monologue
夜明けに向けて
 

  


宮本武蔵書状

一筆申上候、有馬陳ニ而ハ

預御使者殊御音信被思召出

処過當至極奉存候、拙者事

其以後江戸・上方ニ罷在候が、今

爰元へ参申儀御不審申可被成候、

少ハ用之儀候ヘハ罷越候、逗留申候ハヽ

祗候仕申上候、恐惶謹言、

(寛永十七年ヵ)七月十八日 玄信(花押)

              宮本武蔵

                二天

 長岡佐渡守様

      人々御中
**************************************

 以前の有馬家の当主有馬直純への手紙では「拙者も石にあたり すねたちかね申故 御目見得にも祗候(しこう)仕(つかまつ)らず候猶重(なほかさねて) 可得尊意候(そんいをうべくそうろう)恐惶謹言」と述べてその頃は脛が立ちかねて歩くこともできないはずだった武蔵が
 この八代の肥後熊本の長岡佐渡守(松井興長)への書状では
 熊本県天草および長崎県島原の乱での有馬家の原城一揆衆攻略作戦を有馬の陣と呼んでその頃の手厚い処遇にまず感謝を述べてからその後、江戸大阪方面に滞在していたが少し用があってそちらに行って逗留しますからどうぞよろしくお願いしますと頼んでいるのである。
脚は直ったようだがずいぶん建脚で驚く。
fumio



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earth  


Do not hurt the earth anymore!
Remain as it is.

it is not only for you,
but also, for the other people .
fumio



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war  


Cease fire right now!
It is going to start the third world war.
fumio

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ヘルパーのフィリピン女性レンは
「所得税はインカムタックスね、どうしてインカムがないのに払うの」
と問う。そういえば収入はインカムというけれどコロナ騒ぎで旦那の内装の仕事が減ってインカムが以前のようにインしていないのだ。
レンはタガログ語でフェイスブックに日本での生活を詳しく書いているのでフィリピンの多くのフォロワーたちが日本の役所で行われているハラスメント状況についてよく知っている。
残念だけど仕方ない…。
fumio

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昨日、いつも金曜と日曜に来てくれるヘルパーのフィリピン女性に
「ハイ、ハウ アーユー」と挨拶すると「アイム ノット ファイン」という。
「毎晩、眠れなくて4キロ痩せたわ」と続ける。そういえば少しすっきりして見えた。
みかけが良くなっても喜んでいられない。
旦那の仕事は内装業でまだ売掛金が入ってきていないので所得税が払えてないから、川口税務署の特別国税徴収官 今井弘正氏に差し押さえると脅されているらしい。
子どもが幼稚園から小学生まで三人いるのに家を差し押さえられたら暮らせないと泣く。これはハラスメントね、というから
そうだね、と思わずうなずいてかわいそうで恥ずかしくて情けなかった。
外国から来た人がハラスメントと思うような行為が日本では当然のように行われているのだ。
妻が、かの女自殺するかもしれないわね、と呟いた…。
fumio


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musasi  


西暦1638~1640年(寛永15年~ 17年)の 島原の乱において原城に立てこもっていた天草四郎ら一揆軍は投石で抵抗したが一見そんなものは役に立たないように思えるが鎮圧に当たった有馬家の客分として剣豪宮本武蔵が養子の伊織とともに出陣している。当時五十七歳頃の武蔵は自分を老足 (ろうそく)と謙遜して有馬家の当主有馬直純に返書として次のような書状をしたためた。
「付尊札(そんさつおぼしめされつけ)忝次第御座候(かたじけなきしだいにござそうろう)随而(したがつて)せがれ伊織儀 御成に立申趣(おやくにたちもうすおもむき)大慶に奉存候(ぞんじたてまつりそうろう)拙者儀 老足 可被成御推量(ごすいりょうなさるべく)候 貴公様 御はた下(もと)様 御家中衆へも手先にて申置(もうしおき)候 殊(こと)に御父子共 本丸迄 早々被成御座候趣(ござならせられおもむき) 驚目申候(きょうもくもうしそうろう) 拙者も石にあたり すねたちかね申故 御目見得にも祗候(しこう)仕(つかまつ)らず候猶重(なほかさねて) 可得尊意候(そんいをうべくそうろう)恐惶謹言」
**********************
つまり言いたいことは
「敵の投石攻撃によって石に当たって、脛も立てないので面会にも行けませんがどうしましょうか」と失礼を詫びているのである。
生涯不敗伝説に彩られる剣豪でさえも四郎側の一揆衆の投石戦法にかなりひるんだようだ。
fumio




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Do not kill another human,
if you were a real human.
fumio

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天草・島原の乱において、キリシタンを弾圧する幕府に抵抗する農庶民一万三千の一揆軍のリーダーとして立った、うら若い16歳の若者天草四郎時貞は美しい艶やかな衣装を身に着けて当時一般庶民のあまり知らない高級頭脳競技囲碁をうち、見る者だれもを魅するオーラを発して人を惹きつけたのだった。
かれの片腕として働いた絵師山田右衛門作が旗に書いたキリストを讃美する「最も貴き贄(にえ)を讃え崇める」という意味の言葉「LOVVAD・SEIAOSẨCTISSIM・ SACRAMENTO 」を反乱軍みんなで「ラヴアド・セイアオ サクティシム・サクラメント」と唱和して投石戦法で戦った。投石などで幕府軍に勝てるとはとても思えないがそれでもずいぶん長くもった…。
fumio


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西暦1637年の天草・島原の乱において、天草四郎(益田時貞)をリーダーとする一万3千の一揆軍が立てこもった原城に絵師山田右衛門作が描いた旗が掲げられていた。
中央にキリストの血を容れるゴブレット、その中にキリストを示す光輪、そして十字架。その上に、「ユダヤ人の王ナザレのイエスJesus de Nazaré, Rei dos Judeus」の頭文字「JNRJ」と記し、翼を生やした二天使ルシフェルとミカエルが左右に侍り、旗の上部には、「LOVVAD・SEIAOSẨCTISSIM・ SACRAMENTO (最も貴き贄を讃え崇める)」と記されている。
その右に は四郎の印。396年前の日本人がなぜこのような複雑な文や絵を描けたのかが謎…。
fumio




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