玄米ごはん族のあしたのたのしみへ

玄米と野菜、果物で今日から明日へ。農業と穀物菜食の日々

良い結果は途中の苦労

2019-06-21 05:56:31 | 知識
 無農薬、無肥料で育てた稲はほっておくとコナギに負ける。中耕除草を早めにやったつもりでもすでに株間にコナギが何事もなかったように出ている。






 作物をたくさん収穫できればうれしくなる。体を酷使して作ったものならなおさら充実感があるだろう。喜びの経験があるから途中のばかばかしさもがまんできる。

 父が畑仕事で体を酷使するのと息子が田の中を歩き回るのと、どう違うか。
 農薬を使えばかならずいっぱい収穫できるが無農薬ではいくら体を使っても収量は減る。化学肥料で大きくなった作物はそれこそふんわり肥大しているので虫が大好きだ。ほっておくと茎だけ、スジだけになる。そうならないように農薬をかければ虫はいなくなる。このごろ何回も殺虫剤をかけているようだが、収穫前何週間は農薬かけるな、という規定があるはずだが守っているのだろうか。もし守っていなければーーーー

 息子のほうは虫には抜群に強い。化学肥料も堆肥もやらないのでずうっと貧弱に育つ。虫もつかない。雑草をすきこんだ田は有機酸が何日も出て苗はじっとたえているだけ、背丈は少し伸びるが葉色も薄い緑でそのまま。二週間ぐらいたつとようやく緑色になる。
 こんなものは虫のほうで無視、病原菌のほうも栄養がないので繁殖できないので病気にもならない。
 しかし、コナギには負ける。除草剤で速やかに消えてなくなる雑草が無農薬の田では大繁殖し苗の根本にからみつくようになり、分けつを妨げる。農薬を使わないので機械的に除草するしかない。
 昨年は数週間たってから中耕除草機を購入し田の中を歩き回ったが結果はやらなくても同じ、だった。今年は早く中耕除草をしたが株間のコナギはそのままだ。

 数年前から普通の農家の数分の一の収量でがまんしている。昨年、今年田の中を誰もやらないことをやって足腰が強化された。健康になるのが目的なら目的は達成された。

 今年は快晴続きで畑の作物はすくすくと育っているようだ。
 父はかならず、いっぱいとれたか、と聞くがここ数年、とれるわけないだろう、と返事している。父の目的は大収量だ。途中経過は不健康そのものに見えるが大収量の目的を達成している。農薬、化学肥料の力はすごい。使わない人間はばか見たいだ。来年も大収量がうれしくてわくわくする。毎年、喜びがあって人にプレゼントすればまた喜んでもらえてみんなで満足する。農薬、化学肥料こそ喜びの基礎になっている。すごい。途中の体の痛みはお医者様だ。目的達成のための手段は完璧だ。痛みがひどくなっているががまんすればお医者様がなんとかしてくれるはずだ。やめろなどと言っている息子は無視するに限る。
 痛みはますますひどくなるが無償で働いていれば見る人は見ている。やめろ、といってる息子は、いちいちケチをつけるとんでもないやつだ。そんなやつは、あっちむいてろ。
 
 こちらはいつになったら大収量の喜びを経験できるのだろう。いっぱいとれてうれしいと思ったのは何年前だったか、忘れた。

コメント
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