一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

Bowling for JR West

2005-05-06 | 天災・人災
JR事故に関連して、車掌がボウリング大会に興じていたことがとりざたされている。

確かに不謹慎な行為ではあるが、ボウリングをやめなかったことや、そのあと居酒屋に行った事、はたまた二次会でどうしたこうした、というのがそんなに公共放送を使って報道するほど大事な事なのだろうか?


確かにブランドを傷つける行為ではあるし、「バッシング」には最適のネタではあるが、重要なのは、組織全体で価値観の共有化ができていないことであって、ボウリングをどうしたこうしたという個々の非行の詳細ではないと思う。

ここが「法人の責任」の難しさでもあるが

たとえばJR西日本の個人株主がどこまで責任を感じるかと言えば、「自分の株の価値を下げるようなことをして」と文句を言うだけだろう。

また、従業員=サラリーマンも有限責任の集合体であり、だからこそ統制の取れた安定した組織運営ができる(彼らに言わせえれば「こんな安月給で働いてるんだ」(実際に安いかどうかはさておき))という部分もある。

となると、経営者の責任、ということになるが、経営者は「組織を機能的に運営できなかった」ということで責められるべきであろう。

すなわち、ボウリング事件も「反省の気持ちが足りない」というのでなく、内部統制や価値観の共有化ができていなかったという文脈で議論されるべきではないか。
鉄道会社の任務は、ダイヤどおり安全確実に列車を運行させる事にあるから、たとえば翌日の夜行列車の乗務員が、事故の報道に衝撃を受けて前の晩一睡もできなかった、というのでは困るわけだ。


さて、ボウリング事件に話をもどすと、マスコミもボウリングを何ゲームやったかとか、居酒屋でいくら使ったかという現象面をあげつらい、それに対して頭を下げる車掌区長の映像を映してウサ晴らしするだけでなく、「なぜそれが起きたのか」を掘り下げて考えて欲しい。


個人的な意見では、自浄作用が効かない、内部統制が徹底できない理由の一つとして、鉄道事業の許認可制があるのではないか。
つまり「こんな安月給で働いてるんだ」と「許認可なので競合相手がいないからつぶれやしない」が重なると、組織の論理優先の行動に走るのではないかと思う。


そう考えると、このメンタリティは、同じ許可業態であるテレビ局にもあてはまる。

たとえば名義株を使って有価証券報告書虚偽記載をしていたことは記憶に新しい。


だから、気持ちはすごくよくわかると思うんだけどな・・・

あ、だから、つっこんだ報道はしないのか・・・
コメント
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