初めて見るバナナカステラの大袋があり 買いました。
バナナカステラは毎度は見かけませんが たまにスーパーのレジ近くに
2本入りを120円ほどで置いてあり 見たらいつも買います。
バナナの香りがプンプンする 白あんの入ったバナナカステラは 父の
好物でしたので 買ったらまず神棚におそなえします。
5月は自分の生まれ月ですが 二十数年前 73歳の父を見送った月も
5月で 当時40代だった自分が父の逝った歳に近づくにつれ お父ちゃん
えらい慌てて逝ったね と思います。
祖母が生きていたとき聞いた話では 父が死なずに戦地から帰ったとき
あちこちから借りたもち米やお砂糖でお餅をついたら あん餅をもろぶた
1枚ぶん食べた父は まる2日間 死んだように眠り続けたそうです。
もろぶたは 食品などを入れる木の箱で どの農家も持っていました。
晩年の父は 一日に食べるお菓子の量を 母からきびしく管理されており
たまにバナナカステラを食べる父は この上ない幸せな顔を見せました。
父がもう一つこよなく愛した 春日井の落花あめもお供えしましょう。
投げ出した自分の足を見るたび 同じ爪をしていた父を思い出し 鏡の中の
顔はもちろんのこと お菓子の好みまで 似てきた娘です。
もろぶたもありました、年末に餅つきをして白い粉を敷いて出来立ての餅を並べて、それが何とも言えなく輝いて見えたものでした、何もなくても平和な光景でした、
優しい味ですね
戦争へ行っていらっしゃったお父様
大変だったのですね
帰っていらっしゃっておばあ様どんなにかうれしかったことでしょう
戦地のご苦労と空腹をみたされた安ど感
深い眠りで体をやすめたお父様の様子、わかるような気がします。
炉豆、我が家にも亡き父の手つくり2箱が今も健在です。梅漬けや豆乾燥にも活躍していて
時々そっとなでてみます。底板や持ち手の釘がもうさびついて少しガタガタするので、補強してつかっています。
父は生菓子が(白いあんこで梅の花の形に)好きで、わたしの初給料で生菓子をいっぱい買ってかえりました。おいしそうに少しずつ口にいれてはニコッ!としていました。
炉蓋の話で懐かしい思い出がよみがえりました。
我が家の義母は私が帰省するときは、いつも遍路石のおまんじゅうを所望しました。そのとき必ず「浜幸のお菓子はいらんきね」と付け加えることを忘れませんでした。浜幸には失礼な話でしたが、義母には食べ物の乏しかった頃に食べた遍路石のあの素朴なおまんじゅうが何よりのごちそうだったのでしょう。くりまんじゅうさんのお父さんも、義母と同年代と思われますから、似たような境遇だったのでしょうね。今度帰省したときは、そのバナナまんじゆうを探してみることにします。
バナナカステラ 懐かしいです もちろんこちらでもプロパー商品でずっと売られていますよ^^
最後に食べたのいつだっけ( ゚ ρ ゚ )ボー
くりまんじゅうさんの甘いもの好きは
お父様を受け継いでらっしゃる♡( ̄▽ ̄)おほほほほ
でも親が好きなものは常に見ているし子供が好きなのは当たり前ですけどねえ^^
「もろぶた」と言うんですねえ(・0・。) ほほーっ
我が家にももちろんかつてありました
「餅箱」として認識しています
私の曾祖母が達筆な人でこの餅箱の蓋の裏に
「〇〇氏 〇年〇月〇日」と何のてらいもなく
さらさらと書いていたとお嫁に来たての母が驚いていました
引っ越す時に持ってきたかったけれど
さすがに止めました^^;
写真にその字を撮ったかなあσ(^-^;)アセ
お父様が大好物をどっさり食べてぐっすり眠った気持ちって
経験はもちろんありませんが どんなに幸せを感じてらっしゃったのかは
さすがにわかります((・_・(_ _ウンウン
死ぬか生きるかの中を生還されたんですもん。(゚うェ´゚)゚。
ホント!娘である私は親の姿の一部分を受け継いでますよねえ(〃ー〃)フフフ
本当にこれは素晴らしい記事だと思います
パチ☆\\ ̄ー ̄)( ̄ー ̄//☆パチ
ありがとうございました
バナナカステラ、父というより夫が好きで、昔よく買っていましたのに、この頃全く見かけません。
あまりにも懐かしいので
「お父さぁ~ん 懐かしいよ~ちょっと見て!」と呼びました。
PC覗いて「あぁ、食べとうなったわ」って^^
落花飴の袋も懐かしい。。。
これもいつのころからか見かけなくなりました???
年齢ととみに、どんどん素朴な味がよくなりましたよ。
あたしは母方の祖父母を知りません。
祖父は母が女学生の頃に、祖母は私が生まれる少し前に、それぞれ亡くなったそうです。
なので生前母は、母よりも長生きしてるので、
これからどうなるんだろうと頼りない気持ちだと、父に打ち明けてたそうです。
生きてる時代も食べてるものも受けられる医療も
自分の親の世代とはずいぶん違うけど、手本というか見本というか、
欲しかったんでしょうね、子供たちには言わなかったけど。
命日っていろんな思いが交錯しますね。
お父様はお供物に喜んでらっしゃいますよ〜
わたしの父の想い出は タバコとお酒でした
72歳で逝きました
連れ合いは 今年 76歳になります
彼が 72歳の時は 「父さんは こんな若さで 亡くなったのか?」と
悔しく思っておりました
今 76歳ともなると 私にとって未体験ゾーン
「そんな事 忘れたの ?」「出来ないの ??」って
つぶやく毎日でございます
2本で100円くらいだったか?で 売っていますが
工場へ行けば 焼き立て熱々とか 出荷できない型崩れ商品も 格安で買える
と聞いたことがあります。
お父さまは 甘いもの好きだったのですね。
特に兵隊から帰ったときに食べられた もろぶたいっぱいの餡餅のあじは・・・・
どんなに 無事の帰還に安堵されたことでしょう。
義母も5月22日。
バラの花が満開の時でした。
何年たっても思い出しますね。
そして10年前の5月は息子の結婚式がありました。
孫は5月生まれです。
5月は生命が瑞々しく輝く季節です。
命の営み中で世代交代が行われていくのは自然の現象なのかと、しみじみ思います。