おれはここで生きている

■味乃家 魚野川■新潟県魚沼市下島70-1 定休日 水曜日
死ぬまで生きる のらりくらりのなんでもありのガクさん

三つの台風

2006-08-08 16:26:37 | Weblog
毎日暑くて年配のお客さんが少なくなった。
雨が降らないので大気が汚れて霞がかかった様になっていたけど、
南に台風7号が近づいて、そこに風が吹き込むのでここらの空気もだいぶ綺麗に成った。
大気は不安定であちらこちら入道雲が浮かんでいる。
久しぶりに越後三山がはっきり見える。
今日は苦情が一つあった。
冷し中華のお客さんが麺が固くてあごが疲れるほどだったと。
妻がいい加減にラーメンを茹でたためだった。
今使用している麺は真空調理麺と言って真空状態の中で麺を作る特殊麺で
茹で上がりの腰の強さと伸びにくい長所が有る。
其の麺を早く揚げて冷水で冷したから、きっとゴムを食べている様だったろうと想像できる。
お客さんにはまったく悪い事をしてしまった。
いつもの係りが休みだったのだ。
新潟県に雷雨注意報が出たので少し雨が欲しくなってきた。
yahoo天気情報で見ると小千谷と川口の境に雨が降っているらしい。
便利の時代になったものだ。
ブログの続きを始めたら飲み会の迎えが来てしまった。
叉呑んだくれるのかな?
今帰ってきた。森永に言ってきた。
おからのおとーしとカルビ、ブタロース、キムチで呑んだ。
テレビは台風の事ばかり取り上げている。
新潟県はあまり影響なさそうだけど、温度が下がり過ごしやすくなると
お客さんが増えそう。
板長が休みで海に行く。
もう4-5日でカキが産卵する。
其の前に採りに行って自分用のカキをキープしておきたい。
気が付けばもうお盆が来る。
今まで何をしていたのだろう。
お盆の準備が何もしていない。
いろいろメニュウが多過ぎるので、
提供を早くするためと仕込みの簡素化を図るために三割ぐらいのメニュウを削減する。
五パーセントぐらい売り上げアップと減ったメニュウの補えにする。
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合歓の花が朝日に透けて

2006-08-07 09:49:49 | Weblog
昨日酔っ払って早く寝たから5時ごろに目が覚めてしまった。
まだ早いと横になっていたけど鳥の声につられて店のホールに出た。
朝もやが立ち込め越後三山や高い山はみえなかった。
その代わりに川岸の木々がもやのなかに立っていた。
朝日が昇っているのに光が少なく、太陽は大きいお月様のように見える。
もやの中に切絵の山を置いたような風景は日本画と言うよりも
何処か東南アジアの高原の朝の世界に似ている。
胡桃や柳の木にもやがかかって、合歓の木の花だけが薄い朝日に透けて、
はっと、するような桃色になっている。
今日と明日は予約が無いので市場は休み。
昨日呑んだ隣の人の無人市場に、必要な野菜を買いにいく。
其の前にと始めたソフトクリームの機会の消耗部品の交換と掃除が手間取り
お昼の準備も間に合わないようだった。
夏休みの人達と仕事の人達が一緒になって忙しかった。
昼定食は石がま焼豚ロース味噌漬け680円、ポテトベーコンチーズ焼付き。
前の店の常連さんが始めて寄せてもらいましたとお食事に来てくれた。
大きくて良いお店に成りましたねーと言いながら食事にきてくれた。
桑の実と完熟南高梅のソフトクリームをデザートに食べ、
とっても美味しかった、叉来るねーと言ってお帰りになった。
常連さんの中には魚野川の災難に触れるのが心の負担で
遠ざかっている方もいらしゃるような気ががする。
これからエゴを作ると思ったけど日記を書いていたら眠くなって寝てしまった。
続きのブログを書いていると日が暮れて、星野ファミリーが到着。
娘さんが友達と来たから来てくれた。いろいろオーダーを頂いたけど、
寺井さんの佐渡のメバルの煮つけをサービスさせてもらった。
帰るとき途中の飲み屋まで送ってもらった。
出来たばかりの店のマスターにあいに行くために。
先客がいた。
まだわかいご夫婦だった。
亭主は知り合いで昔うちでアルバイトをしたことのある人だった。
店長も歌ってよと言われたので。
歌は音痴だから気にしないで歌っていてよ、聞くのは好きだけどねーと
と言ったら僕に合わせて歌ってくれた。
でもはじめて聴く歌ばかりだったので、其の事を言うともっと昔の歌にもどってくれた。
酒を飲みながら生の歌を聴きながら、そして祭囃子の練習も聞きながら。
良い夜であった。

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二郎邸新築祝い

2006-08-06 17:54:49 | Weblog
友達の水道屋さんに二郎さんがいる。
地震で被害を受け、僕たちの見た目ではまだすめるとおもっていたけど
住まいを新築した。
地震と開店でごたごたしていてお祝いををやったかどうか覚えていなかったけど
取り合えづ行く事にした。
日曜日に行くのは大変だ、お祝いに呼ばれてそんな事を言っていられない。
盛り込みを注文してくれたので其の配達の料理と一緒に行った。
何を着ていくか考えたが無難に白か水色の半そでのワイシャツにする事にしてたんすを探した。
長袖ばかりしかないので腕まくりしていこうかと思ったとき、
山森先生のお古のシャツがあることに気が付き着た。
ズボンも先生からの頂き物であってあちらこちら虫食いで、
板長がパンツが見えると言っていたけど知らないところに行くわけではないし、
火事で何も亡くなっていることを知っているからいいやと、
いつもの調子で出かけた。
お客さんは僕を入れて八人だった。
ビールを1~2杯しか飲まないよといっていったけど蕎麦もいっぱい打ったし、
まーいいかと告がれるままに呑んだ。
越州の純米大吟醸の冷が出てきた。
其の旨いこと。
いやみが無く豊かで冷たく染み渡るように消えていった。
上隣は何処かの会長だった。
食通で金持ち。
食べ物の話をしたりワインの話をだいぶしたけど、僕から見ればシローとだ。
何も分からない食堂の親父でできるだけ深入りしないで聞き役に回った。
そんなところで話をしてもしょうがないので、
ちょっとだけが4時間も呑み続けできるだけ店に来てくれるように話をしたけど旨く行くかな。
最後に焼酎二杯コップで呑んだ。
ストレートだったので店に着いたらつぶれてしまった。
丸山さんご夫婦が来た頃はパソコンを枕に寝ていた。
其の時気が付いたけど、カキフライの注文を頂いたのでメニューを考えてみたら
書き込んでない事に気が付いた。
急いで出さなければ。
丸山さん曰くスパゲッテイにナポリタンとイタリアンがあって
イタリアンがトマトソースでナポリタンがホワイトソースだったよと。
なんでも大学時代東京で食べた時はそうだったと。
酔っ払っていたので話が良く聞き取れなかったのでその様に聞こえた。
確かにそうだったろうけど、僕たちのナポリタンはケチャップ味だった。
今でも店のメニュウはケチャップ味にしてある。
昔の味と書いてあるがいろいろな昔があるので、ケチャップ味のと、
今度付け足しておこうと思った。
同級生でイノシチの久敏君が今で言えば居酒屋レストランをやっていて、
呑んだ後にスパゲッテイを注文すると赤いケチャップのスパゲッテイが出てきた。
其の時の名がナポリタンであって、修ちゃんが雇われマスターをやっていた田戸のスナックもそうだった。
田舎では凄くハイカラな気分だった。
いま自分でスパゲッテイを作るほどの入れ込みだった。
よそのイタリアのレストランがもしそのようなパスタを作って
やってれば絶対プライドが邪魔したり店のイメージが合わなく
低単価のものは敬遠するようなメニュウをあえて書いた。
僕はまだふざけてるようなメニュウを出す余裕場有るのだよ変なところで変な意地
の意思表示をしたかっただけだった。
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八色スイカ販売

2006-08-05 15:26:45 | Weblog
親方が市場に行って八色スイカを買ってきてと頼まれたので、
ついでに店先で売るスイカを買ってきた。
玄関に並べておいたらぼちぼち売れた。
一個500円。
かなりおおきのもある。
大きいスイカで一番なりの物をがんたと呼び、空洞があるので安く仕入れられる。
味に変わりは無いのでスイカ好きの人達は喜んでかってくれる。
でも今年のスイカはがんたが少ない。
昔八色スイカが認められ始めた頃、一シーズンに五千個ぐらい売ったことがあり、
其の時のお客さんがまだいるみたいだ。
アレースイカだーもらおかなー、まいどありー。
始めは1500円ぐらいから始まって、最後は一個80円ぐらいにつるたっぐりになる。
トラックの人で頼まれ50個ぐらい買ってくれる人はざらにいた。
高級乗用車のトランクと座席に詰めるだけ積んでくれと言う人達もいた。
今考えるといかにおいしいものを安く偽り無く提供したから支持を得たのだなーと思う。
この前海釣りに船を出した寺井さんが箱いっぱいのメバルを持って来てくれた。
佐渡の中の瀬で釣ってきてくれたのだ。
寺井さんのボートハ50キロぐらい出るので、佐渡まで1時間ちょっとでいけるらしい。
先日の長岡祭りの花にゆりの花を贈ったののお返しに持って来てくれたのだ。
災害の時もそうだったけどお世話になってばかりいる人だ。
何とかお返しを少しばかりしたいと思っているけどかえって迷惑を掛けてしまう。
今日も星野さんご夫婦が娘さん家族と食事に来てくれたので、
メバルの煮付けでも食べてもらおうと思っているうちに帰ってしまった。
話だけだと後で怒るかなー。
いつも送迎は送るだけだったけど三組の予約だったので僕も迎えに行った。
日が落ちて光が弱くなったコシヒカリの一本道を走った。
光の少ない稲穂は黒黄緑に淡く輝いて、
まるで抹茶のムースの柔らかいじゅうたんのように夕暮れの魚野地に広がっている。
大きなひまわりの殆どは花を下にして、
明日はお日様の方に花を向けられるのか心配するほどうなだれている。
一組は何処かの若妻会の人達だった。
始めは12-3人と言う予約であったから和室を取って置いた。
他にも来たい人達を断わって部屋を取っておいたのに
2-3日前になって半分は小さな子供ですと言って来た。
もう諦めていたけど、子供は200円のおにぎり一個で
ある程度料理が出た時にまだでますかと来た。
挙句の果てに子供たちは騒いで気勢を上げるし、
もうおちおちと料理を作ってる心境ではなかった。
昨日よりまだ暑い日であった。
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マキ婆の夏野菜

2006-08-04 17:27:51 | Weblog
店の近くにマキ婆の家があった。
地震で全壊して堀の内の長男の住んでいる家に引っ越していった。
長男が家を作るときにかなりのお金を出したと思う。
そこに自分も住む事になっていて部屋があった。
けど懐かしい思い出の家を離れられなくて、家族の呼びかけに応じず
一人で住んでいた。
春に畑を耕していろいろの野菜を作っていた。
地震で家は壊れたけど車庫が残った。
それで店が半日で終わると、畑に行ってナスや胡瓜など野菜を作っている。
友達がいっぱいいて、弁当などいろいろ毎日差し入れてくれるらしい。
其の人達との会話やふれあいが彼女の人生の楽しみだと思う。
畑で取れたての野菜を毎朝もって出勤してくれる。
お陰で今は野菜を買わなくていいので大助かりだ。
やはり夏休みだ、子供ずれの県外車がぽろぽろと来る。
長岡ナンバーの車も来て帰省客を連れてくるのだろうか
4-5人ぐらいの人が目に付く。其のうち星野さんから電話が有って、
お客さんを連れてくから蕎麦を打ってくれよと。
昼飯を食べてるともうやって来た。
山形を周ってきて、土産に岩がきを持ってきた。
型が良かったけど、値段も良かった。
一個450円であったらしい。
だからうちの岩がきは2個フライにして500円で出しているのは大変お徳だ。
半部は生で、残りはフライにしてやった。
其の後川口温泉の夕日の露天風呂を楽しんだ後叉夕食を食べにきてくれた。
えんかいのひとたちにもかきふらいをだしてやった。
送るのは僕の仕事、上限の月明かりの中を諦め半分残りは仕事で送った。
田舎の裏道の斜面に山百合が咲き杉林の上にお月様、何か若い頃の感覚がよみがえる。
店に着くともうだれも残っていなかった、11時近くになっていた。
ライトを消すと星が見えたので、しばらく眺めていた。
流れ星が見えるかもと思いしばらく見ていたけど山際に隠れた
月明かりが邪魔をしてはっきり見えないので諦めた。
流れ星が消えるまでに望みを言うと叶うとつたえを思い出し、暫く呟いていた。
暑い夏日であった。
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真夏日

2006-08-03 15:09:06 | Weblog
本物の夏がやってきた。
青空が一面に広がり山の近くには入道雲の子分が勢力争いを始めてる。
横の大沢川も澄み切り、水量の減ったせせらぎの中に鮎が苔を食んでる。
川風が葦の葉を渡り、プルーンの葉を揺らして横の稲田で緑の風になって、皆入道雲見物に行った。
其のうちに雷に巻き込まれて緑の雨になってしまう。
木沢の双子山の隣の隣の峰を大型重機が10日ぐらい前から削っている。
道を直して雪崩止めを作るのだろうか、それとも震源地まで500メートルぐらいで送電線の鉄塔が倒れていたからそれを直すのだろうか。
そんな事を思いながらぼーと、窓の外を見ていたら不意に大きなバッタが昇って来た。
足をなめて旨くガラスを掴んでいるものだ。
細くて長いひげが風に揺れている。
バッタにも変な行動を取る僕見たいのやつがいるなーと思い、近づいて下を見たら
森林組合の人達が10人ぐらいで土手の草刈をしていた。
二重ガラスで草刈機の音がお店の喧騒にかき消されていたのだった。
ブログを書いていると、ピザの注文が来たと呼ばれて作った。
写真とってもいいですかと5-6人の若者達が言った。
どうぞと言うとピザ作りをバックに皆で記念写真。
何でも山口県から来てくれたらしい。
めのまえでつくっているばしょみて凄く喜んでいた。
気温も凄く上がり小出で33度になった。
親方夫婦がレンタカーでやって来たけど帰りは運転大丈夫かなあー。
やはり夏休みだった。
フリーのお客さんが結構来て、そのほかに近くに仕事をしている常連さんたちがおおく来るようになった。
始めは蕎麦や激震ラーメンを食べたがこの頃昼定食が多くなった。
今日はラム肉と夏野菜の石がま焼とヒラマサの刺身付680円かなり出た。
もう少し儲かると良いのだが。
日が沈み、上限の半月が出ていた。
昼間刈った草が乾いて懐かしい干し草の香りがする。
強い日差しで干した干し草独特の香りに子供の頃の思い出がよみがえる。
大きい黒い瞳の牛を飼っていた。
ちゃんと家族の顔を覚えていた。
あるとき外の木につないであったので近づいた時転んでしまい、
起き上がろうとして牛の尻尾を掴んだら、後ろ足で蹴っ飛ばされた。
凄い衝撃だった。
7-8年前に酔っ払って汽車に遅れまいと走り電柱に激突した衝撃に似ている。
いつもへまばっかり。
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長岡祭り

2006-08-02 16:57:10 | Weblog
今日長岡の花火が上がる初日だ。
花火を見る人達が長岡に行っては食事ができないと思って、
手前の当店で早めの食事を取る人が多かったので、
今年もそうかと思い、いろいろバイトや心の準備をしていた。
お天気もいいし絶好の花火日和なので期待していたわりに来なかった。
一番の原因はコンビニの魅力に負けていると言う事。
それにしても蕎麦が出なくなった。
一番の原因は店の構えが洋風になったことと、メニュウがいろいろ有る事だ。
もしかして蕎麦が不味くなったのかもしれない。
同じように打っているのだけれど。
其のせいかどうか分からないが茄子ズケも売れなくなった。
エゴ練りも反応が無い。
まだマスコミマインドコントロールに縛られているのかもしれない。
今来店されているお客さんは、地震の前のお客さんとはだいぶ違う。
板長が休みでピザの代わりがいないので、ピザを焼いたり蕎麦打ちしたり一人三役であった。
夜たまには飲みに行こうかと思ったら星野御夫婦が着たので一緒に叉宴会になった。   
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暑中見舞い

2006-08-01 22:19:14 | Weblog
今日から8月、もう少しで開店一周忌になる。
あの頃はピザ窯だけでもと思い、準備を一生懸命していた。
火入れ式の日大工さんたちにも集まってもらい、ワインを振り掛けて、
祝いの祝詞を行った。
火の神よ、われらに安らぎと恵みを与えたまえ。
結構真顔で気合を入れて話そうと思ったけど、
感激で短い言葉を三回も分けてやっと言った。
開店から今日まで一年が十年ぐらいの感じがする。
嵐のごとく、夢のごとくであった。
一年目のお礼と、暑中見舞いを一枚のはがきに書いて出そうと
ヒロちゃんにはがきを印刷してもらって十数枚書いた。
親方と子供達夫婦に優先的に書いた。
次は兄弟に出した。
早く書かないと秋になってしまう。
知り合いが食事に数組見えたので、前日取ったカキをフライにして出した。
八月10日過ぎごろまで実が大きくなって、個体差があるが産卵してしまって
実がやせ細ってしまう。
今が最高でざる上げトーフかクリームチーズみたいな味が加わっている。


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