昨夜からの雨が上がって、早朝の辺りには、霧が立ち込めていた。暖かである。こういう時が風邪を引き易い。体調を崩すのも、気温の上下が原因のことが多いのだ。気を引締めて、仕事場に向かう。施設の近所の方に久しぶりに会い、挨拶を交わす。
二十四節気。立春、雨水、啓蟄、春分、清明、穀雨、立夏、小満、芒種、夏至、小暑、大暑、立秋、処暑、白露、秋分、寒露、霜降、立冬、小雪、大雪、冬至、小寒、大寒。となっている。これらに季節の行事が加わる。旧暦での活用が天文状況と合う。
またこれらに、その折々の花木があり、蝋梅、梅、水仙等の花木から始まって、枇杷葉で締めくくる。旧暦で云えば、霜月から師走にあたる。冬の花は静かで、香りの佳い物が多い。春には、華やかさのある物が数を占め、夏には様々な色合いが目立。
秋は、葉色の美しさを競う。季節の移ろいの中では、どの時期にも好みがあろうが、その移ろいを楽しみたい。花を愛でる心を持ち、育てる愉しみを味わいたい。人間同士にも声かけは必要なこと。花木にも同じ事が云える。育む心で際立つことにも。
奇跡のりんごも、声かけをしなかった木は、花が咲かなかったそうだ。たわいの無いことなのだろうか?まさに自然の摂理そのものだ。やさしい声を聴かせば、木もうれしい。怒っていれば、木は萎れる。その心理状態で、左右されることに驚くばかり。
人間には誤魔化しは効くだろうが、自然には却って効果がない。偽りの声は届かない。社交辞令では通用しないのが面白い。その場限りのいい加減さでは、花木は騙せないことになる。人間に対する警告も含む。花が咲いて実がなることは奇跡だ。
それ以前に、種が発芽して育っていくことが不思議なこと。猿蟹合戦の蟹の思いだろう。柿の木が多くなっても、自分たちには実は取れない。それなのにせっせと水を遣り育てるのだ。欲も、損得もない。人間は、儲けることを直ぐに考え失敗する。
まあ、それには生活がかかっているから、致し方の無いことでもある。私利私欲に眼が暗むことのないよう、程ほどが好い。そういう時代ではないのも確かだが、敢えて願う。困っている人には、手を差し伸べて援けてあげればいい。我が身に還る。
真夏の夜の夢。夏は、魔物があちこちに潜む。気分がゆったりとするためか、それとも短い夜に現を抜かすのか・・・。