一寸の虫に五寸釘

だから一言余計なんだって・・・

『DEATH NOTE』と核兵器

2006-06-24 | 乱読日記
スポーツクラブでマシンで汗を流しながらテレビを眺めていたら、デス・ノートの実写映画版の話題をしてました。

ポスターや予告編を見る限り、主人公役の藤原竜也が雰囲気を作りすぎちゃってて、頭悪そう(というか単なる危ない奴)に見えてしまって残念ですね(子供・若者向けの映画なのでオジサンが目くじら立ててもしょうがないですがw)

なので、以下原作のコミックの話になります。


以下、ネタバレ注意です。





とても大雑把に言うと、デス・ノートとは通常死神が持っていて人の名前を書くとその人に死をもたらすというもので、それをたまたま手に入れた主人公(警察官僚の息子で優秀な受験生→法学部生)が、悪事を働いても微罪にしか問われない悪人を罰するために自らデスノートを使う、という話です。


当初は、絶対的な力を持った主人公が匿名で力をアピールすることで犯罪を抑制し実現しようとする正義と、主人公の正体を突き止めその力の行使を止めようとする警察(主人公の父親たち)やCIAなどとの心理戦が、設定の奇抜さと合わさってかなり楽しめます。
作画の小畑健(『ヒカルの碁』の作画をした人)もあいかわらずクオリティの高い絵を書いてます。

ただ、初めて主人公の正体に迫ったライバルの「L」が死んだあたりから、新キャラ登場の無限連鎖が人気がなくなるまで続くという少年ジャンプにありがちな無限連鎖にはいりつつあるように感じて読むのをやめてしまいました。
ストーリー的にも、話がいつのまにか正義の実現とは何かなどというテーマはどこかに行ってしまい、デスノートという「力」の奪い合いのための知恵比べになってしまいました。


でも、考えてみるとこの展開は核兵器をめぐる争いと同じなんですよね。


当初、核兵器はナチス・ドイツに対抗するために開発され、(アメリカの理屈では)米軍の犠牲者を最小限にとどめ戦争の早期終結のために使用されたわけです。
その後、ソ連もドイツから入手した技術を元に核開発に成功すると、最終兵器である核兵器を持つ米ソがお互いに恐怖による均衡を保っていました(MAD(Mutual Assured Distruction)戦略という絶妙のネーミングがされてましたね)
それが、フランス、中国、インドなど他国も自らの発言力、軍事的威嚇力を高めようと核保有国が増加するにつれ、核拡散防止条約という形でこれ以上核カードを持つ国を増やさない、という政策に転換しました。
しかしここ数年、北朝鮮の核開発や、旧ソ連からの核流出などにより、国家より小さい単位のテロ組織などが核兵器を入手するリスクが高まっています。


デスノートでも、主人公と敵対する勢力は警察・CIAなどの国家機関から、企業、犯罪組織などデスノートを入手しようとするさまざまな組織に広がりを見せています。


そう考えると、デス・ノートの含意は結構深いのかもしれません。


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(6/26追記)
デス・ノートは僕の予想に反して完結したようです。
ジャンプの編集部に(多分)反して主義を貫いた作者に拍手です。

つづきを読んでみる気になりました。
コメント
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