毎週 月曜日になると「今日は プール サボろうかなあ。」と独り言を言います。
すぐ「いかん いかん 今日サボったら ズルズル休むことになる。」
ともう一人の 真面目な 自分がつぶやきます。
“ なまけもの ” の自分が勝って 休んだこともあります。
サボった日は 寝ころんで何か食べながら ビデオを見ます。
でも レッスン終了の時間が来ると
「やっぱり行けばよかった。」と自己嫌悪に陥り 増々食べることになります。
サボっての後悔はしても 行っての後悔は一度もなく 来て良かったと毎回思います。
月曜日を乗り切れば なまけもの は出て来なくなり その週は乗り切れます。
マスターズの 最初の20分はとても苦しく「 今日はついて行けない。」
と毎回思いますが そのうち 段々と体が慣れて楽になって行きます。
マスターズで泳いだ距離が 750mと言われると嬉しくなり 明日も来ようと思います。
3レッスン目の クロールを入れると1,000mは行けたのでは と思い
苦しい中でこそ 全員に体力が付き スピードも上がったと感じます。
後ろの泳者に追われる マスターズだからこそで 自主トレではこうはいきません。
月曜の なまけもの 撃退法は 出発時間になるとまず 水着を着ます。
この時点で だ なまけもの が足を引っ張っても 水着を脱いではいけません。
車に乗りエンジンを掛けると さすがにしつこい なまけものでも振り切れます。
なまけもの の縫いぐるみかわいい。
岩合さんはTVで見るより 華奢な印象を受けました。
一人々々に丁寧に描いてくれました。
今回の写真集 「どうぶつ家族」。
どうぶつ家族 見開きのサイン。
私の欲しかった写真集 「ねこ」。
ねこ は今回は対象外なのに 気持ちよくサインをしてくれました。
岩合家の30年前の飼い猫 海ちゃん 文章は奥様。
「岩合光昭の世界ネコ歩き」 撮影中の岩合さん。
昨日 朝 9時半に家を出て 高松へ行きました。
高松三越デパートで 動物写真家 岩合光昭さんの写真展をやっており 19日が最終日です。
そして土日に 岩合さんの トークショーとサイン会があるのです。
動物写真家 岩合光昭さん 以前から会いたかった人です。
動物写真は ちょっと行っただけでは良い映像が撮れない と30代初めに アフリカ
タンザニアのセレンゲティ国立公園に 家族と2年間滞在し その毎日は 後にTVドラマになり
その写真集は 世界中でベストセラーとなって 動物写真家の第一人者となった彼を 初めて知りました。
その後 中国の野生パンダを 雪の降る現地に長期滞在し 出産 子育てまでカメラに収め
NHKで放送されました。
警戒心の強い野生パンダが 毎日の岩合さんとの接触で すっかり心を許していた映像が印象的でした。
つい最近 10日ほど前に 3夜に渡り 「岩合光昭の世界ネコ歩き」 が放送されました。
たくさんの方が 見たと思いますが
1. トルコ編イスタンブール
2. ギリシャ編エーゲ海の島々
3. イタリア編ソレントとカプリ島
このシリーズは 岩合さんの撮った映像は勿論のこと 別のカメラが 撮影中の彼を映しており
やさしく ネコに話しかける岩合さんを捉えていました。
会場では整理券が配られ 私の番になり サインをしてくれる岩合さんに
世界ネコ歩き とても良かったですよ と言うと にっこりして
ありがとうございますと言い やわらかい手で握手をしてくれました。
主人は写真展を見た後 近くの 香川県立美術館 へ行きました。
平山郁夫 の大窪寺をはじめとする お四国の寺を描いた展示会をやっており
とても良かったよと言い とサイン会場で合流し 岩合さんにも会えました。
野生の動物を追い 世界中を飛び回って活躍する 同世代の岩合光昭さん
どうぞ体に気をつけて 更なる活躍を期待しつつ 帰って来ました。
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親戚の奥さんが 胆のうの石を取る手術をし 退院したからと 快気祝いに
地元の名産 池トマトの トマトジュースが届きました。
池一菜果園の フルーツトマトで作った 贅沢なジュースです。
濃厚味と あっさり味が詰められており こんな高級品を 返って申し訳なく思います。
自らを リコピン中毒 と言うほどの トマト好きな主人は 大喜びです。
トマトは 年中 食卓に欠かせなく 農産品コーナーへ行っても 真っ先にカゴに入れます。
夏場の安い時は 食事時には どんと大皿に盛り ほとんど一人で平らげますが
冬になって 品薄で高くなると 小皿に盛られることになります。
ありがとうございます 味わっていただきます。
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朝晩は ずいぶん過ごしやすくなりました。
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よさこいが終わり ロンドン五輪も終わり 普段の生活にもどって
夏も終わりに近づきました。
現在 午前6時です。
窓から差し込む朝日が 真夏の白い光と比べると 心なしか黄色に見えます。
blogネタのない時は ガメ君の登場になります。
ガメ君は 花火の夜 腹に響く ドーンと鳴るたびに
ウーウー と窓に向かって怒ります。
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そのうちに 疲れるのか 敵わないと悟るのか 台の下に入り 唸りをやめます。
あんた ママに似て 諦めが早いねえ。
ママは ここでもう少し頑張れば 勉強もできただろうし 水泳も上手になるんだよ。
諦めた後は 疲れたのか すぐ寝てしまいます。
民族。
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新聞やTVで 盛んに 尖閣諸島や竹島の領土問題が報じられ 韓国や中国
また香港の活動家の様子が 映し出されています。
これを見て 「 あの時の二人を思い出すねえ。 」 と主人が言いました。
同じく私も あの二人を思い出していました。
2001年 5泊6日の旅程で 友達夫婦と4人で 初めて中国に行きました。
北京⇒桂林⇒上海の観光で 各地の現地ガイドは 3人とも20代の若者が付きました。
3人とも 大学で日本語を専攻したとのことで 流暢な日本語を話します。
桂林の彼女は 大変美人で 観光の途中に 「 香港が中国に返還されましたね 台湾も
返って来たら良いですか?。 」 と質問してみました。
すると 今まで にこやかに話していた彼女が
「 もちろんです あれは私たちの国です!。 」 と急に引き締まった顔になり 強く言います。
この種の質問は これ以上は はばかられ 後は雑談をしました。
彼女は 大学受験の時 母親が少数民族だったため 少数民族特別枠で入学できたこと。
また 給料の良いこの仕事は魅力ではあるが 日本へ行って勉強したい でも日本へ留学する為には
日本人の保証人が必要で この前ガイドをした日本人が 保証人を引き受けてくれる と約束したので
近々尋ねたい ほらね と財布から出した 名刺を見せてくれました。
それは 日本の地方都市の 市役所の課長の名刺です。
日本での生活費はどうするの? と聞くと 昼間は勉強して 夜はホステスをします とのこと。
夜の仕事は 誘惑が多いよ と言うと 自分がしっかりしていれば大丈夫です と胸を張ります。
この課長は 酔った勢いで名刺を渡したと思われ 奥さんに怒られるねえ と主人と話したものでした。
桂林の彼女は ビジネスクラスを予約してくれ 桂林⇒上海へ飛びました。
上海の彼は 背の高い男前で これも観光の途中で 桂林の彼女にした質問をしてみました。
すると 全部を言い終わらないうちに 香港のくだりになると
「 うん 取り戻した!。 」 と真剣な顔で 力強く言います。
中国のこれからを背負う若者の 国に対する 深い思いを知りました。
上海の彼は 就職して 最初の全給料で爆竹を買い 一族でお祝いをしたとのこと。
この彼に 桂林の彼女の日本留学のことを話し ホステス生活は 本人の自覚で 誘惑には負けない
との意志を伝えると 即座に 「 馬鹿だね。 」 とのことでした。
最初の観光地 北京の彼女は 若い頃の 吉永小百合 を彷彿とさせる 清楚で美しく
友達の夫が最も気に入り チップをはずみ 旅行後も連絡を取り合い 高知へも招いたとのこと。
さすが 共稼ぎの多忙な身でありながら 海外の留学生を ホームスティさせた実績がある夫婦です。
北京の彼女は 上記の質問ができる雰囲気ではなく 雑談の中で 彼女は兄が2人いるが
自分の生まれた年から 国が 一人っ子政策 を敷いたため 友達は皆一人っ子です
と言ったことが 強く印象に残りました。
この中国行の2年ほど後に 友達と2人で 台湾へ行きました。
この時のガイドはおじさんで 高校を定年退職した 元社会科の先生とのことでした。
3泊4日の旅は 入国から出国まで彼が一緒で 移動バスの中で いろんな話が聞けました。
台湾は 戦争中の日本が建築した建物は 今でも大切に使っているが 中国は順番に破壊しており
台湾民族は 勤勉で努力家が多く 中国と違うところは 世界一の親日家である。
また 中国と合併する意思は だれ一人おらず 今の台湾で良い と社会科の先生らしく
名所旧跡の案内だけでなく 思想にも触れ 医者になった息子が 買ってくれたという
見事な ヒスイの指輪をしていました。
話半分に聞いていましたが 今回の震災に いち早く 生活レベルからいうと 法外な額の
寄付金が 台湾国民から寄せられ 親日家と言う 彼の話が本当だったことを知りました。
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3-4年ほど前 会社にあった 折鶴ラン の折鶴を一つもらって帰りました。
水に差し 根が出たので 土に移すと いつの間にやら こんなに増えました。