くりまんじゅうの日記

世間より少し いやだいぶん遅れている
老シーラカンスです。

ハノイ紀行 最終章。

2013-10-19 | 旅行

ハノイ空港に着きました。
あとはJL752便に乗るだけです。


今回添乗のMさん 今までの旅で1番若い添乗員です
なかなかの美人であり 気配りのできる娘さんでした


実は今回 ハノイに着いた最初の夜 旅友とケンカをしました
ふっかけたのは私です

 私   もぉ~~   我慢できん!  その話なんとかならんかね

 友   なんのこと?

 私   高知からベトナムまで  ずぅ~~~と  家のことばっかり言いゆうろぉ
     ダンナのこと   娘のこと   孫のこと   果ては洗濯機の不具合まで言うて
     せっかく外国まで来たに あんたは旅情というものを味わおうと思わんかね?
     所帯じみた話ばっかりされたら 旅のイメージが湧かん   もう  うんざり!

 友   あんたが言うほど  ずぅ~と  言いやあせん!
     ちょっと言うた  だけじゃいか!

 私   延々言うてきて   ちょっと  ということはないわねぇ
     貧乏くさい話ばっかりで    もぉ~~   うんざり

 友   分かったっ!  もうゆわんっ!

               
翌日のバスは 離れて座りました

50年の長き付き合いとなった親友の彼女とは 国内旅はもちろんのこと
毎月の 日帰りバス旅も一緒で 海外は過去 オーストラリア 台湾を旅し
その都度 今回と似た内容のケンカをしたよ  とおかしくなりました

もう  二度と一緒に行くもんか!  と思って それぞれが別の人と旅しても
いつの間にやら また一緒に行く元の姿にもどり それが定着しております
ま なんだかんだ言っても 相性がいい と言うか腐れ縁でしょうね

ベトナムを象徴するこの笠を買えば良かった とあとで思いました  3~5米㌦でした


定刻通り飛行機は ハノイを飛び立ちました
すぐに眠ったらしく 目が覚めると朝食が配られておりました


時計を2時間進めて 日本時間に合わせます
時刻は午前5時半 東の空が朱に染まり始めました


日本の飛行機は 到着時間も正確です

税関を通り カバンを受け取って ツアーの皆とお別れです
ここが毎回さみしいところです

札幌 福岡からの参加者は そのまま成田からの便で帰ります
田舎の高知はここからバスに乗り 羽田に向かいます

羽田に着くと 余裕を持って取っていた便には まだまだ時間があります
聞くと 30分後に飛ぶ便に空席がある とのことで 変更して早く帰れる
ことになりました

高知行きの便が離陸すると 毎度眠ってしまう私です

富士山が見えゆうよ!  旅友の声に目が覚めました

アッという間の短い旅行でしたが エネルギッシュなハノイを肌で
感じる旅となり 行ってよかったと思いました

あれもこれもと 欲張って盛り込みすぎ ダラダラと毎日長くなりました

最後までお付き合いいただき ありがとうございました

                    

                    


                    
                                   
            

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ハノイ紀行 第4章。

2013-10-18 | 旅行

ハノイ観光も終わりに近づきました。

すぐに忘れる頭になったため 写真を見て 思い出したことや
感じたことをしゃべりたい と思いますのでお付き合い願います。
 


街中も 郊外の家も えらく細長い家になっております
家の税金は間口の広さで決まるらしく ウナギの寝床 様式になったそうです

 

 

イナゴの大群のごとく押し寄せるバイクに 決死の覚悟がいる道路横断ですが バイクがよけて通ります

 

若者のデートもバイクに乗ってとなり 埃っぽいのでマスク掛けが多く マスクの柄は色々ありました

何人乗ってもいいのかな?  一家全員の4人乗りは当たり前 という感じ

 

ベトナムではバイクは必需品で 一家に2台は持っております
人気は ホンダ・ヤマハ・スズキ・カワサキ で30万円する日本製バイクは
性能が良く丈夫なため 皆欲しがりますが ベトナムは平均月収が4万円
のため なかなか買えません

中国製は三分の一の値段で買えますが すぐに壊れます
わが家は ホンダとヤマハを持っております

乗用車はトヨタが人気ですが 関税の関係でとても高く カローラが380万円
ほどするため お金持ちしか持てません      ガイド氏談

ベトナムの女性は朝早くからよく働きます

 

 

 

それにひきかえ 男は一日中木陰にたむろし おしゃべりをしており‥‥キリギリスじゃねぇ。。。

バイクも自転車も 積めるだけ積んで 人もめいっぱい担ぎます

 

 

こちらは旧市街のはきもの屋さん通り  歩道にも陳列しているため 人は車道を歩きます

 

 

同じく旧市街の女性たち   魚をさばきながらの商売です

こちらは 肉のお惣菜屋さんと青物屋さん

 

狭い通りに 売る人買う人があふれており 歩行者の肩すれすれに シクロが走ります

こちらは大通りのシクロ  この乗り物は欧米人に人気があると聞きました

金タライ状のものにパンを入れ売り歩いており 本家より柔らかなフランスパンは 毎食時出されました


おおっ! 珍しく男が働いております  売っているのは揚げパンかな?

中学生でしょうか 学校帰りと思われます

日本の教育は 小・中・高と6・3・3制ですが ベトナムは5・4・3制となり
小学校までは義務教育です
ベトナムでは義務教育と言えども授業料が要り 貧困家庭は子供に義務教育を
受けさせることも出来ません

高校を卒業し 大学へ進学したら兵役が免除されますが 進学しなかったら
徴兵制度により 強制的に兵役が課せられます
私は大学へ行きましたので 兵役の経験はありません    ガイド氏談

ハノイのオペラ座はとても立派でした

こちらは路上の散髪屋さん



ベトナム女性はとにかく働き者で はちきん でありました
それに比べ 男性は。。。
そういう仕組みになっている ものでしょうかねぇ

そろそろハノイ空港へ行かなければなりません。                   
 

           

              
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ハノイ紀行 第3章。

2013-10-17 | 旅行

 

この日は フランス統治下時代の面影を残す
古都 ハノイ市内観光となりました。

まず行ったのは ベトナム建国の父 ホーチミンの廟です
広々とした敷地は天安門広場を彷彿とさせ 入り口は24時間衛兵が守ります

暑さゆえでしょうか 衛兵は30分交代らしく 交代式も台湾ほどではありません

軍の最高幹部が亡くなったらしく廟の前に 黒い布を添えたベトナム国旗が半旗となっておりました

廟の横に木陰を作っていたスターフルーツの大木に チビの実が育っております

次に行ったのは池の中に建つ 一柱寺 で縁結び 安産のお参りが絶えないそうです

                  
ここに咲いていた熱帯の花と 実をつけていたこの木の名前を 確か聞いたのに思い出せません

 


少し歩いて次の目的地に向かいます  途中で花屋の前を通るとお祝いの花輪を作っておりました

 

ベトナムで最初の大学が置かれた 文廟 は緑が多く中は広々としておりました

 

屋根の上の飾りが 紫禁城で見たものと似ていると思いました

 

そのはずで 文廟は孔子の廟とのことで ツアーの皆は頭が良くなるようお参りしました

 

中の店に竹で編んだお面があり 欲しかったけれど折り畳めないため やむなく諦めました

嬉しいことにアオザイ美人がおりました  ガイド氏が言うには大学の卒業式とのことです

鶴は千年 亀は万年 亀はどこの国でも長寿の象徴なんですね

出口に向かうと またまた嬉しいことに アオザイ美人の撮影会をやっておりました

 

 

とても大きいガジュマルの木がありました  熱帯の国ですね

次にバスで向かったのは陶器で有名なバッチャン村です  入口のたたずまいに懐かしさを覚えました

年代物の陶器が並んでおりました

 

ここは絵付けの工程  絵付けは細かい作業のため 職人は40歳以下でないと務まらないとのことです

 

 

バッチャン村では牛車に乗りました

近くには陶器店がずらりと並び 様々な陶器を売っております

 

バッチャン村観光はオプションのため全員は行かず 夕食は全員揃いました

ここでサプライズがありました

広島からご夫婦で参加の ご主人が本日誕生日とのことです
レストランの灯りが消えた と思う間もなくバースデーケーキが出てきました

全員で ♪ハッピー バースディ トゥーユー♪ を唄い75歳を祝いました
ご夫婦も 旅先で迎えた予期せぬ出来事に 大喜びしておりました

 
                 



              

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ハノイ紀行 第2章。

2013-10-16 | 旅行

ベトナム一の景勝地といわれる 世界遺産
ハロン湾に着いたのは お昼前になりました。


少し沖に停泊している船まで この連絡船に乗ります
全員ライフジャケットを着せられ 操縦士の後方はジャンク船のムードを残した新しい船です

ガイド氏によると 沿岸はお金持ちの別荘マンションとのことでした

ちょうど昼食時に当たり 観光船の屋外厨房ではコックが腕を振るいます

クルーズ船に着きました
寝泊まりできるホテルになった船に 我々のツアーだけとは とても嬉しいことです

ハロン湾に観光船は大小300隻ほどあるとのことで これらの船は豪華なホテルになっております
私たちの乗った船ではありません

 

穏やかな海に島が見えてきました

 

海の桂林 とも呼ばれるハロン湾は 漓江下りで見た風景と重なります

 

船の厨房で作った食事が運ばれてきました
エビやカニは食べやすいように 女性職員が剥いてくれます

 

香りのよい唐辛子を使った料理が多く 日本人の口にとても合います

 

 

 

海の中のイケスへ移り 各人がカニやシャコを選び船の厨房で調理してくれます
これは各自支払いで カニが12米㌦ シャコが8㌦でした                    

この日はお天気もよく 遠くまで見えましたが 雨上がりなどは水墨画の世界でしょうね

 

これはゴリラ岩

そしてこれは ハロン湾のシンボルといわれる 闘鶏岩

水上生活者の村が見えてきました

食後 船から小舟に移り 島の1つにある鍾乳洞へ行く予定です

ガイド氏の説明によると 細い階段をかなり登るので 結構しんどいですよ
船に残ってもかまいませんよ  とチラチラ私を見ながら言います

はは~ん
このデブおばちゃんは途中でへたばり  オンブしてちょうだい
など言いかねん顔をしちょるね  そんなことになったら大災難! 
息子と変わらぬ歳の氏の胸中を思い 船に残ることにしました。

ガイド氏は客室を用意してくれ 客室のベッドで
しばしの仮眠を取りました

お昼寝が終わるころ皆が船に帰りつき そろそろ港へ帰ります

波で岩が浸食され 長い年月をかけ形を変えていきます

 

エメラルド色の海に点在する 3,000余りの島々は ため息が出るほど美しく
来てよかった  とツアーの皆が言っておりました

 

 

                  
港からハノイ市まで180㎞あまり 休憩を入れながらバスは走ります
途中立ち寄ったお土産物屋の店員さん アオザイが似合います

昼食時も夕食時も 店員が飲み物を聞きに 各テーブルを回ります
ビールは現地の バババビール ハス茶が香りよく 毎度注文しました

 

すっかり暗くなってホテルに帰りました

朝出発のとき ベッド脇のテーブルに 2㌦の米紙幣を置き
thank you  とメモして出ましたが 帰ったらベッドメーキングが
され こんな返事が残っておりました

枕銭に対し お礼を言われたのは初めてで こちらまで嬉しくなりました 




                      

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ハノイ紀行 第1章。

2013-10-15 | 旅行

10月10日 心配した台風も通りすぎ 朝から晴れました。
田舎のおばちゃん2人が ハノイに出発する日です。


高知龍馬空港をこのお二人に見送られて出発です  元気で行ってまいります

 

なんとか迷わず成田に到着したのはお昼過ぎです  朝ろくに食べてないきペコペコじゃね

どうもあれに乗るんじゃね  これはおばちゃんの勝手な想像です

各地から集まった同行者は全部で11名 添乗員1名 12名での出発です

離陸するとすぐに飲み物を聞かれ スーパードライをご指名です

続いて夕食は鶏飯で ハーゲンダッツアイスともに完食です

いつの間にやら眠っており 間もなく到着 のアナウンスで目が覚めました
成田を飛び立ち6時間余り 日本時間では夜中の12時近くですが 現地時間では午後10時です

お迎えのバスに乗り ハノイ市内のホテルに入ります
おおっ きれいじゃいか!  とおばちゃんは喜びます

おもしろいことに木の湯船がついておりました

朝は6時に目が覚めました 
「あんたは飛行機でもホテルでも ようグウグウ寝いれるね」 と旅友が驚いております

さあ朝ごはんです  おばちゃんはきっちり食べ フォーも忘れずに食べます

 

出発まで時間があったのでホテルの外へ出てみました 地理が不明なのでホテルが見える範囲しか
動けませんが 現地の人の1日はすでに始まっており 屋台の朝食風景が見られました

この女性が作っているのは なんという料理なのか

 

天秤棒で担いで来て野菜を売っている女性  なかなか重そうです

 

朝食は家で作らないものか ここで食べたり買って帰ったりです
カメラを向け OK? と言うと にっこりと人なつっこい笑顔を見せてくれました

 

 

撮りやすいように丼を向けてくれ とても親切です

フォーは分かるとしても 一見求肥状のものは米粉かな? パクチーで食べるのかな?

 

 

我々も出発時間です  エネルギッシュなハノイは おびただしい群れのバイクが走り
前方がけむっております

ハノイ市から ハロン湾のあるハロン市までは バスで4時間近くかかります
郊外へ出ると のどかな田園が続き 稲刈りをしている田んぼもありました
50年前の日本の農村風景が広がり あちこちに水牛がおりました

バナナとグァバが茂っており 道ぶちで モンキーバナナとグァバを売っております

 

途中 国営の刺繍工場へ寄りました

ベトナム戦争時 米軍の散布した枯葉剤で ハノイは大きな被害を受けました
ベトちゃん ドクちゃん の連結した双生児を覚えておられますか?   
双生児は分離手術後 一方は結婚し父親になり もう一方は死亡しました
この工場も 枯葉剤の犠牲になった肢体不自由児が たくさん働いております   ガイド氏談

刺繍工場のとなりは販売店となっておりました

ベトナムの花 ハスの花を刺している子も
ハロン湾のジャンク船かな? を刺す子も 写真を見ながらやっております

 

ベトナム戦争は何年間もの戦いとなり 双方に多くの犠牲者を出しました

狙撃され 若くして命を落とした沢田教一氏の ピュリッツアー賞を受賞した作品
『安全への逃避』 が思い出され 浮かれた気持ちがしんみりしました

大きい河です
ハロン湾にだいぶん近づきました

  

              

                    



                    

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