枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

枇杷葉の花咲く

2013年11月20日 | Weblog

 友人が訪れると言うので、気合を入れて起きる。布団を干し、洗濯物を3杯して、愛車の掃除も済ます。庭に出ていると、何処からか匂う。目の前にある、枇杷葉の花芽の1苞が開いていた。この枇杷葉は、今年で3度目の花芽を付ける。だが、実は結実しない。

 ミニバラがたくさん蕾をつけている。寒くなったとはいえ、比較的に此処の場所は日当たりがいい。そこでもう少し南に寄せようとしたら、三段棚の一番下が腐っていた。風雨に曝されて、よく持ち堪えたものだ。取り敢えずは、倒れないように置き直す。うむむ・・・

 友人が帰途に着き、孫を迎えに行く。重装備で行かねば、川風が冷たい。途中、図書館に寄って、三国志五巻を返し七巻を借りる。六巻の三顧の礼を読んだところ。毎晩数枚のペースで読んでいる。武将の名前は覚え切れないものの、面白さが増していく。

 帰宅して、手洗い・嗽を言い、お八つを出す。宿題をするように云うが、ふざけていてやらないので、二人を別々に引き離す。まあ、この寒いのに、アイス・チョコボールを口に入れている。ひぇ~ペンギンも一緒だ。益々、異次元へ近くなった。有害さはないようだ。

 ストーブは出したが、点火しないでいる。友人など、とっくに出し、炬燵はむろん、電気カーペットも使っているそう。何と常夏ではないか。今朝、セーターを厚目に変えた。室内でもジャンパーを着ることにして、懐炉を貼った。洗濯物を取り込み、更新の続きだ。

 午前中、ダンプが突っ込んだか?というくらいの揺れがあった。えっ?!何もなかった?家は安普請なので揺れたかとも思えるが、椅子に座っていて落ちそうになった。何かの予兆だろうかとも。不気味な空気を感じる。アイソン彗星が見え始め、双眼鏡必須。

 この後、兵庫県を震源地とする、M4.3の地震であったことが判明。速報は出たらしいが、携帯は鳴らなかった。津波の心配がないためか。金星の素晴しい輝きを観ながら、孫等を送る。嫁が、おでんを作って待っていてくれた。大根が美味しい季節ですね。

 青空市に向かう、廃線跡にあった栴檀。愛車を停めて撮影した。この霞む色合いが好ましい。白檀の仲間でもある。

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一茶忌・十六夜

2013年11月19日 | Weblog

 金星の高度が可なり上がってきた。それでも、宵の明星なので、夜半には沈んでしまう。夏の大三角も、西に傾いた。今晩の十六夜は、未だ月が昇らない。季節とは、日々の繰り返しの中で、変化をもたらせているのだ。アイソン彗星も近くなった。

 それにしても、急激に寒くなる。山々に雪が降ったらしく、冷え込みは冬眠状態。いや、我が家は南極。やはりペンギンが跳んでいる。次回の表紙は充分にご検討ください。亜空間か、時空の裂け目があるのか、摩訶不思議な出来事が少なくない。

 今月で、6年目に突入する介護の仕事。最近、ようやくわかったこと。無理はしない。相手にとっても、自分にとってもいいことにはならない。却ってお互いがやり難いので、努力の甲斐がない。独自に変化することは希で、対応方法も千差万別となる。

 その中で、自分にできることは、可能な限り相手の願いに耳を傾けること。誰か一人に、あなたが居るから安心、と言われる存在になりたい。衣類の補修や、掃除をすることも同じ。自分で心がけ、進んでやりたい。丁寧に且つ、環境を整えることもだ。

 一人では何も出来ないと、しないことよりも、独りでも日々やって行けば、必ず成果は出る。またそうでなくても、或いは違っていても、自分の信念を曲げない。誰のためでもなく、自己満足ではある。給料をもらっている以上は、手抜きはしないことだ。

 三国志。次第に面白くなる。曹操の思考力に感心する。今までは、然程その心理状態が読めなかった。宮城谷昌光氏のは面白い。同時並行で、新聞連載の劉邦と、湖底の城に填まっている。湖底の城は、新刊が出なければ読めないのでじれったい。

 消費税が上がったら、文庫本も買えない。致し方なく、図書館に通う。児童書は、がんこちゃんのシリーズと、ぞくぞく村のシリーズ。作者から送ってくれるので、楽しみな本である。日々、部屋の中は愛蔵書で、床が抜けそうになる。然し、手放せない。

 仕事を辞めたら枇杷葉の世話と、読書三昧にしたいのだが、貧乏性なのでできそうもない。体力的なこともあるので、短時間の仕事にしたい。夢と現実の差に唖然となる。枇杷葉の気の下で、無農薬の珈琲を飲み、ケーキ持参のお茶会をするかな。

 今年の、長崎茂木赤枇杷。枝が撓れるくらい実がついた。送ったら、とても歓んでくれ、お礼をたくさん頂きました。ありがとう

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時雨・・・

2013年11月18日 | Weblog

 大潮・望。野菜の美味しい季節になった。紅葉もやっと色づき、山々の錦が美しい。季節の移ろいを感じながら、気温の暖かさに気分が緩む。小春日和は先週の土曜日で、時雨の多く慌てる。政治家のすることはわからない。与えられた職務を歪にする。

 福島の原発の除染、東北の復興が先の筈なのに、既にオリンピックで湧き上がっている。況してや、外国に原発を売ろう等、持っての外。どういう人格の形成をしているのか。庶民の暮らしには見向きもしない。新アメリカ駐日大使が気の毒である。真実。

 地球は、アメリカのものではない。かといって、諸国のものでもない。生き物の棲む小さな星だ。それらの生き物は、与えられた使命によって生存している。人間が偉い、という想いを捨て、真摯に向き合わなければ、この地球は滅びる。既に滅びかけている。

 Aさん家に水をもらいに行き、一旦帰宅してから、勤務に就く。中途半端な時間だが、夕方研修があるため。その空に、白龍が視えた。やたらと胸騒ぎがするが、まさかと打ち消す。勤務について暫く、空気の変化を感じた。訃報を知った。お別れを告げる。

 今晩は、折りしも満月。研修を終えて帰宅したら、台所にペンギンが騒いでいた。昨日、泳げが漂着した由。きっと抜け出していたのだ。冷凍庫を片付けたら、急に静かになる。トイレの手洗いの皿にかたまっていた。寒さには平気なので、行動を注意しよう。

 今晩は冷えるので、体を温めて眠ろう。そういった思いの時、勤務先が気になることがある。人工的な暖かさの中で暮らすと、体の基本の冷えが長引く。足元の冷えも消えない。歳を重ねると、体の自由が利かない。体が少しでも温かくあってほしいもの。

 枇杷葉茶を飲むことは、基本的には持続力を云う。金持ちには続かない。あちこちに眼がいって、三日と持たない。更に、情報の豊かさが、判断を狂わす。他人任せ(医者)であり、自分で自らしようとは思わなくなるのだ。自分の体は、自分で管理しましょう。

 先日の蓬と、大蒜、唐辛子のエキスが出来ている。林檎の花が咲いたら、試してみよう。クリスマスローズの株が大きくなってきた。立春辺りから咲き始める。枇杷葉の下でくすぐったそうだ。今年の花芽は、10枝ばかり。サンタ枇杷は、たくさん付いている。

 青空市場に行く途中にあった、栴檀の木。巨木なので見事だった。愛車から、眼をやると薄紫の雲が棚引いているようだった。

 

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泳げ、漂着す。

2013年11月17日 | Weblog

 郵便ポストから、溢れ出て来た泳げ。ペンギンは寒さには強いらしいが、川の中では狭いだろうに、と案じていたら、一跳びして空に駆け上がった。何と、翼を回転させている。ありゃまぁ・・・、そっか空気を自由に手繰るので、空も海も同じなんだね。

 と。見上げている時ではない。急いで伝言を読んでおかねば。最初に読むのは、秋田情緒豊かなエッセー。こ・これは。秋田では、屋移りは夏にするのか!その事実に納得するものの、ちょっとした違和感を覚える。まあ、雪ないし・・・困ることもない。

 雪国と、温暖な地方との違いが、ここまではっきり出ていることに魂げる。たまげた君。同じ日本に居ながら、東北と中国との差に愕然。人の痛みがわからない筈、ともの凄く反省するが、実態がイマイチ知れず、疑心暗鬼に陥る。山女はあるよね。

 巻末の、全国から寄せられた驚きのお便り、コーナーに自分の名前発見。然も、大御所のののがみさんや、その他諸々の偉い方ばかりに身が縮む。いえいえ、皆さんおやさしい方ですが、敷居が高いだけです。あ・あの枇杷葉は、ののがみさんに。

 我が家の桑の木の下で、すくすくと育つ枇杷葉は、ののがみさんのに決めよう。お茶葉お入りならお送りします。とてもいい葉が多いです。リエさんのも、しーちゃんのも元気だ。りささんのは来年辺りには、花芽がつくかな?使わなきゃ宝の持ち腐れ。

 某新聞の日曜版に、体を温めるといいことが書いてあった。常々、云っていること。体は、冷やすと機能が低下するし、エネルギーの無駄使いをする。そのことに依って、肥満になったりすること、滲みやソバカスを増やし、体内の免疫力を低めてしまう。

 枇杷葉に限らず、蓬や柿、桑に玉葱、牛蒡等、自分に合った薬草で、体を温めればいい。身近にある物を活用することに意味がある。高いからといって効く、とは限らないし、安価でも心が通っていれば、治癒能力を援ける。何が幸いするかはわからない。

 毒は薬になり、薬は毒にもなる。そこの見極めが大切なことは言うまでもない。自分で判断するには不安があれば、漢方医にお聴きください。自分に合った物が効くことは否めません。偶然かもしれないが、枇杷葉が体に合った。若い時には見もしなかった。

 やさしい色合いの薔薇。今夏は、暑さも続いたので、開花することが多かった。枇杷葉エキスを塗布している。

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雲海発生す・・・

2013年11月16日 | Weblog

 今朝は、霜が降り、霧も出て、孫等の学習発表会に向かっていたら、雲海が観えた。しこたま着込んでの観劇に、張り切っている孫。一人風邪を引いて、マスクを着用している。林檎を育ている様子や、点字の読み方を披露してくれる。このまま素直に育って。

 点字ブロックに、平気で立っていたり、自転車等で塞ぐ行為はしない。だがそれらのことが守られない哀しさ。それを堂々と大人が行うことに唖然とし、注意すらしないのも淋しい。学校とは、何を教え、学ばせていく所だろう。人間の尊重とは如何なることか。

 6年生は修学旅行がメインで、写真を使っての紹介だ。清水寺にも行ったらしい。弁慶の長刀があり、何れも持ち上げている。春に行った時には、中に入らなかったので、よかったこと。二月堂や奈良公園、法隆寺等、駆け足で回っていた。金閣寺・銀閣寺。

 京都タワーに宿泊しての、映画村では、印籠アイスを食べていた。水戸黄門が終わっていても、名残はあるらしい。転校して行った級友と偶然遭い、うれしそうな孫であった。土産は、八橋であった。二日間であるから、一泊二日である。何時も笑顔の孫。

 今朝は、早朝に目覚めたが、未だ早いと、布団で温もっていたら、つるっと眠っていた。景色は、実家であり、家は深閑として誰も居ない。何故、其処に居るのか不明だが、庭に周ったら何処からか、セールスの人が現れた。父に会いたい。と言う。父ですか?

 と言った瞬間。父が現れたのだ。それも大きな獅子を連れて。えっ!お父さん、何処に居たの。暫くセールスの人とのやり取りを見ていたが、突然思い出す。父は亡くなっている!お父さん、何処から来たのよ。墓掃除に来てくれたお礼が言いたかった。と父。

 光が、父の体と獅子を取り囲んだ。次の瞬間、父の姿は消えた。何だか、狐につまされたような夢であった。ひょっとして、今日の発表会を観に行きたかったのか、と胸が騒いだ。確かに、父の気配を感じていた。そうして見事に晴れ、小春日和の発表会だった。

 休息時間があって、家に帰り布団を干す。洗濯物も陽に当てる。孫が、校長先生が『エイトマン』好きだって。と言う話を聴いていたので探す。ちょっと手間取って遅れる。校長先生に、お貸しします。と差し出すと、感激しておられた。誰も持っていないでしょ。

 国道沿いにある、巨木の栴檀の樹。孫等と夕闇の迫る中、見上げて感動。別名が、獄門の樹、とも云うらしいよ。

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二の酉・七五三

2013年11月15日 | Weblog

 昨夜の冷え込みは、然程でもなく、その内雨音が聴こえ始めた。蒟蒻の温かさに、気が緩んで眠った。今朝は、ぎりぎりまで布団に居て、弁当を手早く詰め、出勤する。里芋の煮転がしを、三日程前から作っていたので、慌てないで済んだ。隠元豆も湯がいておいた。

 明日は、孫等の学習発表会で朝が早い。洗濯をしておこう。天気だといいが、と思ってみたり、雨なら本が読める、と考える。繕い物もある。貧乏暇無し、とも言うが、実に用事が多い。まあ一つひとつ片付けるしかない。如何なる時にも読書は外せない。庭の手入れも。

 明日も天気はぐずつくらしい。日々のちまちまとした用事をしていると、時間はあっと言う間に経つ。成果の著しい結果は出ないが、何かは前に進んでいる。自分を信じると、背伸びをしなくなるもので、なるようにしかならないこともわかる。神さまの意志の儘に生きる。

 自分の体に、癌細胞があることは知っている。けれども、医者には行かない。また、手術もしない。枇杷葉を知った時に、自分で治す。と決めた。神さまを信じ、自分に備わった力を過信しないでいれば、援けてもらえる。自然のままに、あるがままに過ごすことが大切。

 自分に課せられた使命を、きちんと果たせば、死への恐怖にも襲われない。抗うこともしない。どんなに粋がっても、決められた寿命は変えられない。何もしないのではなく素直に生きる。ハードルを一つ越える毎に、新たにまた目標を決める。命の終えるまで行うのだ。

 どんな人間でも、言いたいことや、黙っていたいこと、死にたくなることが、数え切れないほどあるものだ。それが人生。悲観することも、楽観することもまた、生きる全てではある。自己満足には違いないが、やってみようと歩いていくのだ。そのことが張り合いでもある。

 南天の実が熟れて来ると、雀や目白、百舌鳥や鵯がやって来る。彼等には、絶好の食事になる。見ていると好みの餌がある。鳥は苦手でもある。ヒッチコックの映画を観て以来、恐怖が去らない。現実との境がなくなりそうだ。猫は虎だがどうだろう?虎になるかな?

 今夏の庭の様子。色付き始めた桑の実と、枇杷葉の苗。3年目になる苗も、日当たりでこれだけ差が出る。

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懐炉着用す。

2013年11月14日 | Weblog

 昨夜、腰の痛みに簡易懐炉を貼った。蒟蒻と枇杷葉も施行して眠る。今朝は早出であったが、弁当が要らないため、寝床で三国志を読む。このところ毎晩、読んでいる。第五巻目に入る。なるほどなぁ、そうかそうだったのか、と納得して夜が明ける。

 香乱記の田横も、某新聞に連載の劉邦も、その人柄では惹かれるものがある。三国志には、劉備玄徳と、諸葛亮・孔明の名が前面に出過ぎて、曹操や孫権の人物像が掴めない。だが、これは面白いのだ。歴史の中で、活躍していたことが偲ばれる。

 勤務時間中には、居眠りはできないし、休憩時間も眠ったら大変である。そこらをうろうろしていた。しっかり濃い目の珈琲を飲む。帰宅して、蒟蒻を温めて腰に貼る。次いでブログを更新する。ゴミ出しも済ませる。焼き芋を1本頬張り、珈琲を飲んだ。

 狭霧消ゆる湊江の・・・霧の深い朝でした。これからは当分、霧が囲む。上着もジャンバーに替えた。手袋も着用して、重装備の出勤。暖房に頼らない暮らしでは、勤務先は常夏状態。帰ると背筋が伸びます。洗濯物を仕舞いつつ月を見上げる。

 ここ数年というもの、この季節には時雨が多い。まあ、尤も刈り入れが済んで、脱穀が終り、籾を筵に干す時期には時雨はつきもの。祖母も母もまた、何処にも出かけられず空を見上げていた。小まめに筵をさぐり、広げる作業には丹精があるのみ。

 勤労感謝の日には、家族総出で籾殻と玄米に分け、小米とも選別して俵に詰めた。気の遠くなる作業がなくては、ご飯は食べられなかった。精米に行き、竈に釜をかけて炊いた。米の一粒も捨てなかった。メダカや鳥が洗い場で待っていた景色。

 自然を敬い畏れ、苦労することも当たり前と受け入れていた。子どもの頃は、そういったものが理不尽に思えたもの。便利で豊であることが、原発を優先させ、大事故に結びついた。核のゴミが増え続ける日本では、不可能なことは明らかである。

 庭の西側にある三段の棚で、次々と咲くミニバラ。花のある暮らしは、ちょっとした安らぎでもある。

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小春日和とは為らず

2013年11月13日 | Weblog

 寒くなった。急激な気温の変化で、着る物に戸惑う。ストーブを出したいが、今度の休みまでは、と仕舞ったまま。窓の結露が毎朝あり、雑巾で拭く。早朝は霧が深く、ライトを点けて走行する。安全の基準を守っていれば、事故が起きないとは限らないが。

 味噌の美味しい季節になった。調味料に使うのに、塩や醤油に味噌が手近でいい。昆布や鰹もいい味が出る。化学調味料には咽喉越しがよくない。どうにも絡んでくる粘っこさや、濃い味がいただけない。素材の味を引き出す、昔ながらの味が好いね。

 高齢になると、嗜好がシンプルになる。若い時にはごちゃ混ぜの味でも、勢いで食べていた。ところが、たくさんより、少なめの分量で数が多いのがいい。お迎えが何時来るか不明確であれば、旬の野菜をふんだんに使った献立を、味わって戴きたい。

 青空市には、春菊、大根、秋じゃが芋、白菜、里芋、銀杏、秋牛蒡、人参等、豊富な野菜が溢れている。果物は、柿や梨、蜜柑、林檎と出回って、食卓を賑やかにする。中でも林檎は、これからの季節に欠かせない。柿や梨は腹を冷やすので要注意だ。

 バナナも夏の果物だ。収穫できる場所を考えれば納得する。トマトや胡瓜は控えたい。確かに彩りはいいかもしれないが、体のためには宜しくない。病気を発症させる確率を促すようなもの。安ければ、何でも買うのは考え物だ。献立も冬の温野菜に。

 先日のカレーには、大豆をたくさん入れた。林檎も1個入れる。味がやさしくなった。肉は基本的には入れない。大蒜が意外と旨かった。今晩で、三日続けている。ちょっとたくさん作り過ぎた。息子の所にやったが、それでも片手鍋に一杯あるのだ。さて。

 年末が近くなり、掃除が待っている。勤務先の掃除には、そこらにある物を除けてする。然し誰もしている形跡がなく、掃除機は丸くかけるか、簡単にしているらしい。無論のこと、雑巾掛けはしていない。瞬く間に雑巾が真っ黒である。掃除が趣味か?

 枇杷葉の苞が、明日には開くと思われるのに、中々、花にはならない。ここにきて寒くなったのもある。毎年のように、月末に咲くかな?アイソン彗星の太陽面通過で、一気に咲くか。太陽に近づき、砕けてしまうか、興味の範囲と、謎が多い彗星だ。

 山女の苗。昨年の種が発芽していたのだ。これが何年後に花を付けて、実を生らすのか?期待は膨らむが・・・

 

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白昼夢・・・

2013年11月12日 | Weblog

 まさか!何故か、月が東天にかかっている。いや、月が愛車の動く進行方向に移動して行く!今は、満月になって行く時で、下弦ではないのだ。それなのに、どうして月が欠けて観えるのだろう。それも、白昼にだ!!昨日、郵便局から、我が家までの数分間だった。

 何気なく、宇宙を見上げて、ぼんやりとしていたものだから、携帯での撮影を失念していた。証拠がないので、どうも真実味がない。以前、従妹が来た時にも、とても不思議な体験をしたことがある。沈んだ筈の太陽が、部屋の中に居るにも拘らず観えたことだった。

 同時に、月が左手の中に乗っていた。太陽は、キラキラと光を撒き散らしながら、右手に乗ってきた。唖然としているのを訝った従妹である。娘にも観えたらしい。従妹と一緒に来ていた人にも見えたようだが、はっきりとはしない。きっと癒しの力を授かったのだろう。

 その力が、枇杷葉のエネルギーを満たして、様々な要因を超えて、やっと発揮しているのだ。ありがたいことに、受け入れてくれる人には、惜しむことはない。真心の通じる人にはわかるのだろう。真実の心のままに素直になれば、反応していくのだ。感謝するのみ。

 研修があって、映画を観た。毎日がアルツハイマー、というタイトルだった。途中からだったが、言わんとすることは心に沁みた。人間は、年を重ねていく毎に、自由になっていきたいもの。親子だの兄弟だのなく、思う様に生きていたいのだ。現実には無理なことだが。

 秩序も、権利も、社会もなく、服を着たい時に、思うように着て、風呂にも入りたい時に入る。制約も、順序も取り払って、好きな様に生きていたい。周りの事など関知せず、死ぬまでの自分の人生を思う様に。だが日本では、そういった生き方は、難しいのかもしれない。

 自分の人生を、悔いなく精一杯に過ごすことのできる社会に、そこに個々の信念と理念のあることを、切に望む者である。人間が、評価を行うと、必ず眼鏡が曇る。今後は、神さまのなすがままのあり様で、真摯に生きていたいものであるが、果たせるかな・・・疑問。

 小さな枇杷苗。何と、4年も経っている。長崎茂木の種からの発芽で、日陰での発育。困難を極めている。

 

 

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温圧療法には・・・

2013年11月11日 | Weblog

 体を温めることは、体内にある毒素を、体外に排出しようと働く作用を援ける。風邪の引き始めに、咽喉を温める目的で、タオルを巻いて眠る。痛みが和らぐのはいうまでもない。これに、枇杷葉の生葉を使うと尚いいが、手元にないことが間々ある。

 冷蔵庫に、ナイロン袋に入れて、保管するなら1週間は持つ。できればその都度採りたいが、何処の家庭でも置いてある訳ではない。鉢仕立てにしてあればいいが、水遣りの管理が必要である。常備しておくことも、普段使っていればあるのだが。

 腰痛予防に、この1ヶ月間、枇杷葉温圧療法を施行しているが、生葉の毒素を吸いだしてくれるのに、何時もながらびっくりする。温灸とは違うが、熱さは皮膚に感じるし、灸をしているのと似ているのだ。蒟蒻が冷たくなってきて、生葉を取り出す。

 これが毎度のこと異なっている。あんなに熱かったのに、毒素は僅かなことがあるし、然程でもなくても、生葉が真っ黒なこともある。痛みのある患部から集中して出て来る。蒟蒻の温さ加減も大切らしい。要は、体を冷やさない工夫を怠らないこと。

 先日は、腹痛に蒟蒻を当てた。急な冷え込みに差し込んできたのだが、これはよく効く。江戸時代にも蒟蒻はあったらしく、宿の常備薬でもあった。また蒟蒻は、砂下ろしと言い、体内の毒素を排出する。解熱効果にもよく、枇杷葉の生葉と使うことも。

 体は、自然の状態が良く、そういったものに力を借りて援けてもらうのがいい。従って、身体も自然と免疫や抗体を生じていき、ちょっとしたことには動じない。何も、運動をしていなければならないこともない。野菜中心の生活を送ることも大切なこと。

 故・福島正信さんも提唱されていたが、贅沢こそ心身の健康を損なう。地産地消の暮らしには、天の恵みを大切にする習わしがあり、神さまに感謝して戴く、という謙虚な気持ちがあったのだ。農薬や、遺伝子組み換え、産地偽装食品等求めない。

 枇杷葉茶に親しむようになり、自然から教えてもらうことが多くなった。然し、幾ら大薬王樹と言えども、全ての人々に合うとは限らない。自分に合った方法を考慮するのも、また愉しい。既定の遣り方ではなく、色々試してみるのも面白い発見がある。

 春の庭先を彩る心算が、初夏にずれ込んだ。球根の根元をナメクジが齧っている。彼等にとっては、餌であり、生きる糧でもある。

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