玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

分かれ目だった

2018-12-16 02:52:24 | 知識
 十年以上前に、旅行中に携帯に電話で父が入院し手術するから同意しろ、と母から電話があった。薬を飲んでいたので体調が悪いことはわかっていた。
 すぐにもどってこい、といわれても、海は大しけでフェリーが欠航、近隣の島で唯一の飛行場にも飛行機がなかった。行った切りで戻ってなかった。翌日、風がおさまってフェリー乗り場にいたとき、また携帯に電話で同意しろ、だった。手術なんてやめろ、と説得していたがだんだん声がたかくなって怒鳴り声になった。フェリーに並んでいた人はキョトンとして見ていた。
 島から病院へ行くためもあってフェリーはわからないが、飛行機には補助金が出ていたらしい。そういうところで、手術するな、と怒鳴っていたのだから馬鹿にしかみえなかったのだろう。
 親戚子供みんな賛成で反対は一人だった。薬を飲んでいたから薬をやめることになってちょうど良いの感じで病院に行くと、こちらの姿を見るなりものすごく落ち込んだ。腕から鼻から管が出ていた。顔色は白く、少しやせた。
 胃に穴があいているらしい。手術をすすめられた経緯などは、そうなるだろうなあ、と納得しているようだった。それなのに、何やってんださっさと退院しろ、絶対同意しない、といったものだからまたもやーーーーー

 胃に穴では何も食べられない、断食でちょうど良い、といっても誰も信用しない。食べないほうが良い、というので馬鹿に見えるらしい。手術しても食べられなくなるのに。

 結局、点滴を数日続けて、軽い食事から普通の食事になって退院した。退院してからも、手術しなければダメだよ、と親戚じゅうがいっていた。

 ものすごい信頼だ。手術万能だ。誰も疑問に思わなかった。すごい。

 病院では顔色はいつもより白くなっていた。左手の生命線は短かったが右手のは長く手首までいっていた。この生命線を見て、手術は必要ない、とわかった。
 それでも、やはり、周囲の手前もあるしーーー手術して、その後穀物菜食で手当すれば良いのだから、周りの言う通りにしたほうが良いよ、といっても聞く耳持たずだった。

 本当に怖かった。父にとって運命の分かれ目だった。

 病院の皆様、その節はありがとうございました。
コメント
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