monologue
夜明けに向けて
 




その年、1991年9月14日午後9時にNHK総合テレビで『ひびけ いのちの歌声 第1回アジアわたぼうし音楽祭』と題して第1回アジアわたぼうし音楽祭の模様が放映された。それはその丁度3年前1988年9月14日午後9時にわたしが渋谷の稽古場で首の骨を折った日付と時間で、だれがそのように設定したのかと不思議な気がする。

 番組は構成がむづかしかったらしく焦点が絞りきれず雑多な印象になってしまっていた。まるで日本代表がわたしだけであったようになぜか日本代表として一緒に出場した熊野ゆかりさんのことには一言も触れられなかった。かの女は現地シンガポールの新聞にインタビュー記事が載るほど評判が良かったのである。かの女は頸椎すべり症で身体の小さい可愛い女性だった。歌のボランティアの小園優子さんと
「この世に生まれて来るときには
叫ぶ言葉は みんな同じ 両手を伸ばして求めたものも
きっと同じ 同じはずだわ」
と感動的な代表曲「祈り」を車椅子で一生懸命歌っていた姿が目に浮かぶ。

 2003年にその熊野ゆかりさんが九月に亡くなった、というハガキが来た。それでウェブで調べると亡くなったのは九月一日の夕方だった。そして小園優子さんは2001年12月23日に急逝されていた。乳ガンで享年40才だった。本当に驚いた。ふたりとも急ぎ足で逝ってしまっていたのである。第1回というエポックメィキンブな出来事に参加していながら知らない人にとっては番組で言及されなかったことでその時存在しなかったようになってしまった。こうしてわたしがブログに書くことがかの女たちの生きた証(あかし)となるだろう。合掌。
fumio






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