玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

何のためのものか

2019-05-19 04:43:05 | 健康
 野菜も芽が出てから雑草との競争だ。同じ植物どうしの競争以外に虫に食われるのでほっとくとなくなってしまう。そこで農薬を使えばそういうことが事前に防止できる。
 化学肥料を使って作物の体が栄養過多になると虫がつく。肥料のないところで育つと虫はいない。
 雑草のほうをみると葉がところどころ食われたあとがあるが、作物より雑草のほうが栄養吸収が早いので虫も雑草につく。虫も効率よく生きたいので苦労しないで満腹になれるほうにつく。
 雑草が一本もなく作物だけが肥料を吸ってすくすくと成長していれば雑草よりは効率が悪いがしかたがないと虫は作物の栄養分を食いに行く。
 コンパニオンプランツも雑草の一種にはちがいないのでめんどうなので作らないでいると作物が虫を一手に引き受けることになる。

 家の周りのかきねも、作物と同じように雑草がなければ虫をかきねが引き受けることになる。畑の虫は作っている人を攻撃するようなことはないが、かきねにいる虫は人を刺すのかもしれない。樹木にいる虫は高いところまで飛ぶのでいつでも人を攻撃できる。
 大型の虫に刺されるとたいへんだ。下手をすると命にかかわる。今、かきねには毛虫一匹いない。さすが徹底した仕事をする。畑には雑草一本なし。ついでに自分自身で農薬を浴びていれば体にもつかない。やることがすごい。

 最近、農薬のきかない雑草、虫が出現したらしい。こんなことはわかっていたことだろう。長い歴史の中で農薬を使い出したのはつい最近、数十年前からで人体には毒だ、誰でも知っていることだと思っていたがーーーー

 作物やかきねに農薬をかけてすくすくと育つなら自分の体にも良いことだ、と思うようになるにちがいない。
 しかし、歳をとれば数日関節が傷んだりするが、関節の痛みは農薬をまく前の人力作業にあると思っているので決して農薬のせいではないと思っている。

 作る側からすると農薬は万能だ。畑で農薬を使い出す第一歩は肥料を入れることから始まっている。肥料が入ると虫がよって来る。そういうよってきた虫を農薬をまいて殺すことになる。肥料が入っていなければ作物も一見貧弱だが虫もつかない。
 かきねを管理する側からも便利だ。かきねに住み着いていつおそってくるかわからない空を飛ぶ虫がいなくなる。
 ついでに自分の体にもかけておけば完璧、と思っている。

 人が刺されるのは動物性のものを食べているとそのような食べ物で作られた血が栄養豊富で虫の好物だからだ。植物性の人間は刺されたことがない。一度刺されると何度も刺されるようになるらしい。自分の体を消毒したくなるのも何となくわかる。農薬は人体には無害で虫だけを殺すと思っているので、マスクなし、目がねなし、手袋なし、で作業している。農薬嫌いから見ると完全に感覚が麻痺している。作物や樹木に良いものは散布する人にも良いものだと思っているのだろう。
 ものすごい勘違いだ。一体全体、こういう方向違いの感覚はどうやったら身つくのだろうか。農薬嫌いにには全く理解できない。ただ、ただ、恐怖心が近寄らせなくしている。

 動物性を食しても虫とは縁がないところは都会だ。わずらわしいかきねの管理などやらなくてもすむ。畑もないので人力作業もしなくてすむ。なぜそちらに住まないのだろう。なぜ自然を農薬で自分にあったものにしようとするのだろう。
 今でさえ自然栽培の野菜果物を宅配で取り寄せているのに都会なら自然食品店があるからいつでも目で確かめて購入できるだろう。
 都会は便利だ。自然を自分に適応させようなど馬鹿らしいことはやめて人工的な都会ですごせば病院も何軒もあることだし万が一にも安全だ。ちょっと歩けばうまいものめぐりもできるだろう。薬をくれるお医者様にも気に入ってもらえる。

 都会が嫌いな人間とは違って、やっていることは都会の環境作りなので都会に住んでも何の違和感もないだろう。農薬をまくところがないので楽しみが減るのは我慢することになるが。

 もし、庭に芝生があれば家の中に砂ぼこりが風で入ってくるようなことはない。都会嫌いは芝生で何かの練習もできるし野菜だけのバーベキューもできると夢がふくらんでいるようだ。

コメント
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