くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

傷痍軍人。

2012-07-27 | 日記

      

7月23日 朝刊の第1面上段より連載が始まった

“高知 傷痍軍人たちの戦中戦後”  を毎朝読んでいます。

これは黒潮町佐賀で豆腐屋を営む 西村幸男さん88歳の戦争体験記で

満州で終戦を迎えた西村さん達日本兵が 立場が逆転し 横暴の限りを尽くす中国共産党相手に

反乱を計画したが失敗 捕えられ激しい拷問を受け 右手はつぶれ右耳は完全に音を失い 傷痍軍人になった。

これが7月26日までの記事で まだ連載は終わっていません。

団塊の世代の私が 高校生の頃 学校の帰りは帯屋町を歩き 土電でバスに乗りました。

当時   帯屋町や中央公園の北口に 軍服と軍帽を身に着け 手や足が欠損した傷痍軍人が

欠損した個所を また顔を包帯でぐるぐる巻きにし アコーデオンやハーモニカで 哀調のある当時の歌や

ふるさと を演奏している姿をたびたび見ました。

15年前に亡くなった父も フィリピンへ出征し 戦争で負った大きな傷が背中にありました。

無事生還し 結婚して私が生まれ サラリーマンで定年退職した父は 

「戦死した戦友や その家族には 生きて帰って申し訳ない」 と常に言っており 

部隊の 生き残り組の会 ≪マニラ会≫ に毎回参加し 時には母も一緒でした。

傷痍軍人と聞くと 18歳の頃見た 包帯だらけの旧日本兵を思い出します。




  

沖縄産の 見事なマンゴーをいただきました。

父がマンゴーを切り 花が咲いたように くるっと裏返したので驚いたことがあります。

出征先の フィリピンで覚えたのでしょう。

マンゴーを初めて見たのは もう高校生になっていました。

やってみましたが 父の様にうまくできません。

味はとろける甘さと風味で なつかしい父を思い出しました。 


     

コメント (5)
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