玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

菓子に甘味をつけたの鎌倉時代以降か

2018-11-20 08:55:03 | 知識
玄米ごはん族の米粉は二種類ある
玄米粉と白米粉で白米粉のほうは米粉として販売している
米粉というと普通お店では白米粉のことを言っている
どちらもものすごく細かい粉にしているのでパンを作ることもできる
玄米粉では少し難しいが白米粉なら簡単にできる
パン以外にもマフィンやシフォンケーキなども簡単だ
砂糖を使わないで洋菓子を作る方法をずっと考えてきた
しかし和菓子に分類される団子や饅頭もうまいといって食べ歩きしている
和菓子に使われる砂糖の量はかなりなものらしいがなぜ好まれるのだろう
あっという間に血糖値が上がると思うのだが
そこで和菓子とはどういうものなのかウィキペディアから引用してみる

ーーー略ーーー
古代の日本人は稲、粟、稗などを主食とし、狩猟や漁撈などによってタンパク質を得ていたが、そのほかにも空腹を感じると野生の木の実や果物をとって食していたと考えられ、これが間食としての菓子のはじまりであろうと考えられている[5](現代においても果物は「水菓子」と呼ばれる[6])。初めは生のまま食べていたが、次第に保存のため乾燥させたり、灰汁を抜いた木の実の粉で粥状のものを作ったり、あるいは丸めて団子状したりするようになり、今日の団子や餅の原型となるものが作られるようになっていった[6]。『古事記』『日本書紀』においては、垂仁天皇の命で田道間守が不老不死の理想郷に赴き、10年の探索の末に非時具香菓(ときじくのかくのみ、橘の実とされる)を持ち帰ったと記されており、これによって果子(果物)は菓子の最初とされ、田道間守は菓祖神とされている[7]。
ーーーーー
鎌倉時代には、宋から茶苗を持ち帰った栄西によって茶の栽培と普及が進められて喫茶文化が広まったことにより[注釈 1]。点心の一つとしての菓子作りも発達していった。当時食されていた菓子は今日にはほとんどその形をとどめていないが、1341年に日本にもたらされた饅頭(蒸し饅頭)は、現在も続いている最も古い菓子の一つである[9]。饅頭は仁和寺の第二世龍山徳見に弟子入りした宋の林浄因によってもたらされたもので、浄因は奈良の村に定住して日本における最初の饅頭である「奈良饅頭」を売り出した。饅頭には当初中国のものにならって羊豚の肉が餡として使われていたが、日本には当時肉食の習慣がなかったため、浄因は肉の代わりに豆類餡を入れたものを創案し、この形の饅頭が全国に波及していった[10]。鎌倉時代から室町時代にかけてもたらされた羊羹も、もともとは文字通り羊の肉が使われていたものであったが、日本では小豆を使用したものに改良されてしだいに現在の形になっていったものである[6]。
室町時代にはポルトガル、スペイン、オランダの宣教師たちにより、カステラ、ボーロ、金平糖、カルメラといったいわゆる南蛮菓子がもたらされ、小麦粉や砂糖を使ったこれらの菓子は和菓子の製法と発展にも大きな影響を与えた[11]。またこれらの南蛮菓子もその後の改良により、伝来時の形と大きく異なっているものも少なくない[12]。その後、江戸時代には鎖国体制が敷かれたため菓子の発展にもいったん歯止めをかけることになるが、一方でそれまで貴重品であった砂糖の輸入も増え、また平和が続いたこともあって独自に製菓技術が発達していき、江戸で武家や庶民に親しまれた江戸菓子、京都のみやびな京菓子がその形を整えていった。また参勤交代制度によって各地の街道が整備されたことでひとびとの行き来や情報交流が盛んになり、各地の銘菓・名物菓子が知られるようになった[12]。このようにして江戸時代には現在の和菓子のほとんどが形作られた[11]。
ーーーーーー

製法から編集
製法の観点からは以下のように分類される[20][21]。
餅もの
もち米、うるち米を加工したり米粉を使って作る。餅、おはぎ、大福、団子、すあまなど。生菓子。
蒸しもの
生地を成形して蒸して作る、または蒸した生地を使って作る。饅頭、黄身しぐれ、蒸し羊羹、蒸しカステラ、ういろうなど。生菓子。
焼きもの
焼いて作る。平鍋(鉄板)や焼き型を使う平鍋もの[22]と、天火などを使うものとに大別される。平鍋ものでは今川焼、たい焼き、どら焼きなど。天火ものには焼きまんじゅう、桃山、カステラなどで、生菓子である。干菓子では煎餅、南蛮菓子のボーロなどがある。
流しもの
寒天や餡などを主材料とする流動体の生地を型に流したのち、固めて作る。羊羹、金玉羹など。生菓子に属するが、仕上げの方法によって水分量を調節し日持ちをよくしたものは半生菓子になる。
練りもの
餡やもち粉などを主材料とし、砂糖や水飴などを加え練り上げて作る。練り切り、こなし、求肥など。生菓子。
揚げもの
油で揚げて作る(油菓類)。干菓子では揚げ煎餅、新生あられ、揚げ豆、揚げ芋、かりんとうなど、生菓子では餡ドーナツなどがある。
餡もの
砂糖、水飴などの特性を生かし、保存性を高めた半生菓子。石衣など。
岡もの
餅もの、焼きもの、練りものなどの別種の製法で作った生地を組み合わせて成形する。最中、鹿の子餅、州浜などが含まれ、いずれも半生菓子に属する。
打ちもの
みじん粉などの粉類に砂糖を混ぜ、蜜などを加えたのち木型に入れて押し固めたのち、打ち出して仕上げる。落雁など。干菓子。
押しもの
打ちものに用いる素材に練り餡などを加え、木枠などに押し付けて仕上げたもの。干菓子に属するが、打ちものより水分量が多い。塩釜、村雨など。
掛けもの
炒り豆などに砂糖液などを掛けたもの。おこし、五家宝などで、干菓子に属する。また甘納豆、文旦漬などの砂糖漬け菓子を含むこともあり、これらは半生菓子に含まれる。
飴もの
砂糖、水飴などを原料とし、煮詰めてから冷却して固めたもの。飴玉、有平糖、おきな飴など。干菓子。
用途から編集
菓子の用途という観点からは以下のように呼ばれることがある。
茶席菓子
茶の席で用いられる菓子。茶席においては、生菓子は主菓子(おもがし)、干菓子は添え菓子と呼ばれ、濃い茶には主菓子、薄い茶には添え菓子が合わせられる。薄い茶だけの茶会では主菓子、添え菓子の両方が用いられるが、添え菓子だけでも良い。茶席菓子には2、3口程度の大きさのもの、主材料の風味を失わない程度の甘さのものが適しており、茶会の季節を考慮したデザインと菓名を選ぶのが好ましい[19]。
引菓子・式菓子
引菓子(ひきがし)は、祝儀や不祝儀の際の引き出物として使われる菓子のこと[19]。祝儀に使われるものは紅白の饅頭・餅菓子など。不祝儀の引き菓子には葬式饅頭などがある[23]。式菓子(しきがし)はしきたりにのっとって用いられる菓子の意で、引菓子と同様に捉えられることが多い[24]。
蒔(まき)もの菓子
舞踊、琴、長唄といった習い事の発表会において、招待した知人・友人に土産として贈る菓子のこと。発表される演目にちなんだ図案や意匠を施したものが多い[25]。
縁起菓子
一種の縁起物として売られる菓子。寺社の参道沿いの店や境内で売られる由緒あるもののほか、現代では菓子店によるアイディア商品のようなものもある[26]。
工芸菓子
食用ではなく、展示・観賞用に作られる工芸品としての菓子。雲平(うんぺい)や有平糖などを用い、山水・花鳥を写実的に表現したものが多い[27]。



鎌倉時代の菓子がどのようなものかわからないらしい
鎌倉時代には精進料理が発達した
外国から伝わった製法では肉を使っていたらしいが肉食の習慣がないため小豆などの餡になってその後砂糖が使われるようになったらしい

時代が降るにしたがって肉から小豆になり砂糖も入るようになった
肉の極陽性から砂糖の極陰性へ一直線だ
魚を日常とっていため肉が必要なく代わりに植物性のタンパク質を餡にするようになりった
それでも魚をとったことによる体の陽性さを打ち消すために極陰性の砂糖を使うようになった
と考えるとすっきりする

用途としては茶席の茶といっしょにとるものや引き出物に使うものなどがありどれも体をゆるめて心を落ち着かせるために使った
こういうふうに見てくると砂糖をとっても体がゆるむだけでそのほかにほとんど影響を受けないような人のために発達したとしか思えない
洋菓子が砂糖以外に乳製品タップリなのを考えるとよほどましかもしれないがまともに重大な影響を受ける人間には不要だ

しかし体がしまって来ると甘いものを欲しがる
体がゆるまればいらなくなるだろう
それがいつになるかわからない
洋菓子路線でいくと洋菓子は長時間の焼きの行程が入るのでより陽性になる
ますます体をゆるめる必要が増す

それよりも和菓子路線で行くと蒸すだけですむ方法もあるので体もゆるめるだけですむかもしれない



コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする