枇杷の葉なし

枇杷の生育や、葉・花芽・種のことを日々の生活のなかで書いていく。

霧、立ち込めて・・・

2014年01月21日 | Weblog

 昨夜からの雨が上がって、早朝の辺りには、霧が立ち込めていた。暖かである。こういう時が風邪を引き易い。体調を崩すのも、気温の上下が原因のことが多いのだ。気を引締めて、仕事場に向かう。施設の近所の方に久しぶりに会い、挨拶を交わす。

 二十四節気。立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒。となっている。これらに季節の行事が加わる。旧暦での活用が天文状況と合う。

 またこれらに、その折々の花木があり、蝋梅、梅、水仙等の花木から始まって、枇杷葉で締めくくる。旧暦で云えば、霜月から師走にあたる。冬の花は静かで、香りの佳い物が多い。春には、華やかさのある物が数を占め、夏には様々な色合いが目立。

 秋は、葉色の美しさを競う。季節の移ろいの中では、どの時期にも好みがあろうが、その移ろいを楽しみたい。花を愛でる心を持ち、育てる愉しみを味わいたい。人間同士にも声かけは必要なこと。花木にも同じ事が云える。育む心で際立つことにも。

 奇跡のりんごも、声かけをしなかった木は、花が咲かなかったそうだ。たわいの無いことなのだろうか?まさに自然の摂理そのものだ。やさしい声を聴かせば、木もうれしい。怒っていれば、木は萎れる。その心理状態で、左右されることに驚くばかり。

 人間には誤魔化しは効くだろうが、自然には却って効果がない。偽りの声は届かない。社交辞令では通用しないのが面白い。その場限りのいい加減さでは、花木は騙せないことになる。人間に対する警告も含む。花が咲いて実がなることは奇跡だ。

 それ以前に、種が発芽して育っていくことが不思議なこと。猿蟹合戦の蟹の思いだろう。柿の木が多くなっても、自分たちには実は取れない。それなのにせっせと水を遣り育てるのだ。欲も、損得もない。人間は、儲けることを直ぐに考え失敗する。

 まあ、それには生活がかかっているから、致し方の無いことでもある。私利私欲に眼が暗むことのないよう、程ほどが好い。そういう時代ではないのも確かだが、敢えて願う。困っている人には、手を差し伸べて援けてあげればいい。我が身に還る。

 真夏の夜の夢。夏は、魔物があちこちに潜む。気分がゆったりとするためか、それとも短い夜に現を抜かすのか・・・。

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大寒・雨になる

2014年01月20日 | Weblog

 二十四節気の内の、大寒にあたる。一年で一番寒い日を云う。旧暦では師走で、新暦の今月末がお正月。旧正月とも春節とも云い、本来はこの後、節分が来て立春。然し、春とは名ばかりで、天気は悪く雪の空が多い。節目を大まかに分けて呼ぶ。

 疲労困憊すると、耳鳴りがする。雨が降ること、湿気が多いと耳の中が痒い。この天気予報は当たる。洗濯物が乾かない。室内は乾燥気味であるから、丁度いいが、狭くなって見苦しい。風だけが通る場所はないものか。乾燥機に入れて乾燥させる。

 我が家では、夕方帰宅してから洗濯し、竿をに干す。朝にはカチカチになっている。少しばかり湿ったのを取り込み、室内に下げて乾かす。これに最低は三日かかる。休みの日には、3時頃には仕舞う。乾いているようでも、僅かな湿りが気になってしまう。

 洗濯時の水は、風呂の枇杷湯を汲む。これで洗うと、臭さがない。枇杷湯には体臭を消す働きがある。花芽や種にはむろんだが、枇杷葉自体が消臭効果を発揮する。枇杷葉茶を飲みだして略、10年が経つ。あの独特の、加齢臭が消えてしまったのだ。

 これには驚いた。香水やオーデコロン、オーデパルファム等の人工的な匂いではない。花芽の匂いがして、体臭がしなくなった。これには、びっくりしてたまげた。そのことに気づいたのは、銀河に依ってで、脱走の度に、はたまた気紛れに洗われていた。

 動物の持つ習性で、銀河は凄く嫌がった。こっちは蚤やダニが気になるからだが、銀河にとってはありがた迷惑。風呂場に連れて行かれても、逃げ場がないのを鳴いていた。枇杷湯で洗われるのには観念していた。シャワーは、カルキ臭を嫌がったもの。

 枇杷湯で洗っている内に、毛艶が良くなり、しっとりしてきた。それは銀河も気にいっていた。尤も、枇杷葉茶を飲んでいたからだが、排泄物の臭いが極端に消えた。猫の尿は独特のもので、野良猫の来たことは、直ぐにわかる。枇杷葉茶の効果の現れだ。

 長い年月に於いて、枇杷葉茶を飲み続けていれば、思わぬ効果が様々なことに効くことに気づく。疾病の前触れだったり、体調の異変を知らせたりする。同時に、それと察することにも敏感になる。自然治癒能力を働かせ、体の持つ機能を援けてくれる。

 昨年の夏中、見事な花を咲かせた。挿し木で増えて、季節を忘れずに咲いてくれる。愛おしさや健気さを想う。

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寒中の枇杷葉

2014年01月19日 | Weblog

 昨夜からの雪が、うっすらと積もった朝だ。寒暖がよくわからないが、手が冷たいのでストーブを点ける。庭に出て見れば、枇杷葉が震えている。今冬、二度目の積雪に、雪を払ってやる。東の空には陽が登って来、雪を溶かし始める。寒さにじっと耐えている。

 この時期の枇杷葉の生葉を採って、葉先と軸を切り、同じ大きさの物をできれば揃えて、35℃の焼酎に漬けます。枚数は30枚から50枚くらい。2ℓの果実瓶でします。エキスが出てきたら、患部に貼ったり、エキス自体は、切り傷・擦り傷・打撲・捻挫等用いる。

 枇杷葉をよく観察していたら、葉の中心に薄茶色の苞が見えません?今の時期なら、それが白い花弁になっているのに気づきます。初夏になれば熟れて食べられる実です。でも、見当もつかない小さな物ですね。実になるのは既に咲いていて萎んでいます。

 この蕾を含む花芽を摘んで、花芽茶にしましょう。香りにはアロマ効果があり、その馥郁とした匂いに癒されます。市販のお茶パックに入れ、幾つかまとめてナイロン袋に密封して、冷凍庫に保存します。珈琲や紅茶、抹茶と同じで、風味が保てて味が佳い。

 花芽茶には、枇杷の実になる成分があるので、アミグダリンを含むことはいうまでもなく、体の機能を再生したり、細胞の活性化を促します。種にも同じ働きがあります。花芽を焼酎に漬けておくと、ローションにもなり、角質を剥し、滲みやそばかすを消します。

 枇杷葉の生葉は、3ヶ月くらいから使用できますが、花芽や種は、できれば1年以上は置きたいもの。従って、毎年作っておくと重宝します。焼酎の馴染みが、味や香りを円やかにして、風味は極上になるからです。炎症を起こした患部に、布を当て治療します。

 結膜炎、風邪の予防(手洗い・嗽)、水虫、扁桃腺炎、中耳炎、膀胱炎、痔、あらゆることに対処できます。腰痛には、患部にエキスを浸した布を置き、温めた蒟蒻を乗せて、治療します。この時、蒟蒻はナイロン袋に入れないで、タオルか手拭に包んでください。

 蒟蒻は、何度でも温めて使います。鍋に水を張り、蒟蒻を入れて煮立たせます。沸騰してきたら火を止め、タオルに包みます。枇杷葉の生葉を使っても、同じ効果があります。花芽や種は、枇杷酒として飲んでもよい。体が温まり、血液の浄化に役立ちます。

 体は、1年を通じて冷やさないこと。機械による冷暖房は控え、衣類での調節をします。足湯をしてもよく、枇杷湯で足を温めてください。年齢を重ねていくと無理が利かなくなりますから、旧暦を取り入れて、自然に任せた暮らしを心がけましょう。晴耕雨読。

 種を植えて育ったが、株間が狭くて移植した。夏だったので、枯れるかと思ったがついた。枇杷葉の移植は、12月から立春までに。

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雪の週末・・・

2014年01月18日 | Weblog

 不安定な天気である。午後八時頃からは雪になったらしい。先程、立ち寄った息子が、肩にかかった雪を払って、玄関に飛び込んできた。深としてきたと思ったらその通りだった。昨夜には気温が緩み、朝起きたら雨だった。昨日、耳が痒かった。

 枇杷葉の生葉を採り、温圧療法用に、葉先と軸を切る。こっちは取っておいて枇杷湯にする。花芽茶の用意もしなくては、と思いつつ捗らない。ソロモンの偽証が気になり、一気に読むが、終わらない内に夕方になってしまう。時間切れであるようだ。

 何だか咽喉が渇く。風邪を引いたのではないか、と炭酸飲料を飲む。常温だが、冬なので冷たい。ストーブは点けている。狭い部屋なので、空調は手頃だ。洗濯物がすっきりしないのが、問題ではあるが、夕方室内に取り込めば、翌日には乾燥す。

 これまでは、乾燥機をフル回転させていたが、昨年辺りから止めた。電気代の節約と、原発再稼動への抗議だ。洗濯物が、直ぐに命に拘る事ではない。尤も、冬場には汗もかかないから、数日は着るし我慢もできる。再稼動には、核のゴミが出る。

 人間、大金を手にしたら豹変すのか?或いは、そうかもしれない。私は、隠匿する。例えどんな意味があろうとも、その金で大学に行くのだ。悪いか。受験の期間も含めて、卒業までの資金とする。世の中には、奇特な人もいるとうそぶいて着服する。

 まあ、ポストに入っている可能性はないだろうが。万に一つのこととして、くれる物は拒まない。介護の仕事に必要な、上を目指したい。理学療法士、作業療法士。或いは、漢方の薬学を学びたいし、研究したいもの。夢は叶えるものかもしれない。

 現実には、適うことなどはないが、もしもそうであるなら、1年間の受験猛勉強に加え、4年間の勉学をこなしたく思う。今更と考えないでもないが、だからこそ勤しみたい。若い時には、学べることがわからなかったことも、歳を重ねる毎に想いは強い。

 寒さも大寒に入ろうとしている。インフルエンザが猛威をふるう季節でもあるらしい。枇杷葉茶を飲用して、ここ数年それらとは縁遠い。梅のエキスもありがたい。自然からの恵みを感謝し、自然治癒能力を援けたい。努力を怠らない精神が大切だ。

 昨年、悪戯半分に蒔いてみた大豆。思わぬ収穫にほくそ笑んだ。初夏に蒔き、秋に収穫。今年もやってみよう。

 

 

 

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土用、震災を忘れない。

2014年01月17日 | Weblog

 あの朝、今までに無い揺れにどきりとした。仕事中、目の前に赤い炎が視えた。冬の最中で、ストーブを点けての仕事に、幻を見たのだと思った。知人らが避難して来たことを伝え聞いていた。それから1ヶ月後、信じられない出来事が起き、赤い炎は小さな命を奪った。

 あれから19年が過ぎた。年数は超えても、元に還ることはない。生きていくことの切なさ、痛ましさを抱え、苦しまない日はなかったでしょう。立ち上がる気力さえなく、なす術もなかったでしょうに、明日の来ない日のないこともまた、変わらぬことではあったことでしょう。

 今尚、ショックが襲い、眠られぬ夜もあることでしょう。平穏でいられることのありがたさ、一日を無事に過ごせる幸せを思い、亡くなられた方々のご冥福を祈るばかり。無念の想いを現世に残している人々が、今朝我が家に居た。命を大切に、何かのために役立てよう。

 旧暦で云えば師走であり、今年は31日が元旦で、次いで節分、立春となる。それにしても、月日の経つのが速い。時間は24時間だろうが、数時間は足らぬような具合。今年の目標は何にしようか。苦手科目の克服?介護とは無関係がいい。数学と物理になる按配。

 いかん!数字が唯でさえ苦手なのに、考えただけで眼が周る。小学生のドリルがいいらしいがどうだろう?問題が解けるのか、疑問は不安になっていく。理数系の得意な同級生が憧れであった。どうしたらあの数字と仲良くなれるのか、今でも不思議でしょうがない。

 明日は、午前中に歯医者に出頭。治療していかねば、ご飯が美味しくないので、仕方ない。ケーキと饅頭に眼が眩んだ結果だ。甘い夢をみたのだから、覚悟を決めねばならないが、どうも医者は厭だ。人間に見えないの、ちょっとしたエイリアンに思えて、不気味よ。

 数日前に左半身を強打して、その痛みに閉口していた。ところが唯一独り、私の手当ての通じる方が居て、その方に触っていると、双方に気孔が働いて、補い合う。まるでメビウスの輪。何回か繰り返す内、痛みやしんどさが消えた。同時にその方も、すっきりされた。

 初夏に植えた綿の種から発芽、花を咲かせた。淡い黄色の花で、月見草に似ている。違うのは、綿ができること。

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大潮・望、薮入り

2014年01月16日 | Weblog

 今朝、耳が痒かった。雨になるか雪だろうか?案の定天気は回復し、晴れ間が見えた。この時期は、西高東低なので、比較的晴れ間が多いのが特徴で、雪が舞うのも珍しくない。県北は積雪のみられる所もあり、県南では雨に変わる。それにしても降雪は少なくなった。

 成績の善し悪しと、頭脳明晰とはどのような関係があるのだろう。義務教育という名の下に、勉学に勤しんでいた頃には、教師との相性が大きい。教え方の下手な先生では、理解に苦しむことが多かった。単純明快、何故そうなるのかがわからなかった。教師不信に陥る。

 その不満を、きちんと聴いてくれて対処するのが、教師ではないのか?ところがついていけれない生徒はほったらかし。つまりは落ちこぼれである。先生は教師なのだから、わかっていて当然だろうが、わからないことが伝わらない。だから自分のことを良く思えない。

 況してや、頭がいいから、とか言われると、却って莫迦にされたようで腹立たしい。わからないからこそ努力をしているのだ。独学でやれることをしている。それには、図書館に行って、書籍を読むのが好ましい。だが、疑問が生じても、誰も答をくれないし、結果も未定。

 更に、知識を深め高めていくしかない。要は、自己満足の至りだ。誰かと話し合って、違う意見を聴いたり、自分の思いを話してみたいが、さて相手が乏しい。それでも、誰かの命令で動いたりするのはもっと厭だ。行動に責任を持ち、思考して遣りたい。人間は考える葦。

 読書の愉しみは、他人の悪口を言わなくていいし、好きな時間に読める。ジャンルも豊富だし、専門書も膨大である。損得ではなく、自分を豊にするための方法だ。然し如何せん、資金が不足しているので、自由な時間は限られる。学ぶことには制約がないのも救いだ。

 極めることは無理だとしても、目安としては何でも一通りのことは知っていたい。だが、知らなくてもいいこともある。専門的な分野には、それらに相応しい人が居る。能力の限界を感じながらも、人を見る目の確かさと、内心の動きを察したい。君子危うきに近寄らずか。

 江戸時代であった頃、奉公人には年に2度休みがあった。薮入りである。この日は、早朝から実家に出かけ、親の顔を見に、或いは芝居見物等に出かけてもお咎めがなかったそうだ。それだけに1年を辛抱して働いていた。考えることが増え、休日はぐったりになる。

 ねじ花。田舎の田の畦や畑にあり、ままごとの料理になっていた。農薬の影響で、すっかり姿を消してしまった。

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空気が緩む・・・

2014年01月15日 | Weblog

 小正月、小豆粥を戴く。お粥も様々であるが、おせち料理や雑煮に厭きた頃、小豆粥はさっぱりとして旨い。塩で味付けしただけだが、小豆の風味が鼻腔を擽る。貴重な小豆を煮る母の姿も思い出す。炭を熾し、小豆を鍋に入れて茹でる。何度も水を差して仕上げる。

 前日からしているので、明日は小豆粥だとわかる。夕飯が待ち遠しい。然し、いざ食べ始めると腹は満足しない。育ち盛りには物足りない。祖母にとっては、戦時中のことが偲ばれるのか、贅沢を言う、と叱られた。食べれることに感謝することも大切だと小言をもらう。

 子どもの頃がよかったとは思えぬが、祖母や父や母が、元気で居た頃が懐かしい。古里の朽ちていく家屋を眺める度に、心が震えるのだ。何時しか幾重にもなる襞に刻まれる。あの頃には還れないことも、今更ながら思い出させる。故郷は遠くにありて思うものの心境。

 夕方には、気温が少し上がったのか、曇り模様になっていた。重く垂れ込める雲の間に、月と木星が具間観える。木星の模様も、望遠鏡を覗けばその特徴が愉しい。今年は、火星の接近もある。皆既月食も観えるようだ。然し、自然を相手にしては、天気次第でもある。

 ソロモンの偽証、Ⅱ巻目を借りに行く。Aさん家に寄って水を戴き、閉館10分前に滑り込む。館内から馥郁とした香りが漂う。カウンターに挿してある白梅だった。源氏物語の中に、光源氏が元服して、藤壺とは直に会えなくなる。早朝に、白梅の一枝を差し出す件を想う。

 我が家の梅は、今年たくさんの蕾をつけている。玄関の所のもちらほらと。屋敷が狭いゆえ、植えないようにしているのだが、心が騒いでくるのに負ける。所狭しと枇杷葉を植え、桑も梅、林檎に杏、李まである。どれも大きな木になる。然し、実がなるのは何時のことか。

 桑は、雷避けに植えてある。あの、どんがらがっしゃんは苦手だ。稲光も好まない。ギリシャ神話では、ゼウスが浮気をしているのを、妻のヘラに見咎められない隠れ蓑らしいが。日本では、雷神さまが大暴れする。桑は、くはばらと逃げ込んだ桑畑。雷さまは弱いそう。

 玄関のは入口、左側に植えてある枇杷葉。茂木ではなく、他の品種らしい。中々育たないのである。

 

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旧暦・赤穂浪士討ち入り・・・

2014年01月14日 | Weblog

 先日、背中をこっぴどく打ち、転倒を防ごうと支えたが間に合わず、肘をぶつけた。孫に足の裏を踏んでもらいながら、痺れに呻く。体の左上半身がこりこりだ。元は、高校生の時の事故が原因で、左足の痺れが抜けない。通学中のバスに、乗用車が突っ込んで来た。

 夏のことだった。運転席の周りを囲むパイプに、急ブレーキで押し付けられた。乗客は略、満員状態で、最前列で立っており、試験期間中で教科書を持っていた。不幸中の幸いは、バスと乗用車とがぶつからなかったことで、打ち身・打撲で済んだ。私以外は無事・・・

 左足の付け根が、翌日には腫れて真っ黒になった。足が上手く動かない。停留所から家までは坂道で、上下が辛かった。だが、若いという事は、うっ血が消えれば治ったと思う。すっかり忘れてしまった頃、足の痛みを覚えた。普段は気づかせないようにしているが。

 然し、疲労困憊したり、休みの日など気が緩むと出る。それが今回は仕事中に出た。頭で指令するのと、体が反応するのとが、かみ合わないためであった。以前には、咄嗟の行動で失敗したことなどなかった。年齢を重ねるということには、体力の低下が潜んでいる。

 運動が苦手で、体を動かすことが嫌いだ。ごろごろと芋虫でいればよく、そこに本があれば満足だ。スポーツの類は、怪我があるからしない。歩くのも、山歩きは好きだが、自由気儘にしたい。云わば、自分のペースでの歩きで、他人の歩幅に合わせるのは苦手だ。

 今夜は、月と木星が近くで輝いている。午後7時現在でのことだが、400年前の一月十四日の宵は、月もなく夜半には雪がちらつき始める。大石内蔵助を始めとする、赤穂浪士46名は、表門と裏門に分かれ、目指す吉良邸に討ち入って、深夜主君の敵を果たした。

 折りしも降りだした雪に、浅野内匠の守の松の廊下での無念さが思え、浪士は声を殺して啼いたであろう。孫等には到底理解不能の事態だろう。忠臣蔵など、ゲームとしか思い浮かばない。食欲旺盛な孫の現状には、歴史の話は腹が空くのか林檎を丸ごと頬張る。

 菜花が届いていたので、夕食の献立に作る。食べる一方の孫に、焼いた卵を切らせる。包丁を持つ手つきを教え、こっちはせっせと卵を焼いた。息子の家まで送る時間になり、まだ少し明るい宇宙に、木星と月が斜め一直線に並ぶ。昴が霞んで観え、オリオン出でず。

 昨夏の、ブルーベリーの収穫。小粒だがとても甘い。油断していると、野鳥に食べられる。手作りエキスもかなりの効き目。

 

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成人の日、違和感を抱く。

2014年01月13日 | Weblog

 成人式には出席しなかった。式典自体が厭であった。同級生が、振袖を着飾っていく姿にも、何となく違和感を持った。祖母が買おうか、と言うのを断り、口をへの字に曲げていた。例え、作ってもらったにせよ、着る機会は数少ないだろうし、自分では着られない。

 高価な箪笥の肥やしには抵抗があった。洋服にしても、値段にデザインに迷うばかりだった。それならいっそ行かない。と出席しなかったのだ。でも、大人になれない訳ではない。着物の価格を競い合う式典に嫌気が差した。娘は、出席したが洋服姿であった。

 ロイヤルブルーのベルベットのワンピースは、誰よりも凛としていたらしい。どんな格好であれ、成長した子どもを祝う気持ちには変わりないのだ。然し、それまでには躾をして、人としての生き方ができるよう、自立させておきたい。成人とは親の躾の結果なのだ。

 子どもの頃に、親から言われた言葉の中に、自分の存在を否定したり、投げやりになることもあったが、生きることには、容易くない年月が含まれるもの。況してや、自分の思い通りに事が運ぶ道理もない。苦しみや哀しみが多く、その結果に歓びが増え、愉しめる。

 何度、挫折感を味わい、どん底まで落ちたことだろう。然し、ゴーリキーではないが、底からそれ以下はない。さすれば上がっていくだけだ。その際、落ちないように色々と考えたりすることができる。或いはまた、落ちそうになっても、何処かで踏ん張れることもある。

 誰かのせいにしたり、自分には無関係と思っても、さしたる進歩はない。千里の路も一歩からである。頑張り過ぎないこと、諦めないこと、思考を変えてみることも大切だろう。そのためには、如何なる時にも努力を惜しまない。踏まれても咲く野の花で好いのだ。

 人間であることを驕ってはならない。謙虚過ぎてもならず、常に学ぶ姿勢を持ち、人の話に耳を傾ける。それは、生きざまでもあろう。其処には、信念を貫くことに匹敵する忍耐がある。生半可なことではないが、何かのためにも、命を使い切りたいものと思う。

 夏中、咲いてくれた赤のベゴニア。挿し芽にして増えるので、増殖中なのである。冬場には室内で時を待つ。

 

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天空に輝く・・・

2014年01月12日 | Weblog

 煌々とした輝きの月。東天の宇宙に、木星と引き合うかのように。折りしも今宵は、星々が見事に冴え渡る。空気の透明度も素晴しいもの。真冬の天空には、龍さえ眠る。頭を落とし、背を丸めて、鼾を体中に閉じ込めて。天龍も夢をみるのだろうか。

 天空の一日は、地上では1年にあたる。天龍の目覚めには、どんな異変があることか。天空が軋み震えれば、地上は憂い嘆く。核のゴミは姿を変えて、うねりのたうつ。人間の手に負えない物が、神には可能になるのであろうか。其の未知なる物質が。

 新聞の購読料金が、安いのか高いのかは読み方だろう。加えて、毎日のことなので嵩張る。廃品回収はあるが、これまた決まっているので、何時でもという訳にもいかない。然し、25枚程の枚数に、様々な分野の記事が満載。心の糧にも成り得る。

 新聞の活用法も、新刊のチェックがある。可能な限り、図書館に予約をかけ読む。その後、再読したい時には、ハードカバーも辞さない。必要な書籍は身を援ける。職場でも、読書が趣味など皆無だ。仕事に関する本さえ読まないには、言葉も無い。

 親が、本を読むからと言って、子どもも読むとは限らないし、その反対もあり得る。子どもの頃、兄には雑誌を買ってもらえるのが、自分には通らず、悔しかった。本が好きだったのではなく、知らないことが記されているのにびっくりした。貪り読んだ。

 ジャンルは問わず、片端から読んだ。読み進んでいく内に、自分の中で面白さに目覚めたSF。空想科学小説。アシモフのロボットの話、宇宙の生活。異空間の物語。体中がときめいた。あのワクワク感は忘れらない。地底探検・Drモロー博士の島。

 砂の惑星・火星年代記・ウは宇宙のウ・さよならジュピター・百億の昼と千億の夜と。シャーロック・ホームズに始まり、若草物語、ペロー童話、アンデルセン童話、イソップ物語、秘密の花園、小公子、だれも知らない小さな国、数限りない世界・・・

 物語の扉を一つでも開けたら、未知なる世界に足を踏み入れ、抜け出せない。螺旋状に上がり降り、或いは縦横に交差する。それが亦、歓びでもあり愉しみに繋がる。青い鳥のチルチルとミチルのように、幸せは案外直ぐ傍にあることに気づく。

 昨年、やっと数輪咲いた。一昨年には、大きな緑の虫に蕾が齧られ、一輪も咲かなかった。大蒜と枇杷葉エキスを撒いた。

 

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