とおっしゃっている。(夢中問答集(無窓疎石)より問、・・仏道を成ぜむために福を求むることは何か苦しかるべきや。答、道の為に福を求むることはま . . . 本文を読む
Q,お蔭を頂けている人といただけてない人の違いは?A、興教大師覚鑁上人は「末代真言行者用心」で、「久しく修行して(拝んで)おかげを得られなくても疑いを生ぜず、嫌にならない人は必ず霊験や覚りをいただけます」とおっしゃっています。(興教大師覚鑁上人「末代真言行者用心」より、「・・・どのような人がお蔭や覚りをいただけるのですか?「それは信心深い人です。」「ではどういう人を信心深いというのですか?」「それ . . . 本文を読む
Q,修行する前は凡夫はすべて執着心をもっている、執着心をもっていると魔が入るというなら凡夫は仏道を成ずることはできないことになるが如何?A,修行中に執着心が起こっても「一切衆生のために悟りを開こう」と強く思えば魔も家来になる。夢中問答集(無窓疎石)より・・・問、僧俗いずれも凡夫であるとき、だれも有所得(執着)心を離れたることなし。もしこの有所得(執着)を以て修行すること皆な魔業となるならば凡夫の修 . . . 本文を読む
Q, 真言宗には加持で人を救う方法があるが禅宗にはこういう手段はないのは如何?A,真言宗の加持も愚人を悟りへ至らしむるための方便、禅宗は最初から悟りへ導く。悟りの境地では生死・災殃・貧富もなくなる。夢中問答集(無窓疎石)より・・・15問。真言宗には苦厄をやむる加持門あり。禅宗はかやうの利益欠けたりと難ずるひと有。そのいわれありや?答。密宗は十界の凡衆、本位をあらためず。全くこれ大日如来也とす。しか . . . 本文を読む
A,三生得道とは、ふとした縁を仏さまと結ぶだけでも三度生まれ変わった後には仏道に入り悟ることができる、という因縁の話です。「大智度論巻第十三」に「比丘尼曰く、我れ自らもとの宿命を憶念するに、時に戯女と作る、種々の衣服を著けて旧語を説く。或時比丘尼衣を著して以て戯笑と為す。是の因縁を以ての故に、迦葉佛の時に比丘尼と作りき。時に自ら貴姓端正なるを恃み、心に矯慢を生じて禁戒を破る。禁戒を破る罪の故に地獄 . . . 本文を読む
Q,お蔭を頂けている人といただけてない人の違いは?A,、「・・祈祷(祈り)の結果を思い煩うものには永遠に霊験は得られない」(那須政隆師(大正大学学長、真言宗智山派管長)「真言宗における加持祈祷の一考察」より)「真言祈祷の真の意としては、本不生空に住することが肝要であって、その天地に至ればもはやすべてが霊験として受け入れられ、そこでは霊験の有無は問題とならないのである。真に祈祷するものは(拝むものは . . . 本文を読む
Q、福を求めて祈り,お経を読むことは許されないのか?A,福を求めて祈ることは、俗事のみにとらわれているよりはましであるが、利他心をもち仏法広宣のためとしておこなうことは俗事であろうとすべてが福因となる、夢中問答集(無窓疎石)より・・・問、福を求めて仏神を帰敬し、経呪を誦持するは許さるるや?答、世の業をなして福を求むるよりも勝れたり・・。しかれどもたまたま人身を得て会い難き仏法に会うて、無上道をば求 . . . 本文を読む