monologue
夜明けに向けて
 



 
「国連・障害者の十年」最終年記念国民会議、芸術祭
ステージ部門
●会場 日比谷公会堂
●日時 1992年12月8日(日)
芸術は境界を越える すばらしき芸術の世界

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第1部
オープニング 作曲・西浦達雄

★富岳太鼓(富岳会、静岡、知的障害)
★コットンクラブ「音楽の情景」(神奈川・ろう)
★劇団九十九ミュージカル「偽りの涙」(千葉・ろう)

☆イタリアパレルモ劇団シクロプ
ロザリア・ギュランナ作「目は見るものだけにあらず」

★石見神楽 八岐大蛇(桑の木園、島根・知的障害)
★旋風の太鼓(富岳会、静岡、知的障害)

第2部
オープニング「イマジネーション」
歌 小園優子(歌うボランティア・わたぼうし)

★正秋バンド(東京光の家、東京・盲重複障害)
★堀内佳「ギター弾き語り」(高知・盲)
★語り(わたぼうし語り部コンクールのグランプリ受賞者)
★「ロックバンド」シャンテ(大阪・盲)
★「南米音楽」グループ”マヤ”(東京・盲)

☆ビューティフル・コミュニケーション
フィリピン、中国、スリランカ、タイ、シンガポール、
★フィナーレ(日本)「わかりあえる日まで」作詞作曲・山下富美雄


 このプログラムのパンフレットの最後に掲載されたわたしのメッセージ
「人はこの世に生をうけるとき、だれもがスーパーマンなのかもしれないですね。万能だったはずなのに老いることによって少しずつ色々な能力が削られてゆく。ぼくたちみたいに病気や事故で突然、ある機能を根こそぎ奪われることもある。でも、生きている限り心だけは成長を続けてほしいものですね。
 ぼくの場合は歌を作る能力を神様がまだ残しておいてくださったようです。歌で世の中の人と、世界の人々とつながり合ってゆくのがこれからのぼくの役目かもしれないと思っています。ぼくの歌を聴いて頂いて、本当に本当にありがとう。
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 その年1992年の12月6日(日)に「国連・障害者の十年」最終年記念国民会議、芸術祭が日比谷公会堂で行われ、そのフィナーレに「わかりあえる日まで」が選ばれアンコールソングとしてその英語バージョンであるBy the day we see eye to eye. を各国代表全員で歌うことになった。いつものカラオケではなく正秋バンドというロックバンドの伴奏がつくというので初めにバンドとの顔合わせ音合わせと練習を済ませて客席でみんなのパフォーマンスをゆっくり見せてもらった。

 客席にまわる機会はあまりないのでとても楽しかった。音楽だけではなく民族舞踊や芝居、神楽などバラエテイに富んだ芸術が披露された。第1部が終わってから「ビューティフル・コミュニケーション」と銘打ってフィリピン、中国、スリランカ、タイ、シンガポール等々の国の代表の歌が始まる前に楽屋で『わかりあえる日まで』の英語バージョンの歌詞が配られた各国の出演者に口写しに教えるように言われた。みんな英語がわかるミュージシャンなので簡単に憶えてくれた。本番では、まずわたしと息子とMIYUKIが 日本語バージョンを歌った後、最後の最後に出演者全員が出てきて英語バージョンの『わかりあえる日まで』By the day we see eye to eye. を力一杯合唱してフィナーレを飾った。色々あって日の目を見ず無用の長物のように扱われてきた英語バージョンは世界の人々とわかりあいつながるというその生まれてきた役割を立派に果たしたのだ。1983~1992年と続いた「国連・障害者の十年」はこうして幕を降ろしたのである。
fumio

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