monologue
夜明けに向けて
 



 退院後、武蔵村山病院時代の仲間で連絡を取り合っていた人達もあったがみんなせっかく苦しいリハビリに耐えて家庭に戻ったものの脊椎損傷という体幹機能障害なので寿命が短かった。ご家族から訃報が届くたびにあの人ももう亡くなったのかとがっかりした。

 そんな中、病院でテレビのNHK杯将棋トーナメントを一緒に見た元任侠団体構成員の男性が電話をしてきた。退院後、町の将棋クラブに車椅子で出かけて腕試しに将棋を指して、入院中わたしに二枚落ちから香落ちまでの定跡をじっくり習ったおかげで 初段に認定されたと喜んでいた。わたしは車椅子で入れるクラブを探すのは大変だっただろうなと思った。車椅子で行って指せるクラブがあるならかれにも退院後の楽しみができて良かったとうれしかった。みんな退院後が問題なのである。そこに大きな困難が待ち受けている。職にもなかなか就けないしテレビのお守りの毎日ではむなしい。

 幸いわたしにはやるべきことがあった。「軽々しく愛を口にしないで」のヴォーカルでMIYUKIの実力が並外れていることがわかったのでかの女をリードヴォーカルにしてわたしと息子がバックコーラスを担う形の一連の歌をプロジェクトとして本格的に作り始めた。どの曲もできあがると初めはわたしがわたしのキーで手本として歌いカセットに吹き込んで送り、そのカセットを聴いて十分練習して自信がついた頃に来てもらって彼女のキーでレコーディングした。そんなある日毎日新聞の片隅に「第十五回全国わたぼうし音楽祭」の応募作品募集の記事を見つけたのである。
fumio


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )